Maternal

二部屋

 山道を抜け、マピーナに到着したのは夕間暮れ時だった。数年前までライキが通っていた学校はそのままの姿で町の外れに建っており、鉄塊のような疲労を抱えたライキの心に染みた。学校で出来た同年代の友人、毎日起きる大小様々な出来事の記憶は宝物でもあった。


「あれは……学校ですね、ライキも通っていたのでしょう」


 町を観光するようにファリナは遠くに見える校舎を指差た。額に巻かれた包帯が痛々しかった。ライキは彼女に再三頭突きの件を謝罪したが、返事は決まって「あれで良かった」の一言のみだった。


 本人がそう言ってくれるのだから気にしなくていいんだ――と思い込めず、彼は一人悶々として包帯を見つめていた。


 マピーナの目抜き通りを歩く二人は、やがて今晩の宿を探し始めた。昨晩は山中での野宿であった為に、ライキは腰に痛みを感じていた。


「私は何処でも構いませんが、ライキがそう言うのなら」


 魔女狩りを行うか否かから始まり、あらゆる選択を委ねてくる彼女に「意思」や「願望」は無いのだろうか? ライキは疑念を抱きつつも、「これは道を自分で決めろ、という試練」であるとして深く考えないようにした。


「宿屋はこの町に多くありますが、貴女のような方には向いていないかと」


 彼なりの気遣いであった。マピーナにある宿屋は殆どが男の旅人や出稼ぎの労働者向けに造られている為、ファリナのようなか弱い少女然とした者には不向きだった。しかし彼女はかぶりを振って微笑む。


「いいえ、私は大丈夫です。短い旅ではありませんから、なるべく手頃な場所で構いませんよ」


 果たしてライキは一件の宿屋を選択した。値段は程々に安く、何よりも内装も女性向けのものを揃えている――と看板に書かれていた事が決め手となった。


「いらっしゃい、その紙に必要事項を書いておくれ」


 受付の小太りな女が粗末な紙とペンを寄越した。名前、宿泊日数、人数、部屋の等級を記入していく内に、ライキは「部屋数」という項目で手を止めた。


「一部屋の方が安いのでは?」


 ファリナが料金表を指す。女も「そりゃそうさ」と三文雑誌を机に置いてライキを見やった。


「というか、


「……いえ、違います」


 ある種の気まずさを覚えながら、ライキは部屋数を「二部屋」と記入した。つい数時間前まで殺生を行っていたのに、今は恋仲と間違われて青臭く戸惑うとは――ライキは流転する環境に目が眩みそうだった。


「まあその方がこっちも儲かるからね、後から『やっぱり止めた』なんてのは知らないよ」


 女は雑誌を放り投げて紙を受け取ると(非常に世俗的な見出しが表紙に躍っていた)、内容をあっという間に確認してから二つの鍵をライキに渡した。


「身分確認とかは……いらないのですか」


 二つ返事のような受付方法に虚を突かれた思いのライキは、バチバチと音が鳴る程瞬きをする女を見つめた。


「ここに来るのは身分なんて大したもんを持っていないからね。もっとも、の国から攻めて来たってんなら話は別だけど」


 最近、サフォニアの隣国である「ルーゴ」が侵略を試みている――。


 辺境の地であるトラデオ村を除いた、人の住む土地土地で囁かれている噂であった。国王はルーゴの侵略計画を眉唾だと一笑に付したが、それでも不安を拭いきれない国民達は口々に「不吉な事が起きる」と嘆いた。


 しかしながら、決まってその悲嘆の後には「魔女が助けてくれる」と楽観的な者が騒ぎ立てるのが決まりであった――。


 さぁ行った行った、と女は再び雑誌に目を通し始める。ライキとファリナは鍵を受け取り、この町の「暢気さ」を身に染みて受付を後にした。


 二人はそれぞれの部屋に別れて休息を取る事を打ち合わせ、ライキは椅子に腰を掛けて窓を開けようとしたが、木枠からギシッと乾いた音が鳴った為にゆっくりと閉め直した。


 肝心の内装はため息が出る程に簡素で、トラデオの自宅を嫌でも思い出された。騙されたと憤慨するライキであったが、最早受付で怒鳴るような体力も気力も無く、結局彼は諦める事にした。


 椅子から外を眺める内に、今後も続く魔女狩りをライキは思う。


 魔女は決して人間を恨んだり嫌ったりはしていない、ただ生きる為に魔力を貰うだけ――ザラドの言葉が蘇る。納得出来ないと顔をしかめつつも、この構図はそのまま「人間と家畜」に当てはまると理解もしていた。




 家畜を殺して食べる事を、人間は「おかしい事だ」と疑わない。至極当然の摂理であると思い込んでいる、そして俺もそうだ。しかもザラドや他の魔女は、人間に餌を与えるだけではなく、知恵や住みやすい環境すらも与えてきた。その対価として俺達は――。




 果たしてライキは髪の毛をグシャグシャに掻き回し、そして寝床に横たわった。饐えた臭いが鼻に付くのがなおも不快だった。しばらくしてから、暗い靄が立ち込める彼の脳内を晴らすように、扉を控え目に叩く音が聞こえた。


「入っても大丈夫ですか」


 ファリナの声だった。


 ライキは努めて冷静に「どうぞ」と返すと、申し訳なさそうに扉を開けてから彼女が入って来た……。

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