花の栞

「やはり、その村に住んでいるのは魔女なんですよね」


「はい、確実だと思います」


 涼しげな雨音の中で、彼女の声は際立つように聞こえた。


「でも――不思議な紋様が描かれている服を着ていると、他の人から好奇の目で見られるのでは? どうしてその魔女はを着るのでしょうか」


 人間と同じような服を纏っていれば、もしくはただの変わり者として放って置かれる確率も上がるのでは、とライキは考えていた。年齢と共に衰えない容姿を持っていたとしても、なるべくなら目立たない格好をするのが得策に思えた。


「私が着ている服は――魔女は原装げんそうと呼んでいますが――魔力を増幅させる効果があります。通常であればこの服を着なくとも問題はありませんが……収穫の夜が迫る時期は魔力が減衰してしまいます、となると――」


「魔力切れで死なないように、仕方なくその服を着て凌いでいる。という事ですか」


 その通りです、と答えたファリナの声はか細かった。魔女として生きる為には必ず収穫の夜に人間から魔力を集めないといけない、しかしそれに抗うとしたら「原装」を纏って好奇の目に耐えて生きるしかない、ファリナは補足した。


「でも……いくら原装を着ていても限度があります、その魔女は――勿論、私も含めて――収穫の夜を好ましく思っていないのでしょう」


 ファリナ以外にもがいた。ライキは驚嘆しつつも更に歩を進める。


「ほんの僅かに香る匂いから……でしょう。彼女は収穫の夜に賛同していたのですが、何かしら事情があったのでしょうね」


 後ろから聞こえる声調は暗く、何処か冷たかった。これから命を奪わなくてはならない者が、自分と同じ思想を持つ事に驚きを隠せず――そして何故か、憤慨している様子だった。


「こちらの味方になる、という事はあり得ますか?」


「あり得ませんね。原装を纏えば収穫の夜を一回はやり過ごせるけど、いずれは人間を襲わなくてはならない……私は魔力の消費が少ないので、後二回は乗り切れますが」


 道が二手に分かれた頃、ライキはファリナに質問した。問うていいかどうか、悩み抜いての質問であった。


「貴女は……魔女狩りを全て終えた後、一体どうするのですか」


 雨はより強く降り出したようだった。水溜まりが波紋に波紋を重ね、生きているように揺れ動いていた。


 彼女はしばらく押し黙り、果たしてライキの目を見つめて笑った。


「……さぁ」


 廃村に行くのなら、分かれ道を左に行けば良い。ライキは宿屋の女の言葉が思い出された。


 道を進むにつれ、打ち捨てられた椅子や机が目立つようになった。時折木の上から視線を感じたライキは目をやると、そこには斑模様の鳥が――白と黒の不気味な配色だった――何羽も留まっていた。


 そのまま踵を返せ。


 斑の鳥に警告されているようだった。しかしライキは鳥達の圧力を意に介さず、力強い足取りで歩いて行く。泥が靴に纏わり付くようだった。


「匂いが段々と強くなりました、やはりあの女性の話を信じて正解でしたね」


 鼻をスンスンと鳴らすファリナはライキに置いて行かれないように、必死に歩調を合わせていた。前を行くライキも彼女の為に速度を落としてやりたかったが、漠然とした「歩速を保ちたい」という不安感に駆られていた。


「ユーメイト村……手入れが長い間されていないようですね」


 朽ちた看板を小突くファリナの横で、ライキはポツポツと見え始めた荒ら屋とトラデオ村を重ねていた。いずれはトラデオもこのようになるのか――自分だけではどうしようも無い、といったやり切れなさを感じたライキは、鞄を背負い直して歩を進めた。


 やがて二人は一件の空き家を見付けた。明らかに最近誰かが出入りした形跡を玄関に認めたからだ。他の空き家は扉を覆う程に丈が伸びた草が生えていたが、その家だけは草が何者かによって踏み倒されていた。


 ライキが先に立って扉を開けると(軋んだ音が響き、ファリナは身体を竦ませた)、中には傷んだ机が居間らしき空間に鎮座していた。上には何冊かの本が無造作に置かれ、その内の一冊はサフォニア国の子供達に好まれている冒険小説だった。


 誰かが近くに潜んでいる、そして恐らくは魔女――しかしライキは廃村と冒険小説という乖離に感動を受け、おもむろに本を手に取った。


「懐かしいな、この本。昔よく読みました。知っていますか?」


 ファリナは訝しむように表紙を覗き込むと、「えぇ、一応……」と呆れたような声を上げた。


「私、どうもこの本は苦手でした。何というか……足りないものを責められるような感覚になってしまうんです」


 批判的な目を本に向けるファリナは、何処かしら疲れたような表情を浮かべている。その時、彼は本から細長い紙が落ちたのを認めた。劣化していない「手作り」の花柄の栞はライキの予想を裏付けるものとなった。


 やはり――何者かが本を読み進めている。


 次の瞬間、二人は即座に後ろを振り返った。


 外の環境音に紛れて床が軋む音が聞こえたからだった。


 果たしてそこには少女と――恐らくは彼女の弟が立っていた。


 弟の方は姉の服を掴んでジッと二人を見つめ、少女は明らかな敵意と怯えを見せている。咄嗟にファリナの手を掴み、「戦闘態勢」に入っていたライキはゆっくりと彼女から手を離した。


「……誰ですか」


 少女の声は震えていた。しかしながら声色には……謎の来訪者に立ち向かおうとする勇気すら感じられた。ライキは自分よりも幼い「勇者」に敬意を覚えた。


「いや、悪かったよ。懐かしくてつい――」


「……誰ですか、貴方達」


「私達は――」ファリナが少女に答えようとした時、言葉を遮るように弟が「ねぇねぇ」と少女の服を引っ張った。


「あの女の人、


 刹那、何かを察したらしい少女は血相を変えて弟を抱くと、疾風のように家を飛び出し駆けて行った。ライキが外に出た頃は、二人の姿は何処にも無かった。


「――今の言葉、聞きましたか?」


 ファリナは頷き、「まさか……」と眉をひそめて歯を食い縛るような、何かに苛立ちを隠せない様子だった。


「ライキ、これは…………非常に厄介な狩りとなるでしょう」


 口を開くのも億劫だ。そう言いたげな表情でファリナはライキに言った。


「きっとあの子供達は……ニールマンゼの子供です――」

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