波動の魔女

 店内に不穏な不穏な空気が充満していく。すぐにファリナを刀へと変化出来るよう、彼女の手をいつでも取れる距離を保ちつつも、ライキはレガルディアから目を離さないようにしていた。


 一方の「謎の魔女」はにこやかに笑いながら、しかし彼の手元に目線を落としている。


「どうしたんだい、お兄さん……いきなり『波動』の色が変わったじゃないか」


「波動……? それは一体何を指して――」


 あくまで白を切るファリナに呆れるような顔で、レガルディアは「何をって?」と店内をゆっくりと歩き出した。


「あんた方……要するにが『魔力』って呼んでいる力の事さ。私の生まれた場所では魔女を魔女たらしめる力を波動、って呼ぶんだ。性質に違いは多々あれど、一番の違いは補給を必要としない事。生まれた瞬間に波動の絶対量が決まる、それを使い切れば終わりって事」


 物分かりの悪い生徒へ教授するが如く、レガルディアは手振りを含めて二人に説明を始めた。その様子は学校の教師に似ている――ライキは学生だった頃を思い出した。


「何も知らない訳ではない。あんたらは魔力を感じ、匂いで互いを感知するんだろう? 私は別、その者が発する波動の色を見て、体調や実力、そして思想を感じ取るんだ。だからあんた達は私を感知出来ない、でも私は出来る。全く別の次元で暮らす魔女、って事だね」


 ニッと笑ったレガルディアはライキを、そしてファリナを見やり、「ふんふん」と品定めするような素振りをしてから、再び老婆の隣に座った。老婆は微動だにしない。


「お兄さんは……、それもかなり。まるで子供さ、自らの行いが善か悪かも区別が出来ないんだね。そして私が果たして味方か敵か……判断しかねている様子だ」


 ライキは背筋が冷たくなった。


 笑みを絶やさないレガルディアは、完璧なまでに読心を敢行した!


 自分なりに内心を悟られぬよう表情を動かさず、視線すらも彼女だけを向いていたはずなのに……ライキは生唾を飲んだ。呼応するようにレガルディアは「ふふっ」と静かに笑い声を上げた。


「貴女は……何が目的なのでしょうか、簡潔に聞きます、邪魔立てをしたいのでしょうか?」


 怒気を孕んだ語調だった。ファリナは明らかに苛立ちを隠せないらしい、ライキは彼女に平静を取り戻すよう目配りしたが、当の本人は掴み所の無いレガルディアに釘付けとなってしまっている。


「そこまで怒る事ないじゃないか。そんなにカリカリしていると……」


 ケラケラと無邪気に魔女は笑った。



 しばらく三人は沈黙した。ライキは淀む空気を和ませようと何か喋ろうとして――果たして口を噤んだ。


 粘るように重たい空気が、呼吸器を全て塞いでしまうような息苦しい感覚。二人の魔女の内、一方は目を細めて含み笑いを、もう一方はその美しい顔に怨色を帯びていた。


 如何に魔女に匹敵する力を持つ存在へと成ったライキであっても、魔女同士の視殺交戦に恐れを感じずにはいられない。彼に出来る事はただ一つ、二人が何らかの魔術的闘争に突入しないよう祈るだけであった。


「さて、と。話を戻そうか、あんた達は一体どうして旅をしているのさ」


「心なり何なりを読めばいいはず。わざわざ口に出して言うまでもありません」


 行きましょう、ライキ――ファリナは踵を返してライキの手を取り、店外へと足早に出て行こうとした。ライキの足が縺れそうになった時、レガルディアは「お兄さん」と呼んだ。


「お兄さん、あんたは違うはずだ。波動を見る限り、『第三者に語って是非を問いたい』……そう考えているんじゃないかな」


 途端にライキの鼓動は一気に高鳴る。


 思考の最奥部に根を下ろしていた「願望」が、レガルディアによってその姿を照らされ、認められ、掬い上げられるようだった。


 彼自身も気付かない、しかし確実に存在していた欲求……。


 何故俺の思考を、俺すらも気付かない程の深層心理を、この魔女は覗き込めるのか? 魔力ではなく、波動を察知する別次元の魔女は、果たして旅の目的を聴く事が狙いなのだろうか――。


