して欲しい事
「お疲れでしょうから、すぐに戻りますので」
灰色の服を纏うファリナが椅子に座った瞬間に、部屋の格調が上がったように彼は思った。決して美麗な服ではないものの、纏う者から放出される神聖さか何かが作用し、結果として上質な調度品の如き存在感を示している。
灰色とは、これ程に美しい色であったのか。ライキは横目で彼女を見つめた。
「実は夕食をどうしようかと思いまして……ライキは何を食べるのですか」
「ここは素泊まりですから、鞄の中に入っているものでも食べますよ。貴女は何処かで食べて来るといいですよ、この町は美味い食べ物が――」
「ライキは行かないのですか」
ええ、まあとライキが頷くと、ファリナは「では私も行きません」と白亜の髪を梳いた。
「別に気にしないで行ってもいいんですよ、金は多少なら余裕がありますから」
鞄から財布を取り出してファリナに手渡そうとするも、彼女は「大丈夫」とそれを拒否した。
「今は私だけが快楽を味わってはいけませんから……」
ライキは起き上がり、微笑むファリナに言った。
「貴女は今までずっと旅をして来たのでしょう、それも苦境に耐えるだけの。だったら多少は意思を見せても罰は当たりませんよ、それに――こっちも息苦しくなりますから」
やや強い声調で言葉を掛けた事を後悔した彼は、再び寝転がって天井を見つめた。
彼女は何も答えなかった。居心地の悪い空間に耐えられなかったのか、ファリナは果たして部屋を出て行った。遠ざかる足音を聞く内にいたたまれなくなったライキは、最近失敗続きであった調心を試みた。
目を閉じ、暗い部屋に置かれた篝火を思う。
いつもは篝火だけが空想されたが、今回はその周りに小さな虫が五匹飛んでいた。やがて一匹が火の粉に焼かれると、フラフラと下に落ちて動かなくなった。
残った内の三匹は悼むように死骸の近くを飛び回るが、一匹だけは炎の周囲を何度も何度も回った。火の粉を恐れず、むしろその熱さを好んでいるようだった。
心に燃える懊悩の炎よ、落ち着け、小さくなれ、容易い大きさになれ――。
炎は彼の言葉を聞き得たりと言わんばかりに段々と小さくなり、果たして拳程の弱々しくも力強い、温かなものへと変化した。いつの間にか虫は消え去り、ライキの心には久方ぶりの平穏が訪れたのである。
彼女に謝った方がいい。彼はファリナの部屋に出向こうとして目を開けると、何事も無く椅子に座る彼女の姿を認めた。
「さ、さっき出て行ったはずじゃ……」
彼女は首肯した。膝の上には木製の小箱が置かれており、それを取りに戻ったのだとライキは推測した。
「意思、という程ではありませんが……これに付き合って頂きたくて」
ファリナが恥ずかしげに箱を開ける。ライキが立ち上がって検めると、中には「オガリス」という卓上遊戯が一式入っていた。その昔、魔女の一人が考案したとされるもので、現在ではサフォニア人の国民的遊戯となっている。
「部屋にあったので……私、オガリスが好きなんです。昔はよく他の魔女と遊んだものでした、良ければ……」
少女が想い人に贈り物をするように、ファリナは上目遣いで箱をライキに差し出した。
初めて見せた彼女の意思。それは意外な程に幼く、可愛らしいものだった。
ライキは箱を受け取り、机の上に盤を置いて準備を始めると、ファリナは満面の笑みで自らの陣地に「赤い」駒を並べた。オガリスは白と赤の駒を使用し、格上が白を、逆は赤を使うのが一般的だった。当然のように赤を手に取ったファリナを、ライキは不憫に思い――そしてある事を考えた。
彼女に何か願いがあるのなら、どうにかして叶えてやりたいものだ――。
「それでは始めましょうか……ふふ、楽しみです」
先手を譲ったライキは、嬉々として札を捲る彼女を眺めていた。
翌日、マピーナは小雨が降り続いた。ライキとファリナは外套を羽織って出発した。ライキは小太りの女と交わした会話を思い返しながら、泥濘む道を黙って歩いている。
彼らの行き先を決定したのは、次のような会話だった。
「その服の柄、似たようなものを前に見た気がするんだよね」
女は雑誌で顔を扇ぎながら、興味深そうに言った。
「あの山の麓に廃村があるんだけど、そこに変な女がいるんだよね……」
「変な女?」
「そうさ、何たって町の年寄りが言うには『歳を取っていない』って言い張るんだよ。誰かが記録した訳でも、絵に描いた訳でもないんだけど、とにかく昔のままなんだって。私も数える程しか見掛けた事ないけど」
ファリナの服を指差す女は、「あんたもその女と同じ出身かい?」と質問した。言葉を濁すファリナの返答を待たずに、女は戸棚から焼き菓子を二袋取り出してから、ライキに手渡した。
「何しようとしているか分かんないけど、そういう人気の無い場所を彷徨くのはお勧めしないよ。いつルーゴの兵隊が来るか、誰にも予想出来ないんだからさ……」
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