少女の要求
月が明るい夜。
寂れた商店で酒と焼き菓子(そのどちらも不衛生な棚に置かれていた)を購入した二人は、宿屋までの帰路で雑貨屋を見付けた。
入店した客を一望出来る位置に座る老婆は、果たして意識があるのか無いのか――ライキは目を閉じたままの店主を余所に商品を物色した。客は彼らだけだった。
「何かありましたか」
ライキの呼び掛けに「えぇ」と上の空な返事をするファリナの目の前には、万年雪を被る山の如く、厚い埃に覆われた木箱だった。彼女の代わりにそれを拭いてやると、すぐにライキはオガリス一式と認めた。
「随分と古いようですが……でも作りはすごく良い」
心からの賞賛であった。サフォニアでは新婚の夫婦への贈答品として、高級なオガリスが採用される事が多い。高品質のオガリスを所有する事自体が、一種の誉れとして広く認識されていた。ファリナは箱を開け、それから息を呑んだ。
「陶製……これ、陶器で出来ています」
ライキも初めて見る代物であった。
木製が一般とされるオガリスだが、ある時期だけ陶製のものが流行していた。箱を愛おしげに眺めるファリナの目は、郷愁や憂いを感じさせるような輝きを持っていた。彼女の様子を眺めていたライキは、「ならば」と老婆に声を掛けた。
「すいません、このオガリスの値段は?」
驚嘆した顔のファリナをあえて無視し、老婆の返答を待った。しかし皺だらけの店主はピクリとも動かず、黙したまま目を閉じていた。
「あの、これを買いたいんですけど」
ツカツカと歩み寄り、老婆の前にオガリスを置いてみせたライキだが、しかし、老婆は動かない。
本当に死んでいるのではないか――とライキは訝しみ出した矢先に、突然に「高いよ、それ」と若々しい女性の声が聞こえた。
声の主は老婆の後ろにある扉の奥から現れ、ライキを、そしてファリナを――何処か値踏みするように――見やった。アトネの町には似合わない、可憐な少女であった。
「その人は私のお婆ちゃん、一日に三時間程度しか動かないから。半分死んだようなもんだよ」
その少女は老婆の孫であるらしい。その孫に死んでいるようなものだと吐き捨てられた老婆の心境を考えたライキは、やり切れないような情けないような、実に複雑な気持ちであった。
一方のファリナは少女を煙たがるような、むしろ忌むように眉をひそめている。
「多分、あんたの財布を五度引っ繰り返しても足りないくらいだ」少女は見せてみなとライキから財布を受け取ると、笑いながら「八度くらいかな」と返した。
「じゃあこのオガリスは大して売る気は無い、って事ですか」
ライキの言葉に少女は軽い声で返事をする。
「まぁそうなるよね。どうしてもって言うんだったら……まぁ、考えてやらん事も無い、って感じさ」
少女はニヤニヤと笑みを浮かべながら、老婆の横に椅子を持って来て腰を掛けた。
「私はレガルディア、お婆ちゃんのお世話をしている。だから出掛ける事は殆ど出来ない、要するに外の世界に飢えているのさ。見たところあんた達は旅人のようだ、狭い世界で暮らす私、広い世界を見て回るあんた達……となると、話は早いだろう?」
無邪気な子供のように笑い、レガルディアは言った。
「旅の話を聴かせて欲しい」
途端、ライキは彼女の目を見つめる事を止めた、止めざるを得なかった。
椅子に座り両足を交互に振るレガルディアの目が、視線が、眼光が――ライキとファリナの旅の目的を暴いたように思えたからだった。影に隠れて生きる隠者を、無理矢理に晴天の下に引き摺り出し、「さぁ見てくれ」と周囲に触れ回るようであった。
見た目は少女のはず、しかしながらその底が知れない――。ライキは思わず彼女を睨んでしまった。そして隣のファリナも同じだった。
「どうしたどうした、二人揃って私を睨むなんて、ますます聴いてみたいな。あぁ、それとも――」
レガルディアは二人を見上げるようにして言った。
「『人』には言えない事をして回っているとでも?」
心の奥底まで侵入し、隠蔽している真実を掘り当ててやる――レガルディアの笑顔が語っているとライキは感じた。
彼が何と言葉を返そうか考えあぐねていると、苛立ちを隠せないらしいファリナが口を開いた。
「……仮にして回っているとして、それを聴いた貴女は徳をしますか?」
「勿論だよ。だってそんな事をする奴の話だよ、面白いに決まっているじゃないか。それにあんたは――」
レガルディアは腰を上げ、親しい友人と握手をする時と同じ歩調でファリナの前に立つと、至極当然と言わんばかりの顔で言葉を続けた。
「久方ぶりの『同類』だ」
ファリナの目が見開かれ、レガルディアの口角が上がった。
同類――この言葉から導かれるレガルディアの正体。ライキはそれに気付き、心臓が高鳴り始めた。
こいつは――魔女なのか。
レガルディアは妖しげに微笑んでいた。
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