「俺は……確かに物事の善悪が分からない、自らの行いが良い事か、忌まれる事か……」


 レガルディアはライキの言葉を待ったが、果たしてそれは叶わなかった。割って入るようにファリナが口を開いた。


「ライキ、耳を貸さないで。あの女は危険です――」


「ダメだよ、人の話を遮るのは。……それとさ、お言葉を返すようだけどさ、だったらあんたと私、どちらが危険なんだい? 人間に溺れる程の知識を与え、定期的に命を刈り取る魔女。知識も何も与えられないけれど、影で歩みを見守る魔女。前者があんたで、後者が私なら、さてさてお兄さん――」


 小首を傾げるレガルディアは、海溝の如く暗い、しかしながら温かみのある輝きを持つ目でライキを見やった。


「どちらが『母』に相応しい?」


 ズイ、とファリナがレガルディアの方へ踏み込んだ。白雪の髪がにわかに逆立った気がした。


「ダメだ、ファリナ!」


 ライキはファリナの手を掴み、力強く自らの方に引き寄せた。


 胸に抱き留める形となった彼に、少年のような青い情動は一切無く、ただひたすらに彼女をレガルディアから引き離した――彼は無我夢中であった。


 荒い呼吸のファリナは自らの行動が信じられないと言わんばかりに目を泳がせ、ガクガクと細い身体を震わせている。そして彼女は腰を落として俯いた。


「……ごめんね、この質問は禁句だったみたいだ。私もそこの魔女を怒らせようとした訳じゃないんだ、ちょっと聴いてみたかっただけなんだよ……。それと、お兄さんは決して悪なんかじゃないよ、ちょっとだけ不器用で経験不足なだけさ」


 深々と頭を下げてから、レガルディアは古びたオガリスを布で丁寧に拭き、紙袋に詰めてからライキにそれを手渡した。


「これは……」


「それ、あげるよお兄さん。あんた達がどうして旅を続けるのか、その答えは何となく分かったからね。詳しくは分からないけど、波動を見る限りどうやら目的は二つあるらしい、お兄さんと魔女……どちらの願いも純粋で――」


 レガルディアは何かを躊躇うような顔で宙を見上げ、しばらくの沈黙の後に口を開いた。


「それでいて、何だか切ない」


 最早ファリナに一人で歩く事は出来なかった。


 後ろから小さな身体を支えてやらないと途端にその場で崩れ落ちてしまうので、ライキは酔客を介抱するかのように、宿屋までファリナを連れ帰ったのであった。


 アトネの町は街灯が少ない。その為に近くはおろか手元すらがボンヤリと闇に包まれてしまい、よくよく見えないのだ。だから彼は二つの事に気付けなかった。一つは二人の帰路を後ろからレガルディアが見守っていた事、そしてもう一つ。


 ファリナの瞳が濡れていた事を。




 雑貨屋の扉が閉められた。閉店の時刻となり、レガルディアは空いた商品棚に木彫りの玩具を並べる。店の売り上げは今日も赤字だったが、しかし気分は軽かった。


「お婆ちゃん、もう閉店だからご飯にしよう」


 老婆は動かない。しかし先程とは様子が違っていた。つい先刻まで滞在していたライキとファリナの残り香を惜しむかのように、少しだけ眉が下がっていた。


「どうしたのさ、お婆ちゃん」


 孫娘の問い掛けに老婆はヒビのような口を開いた。


「…………娘じゃ」


 虫の羽音よりも更に小さい老婆の呟きに、レガルディアは彼女の口元に耳を近付けた。


「何? 何て言ったの?」


 モゴモゴと口を動かす老婆の目は、皺の奥で潤うように輝いた。


「…………実に愚かで、哀れな娘じゃ」


 レガルディアはしばらく黙り、困ったように笑った。


「お婆ちゃん。……あの二人、どうなるのかな」


「…………見届けてやるのも、また修養さね」


老婆の口端が微かに上がった。レガルディアは微笑みつつ、夕餉の準備に向かった。

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