欺く子

 刀を振りかざし、ライキは強く地面を踏み込む。


 対するザラドは懐に手を入れ、素早く棒状のものを迫る刀に向けた。鉄と鉄とを激しく接触させたような音が響く。しかし彼女が迎撃に使ったものは木製のだった。


「杖は便利ね、魔術だけでなくこういう用途にも使えるから」


 更に力を込めて杖を叩き斬ろうとするライキは、両手で白い柄を掴んでいる。だがザラドは片手で杖を掲げているだけで、ライキ程に力みを必要としていない様子だった。


 女に力で負けている? これも魔術の一種か――。


 刹那、ライキは腹に強い衝撃を感じた。


 ザラドは彼の腹部を目掛けて蹴り付けたのだった。吹き飛ぶライキは茂みに放り込まれる形となり、顔には切り傷が三筋出来ていた。


「そのままの方が楽よ、坊や」


 ザラドが大きく息を吸い込んだ次の瞬間、溜めた空気を一気にライキに向けて吐き出した。途端に息の塊は燃え盛る火炎の球と変貌し、身体を起こしたライキを襲った。


「まずい――」


 跳ねるようにしてその場から避難したライキは、自身の身体がいつもよりも軽い事に気付いた。「身体能力が増幅する」というファリナの言葉を思い出す。ザラドの吐いた火球は茂みを一瞬で燃やし尽くし、すぐに鎮火した。通常の火ではない――ライキは魔力から生み出された火炎の性質を目の当たりにした。


「面倒ね、逃げられたら意味が無いし」


 こうするわ、とザラドは杖で地面を小突いた。ライキは背後から真夏の陽光に似た熱さを覚えて振り返ると、自分とザラドを取り囲むように炎の輪が出現していた。


「飛び越える事は出来ないわ、自由に伸び縮みするからね」


 ライキの後ろで燃え盛る炎が瞬時に立木よりも高く伸び上がったかと思えば、即座に彼のくるぶし程に縮んだ。炎輪に接している草木は焦げてはいるものの、それが延焼していく事は無かった。


 燃やすも燃やさぬもザラドの思うがままか――ライキは舌打ちをした。


「坊や、ファリナに何を吹き込まれたかは分からないけど……今でも坊やが一言でも『ごめんなさい』と謝ってくれれば、私は許してあげるわ。子の悪態を許すのも、母の役目なのよ」


 火炎が揺れる度に起きる音を聞いているだけで、ライキは立ちくらんでしまいそうな程に熱さを感じた。背後からは熱波、前からは得体の知れない圧に挟まれ、次の行動の最善策を考える余裕は――最早無かった。


 どうしたって勝てるものじゃない、このまま降参するしか他には――。


 瞬時にライキはある事を閃いた。天から落ちた雷に頭蓋を穿たれたような感覚、まさしく火事場の天啓である。


「……分かった、これ以上は抵抗しても無駄みたいだ。俺の負けだよ」


 潮垂れた様子を演じるライキに、ザラドはの表情は明るくなった。


「本当? やっぱり男の子は決断が重要よね、偉いわ坊や!」


 嬉しそうに手を叩く魔女は歩み寄り、「さぁ、刀を投げて寄越して?」と微笑む。分かったとライキは返事をし、刀をなるべく転がらないようにザラドの足下に投げてから、彼女ファリナに言葉を掛けた。


 もしこの作戦が失敗に終われば、あっという間に旅は幕を閉じる。ライキの心臓が爆発しそうな程に高鳴った。


 奴が魔術の「解除条件」を盗み聞いているか、そして――彼女が俺の念を本当に読み取れるかどうか、それだけが問題だ……。




 ファリナ、聞いてくれ。恐らくは刀をどうやって貴女に戻すかを問うてくるはずだ、その時に俺はあいつを騙す、何とかして騙してみせる。そうしてから――。




 果たしてザラドは足下の刀を満足そうに見つめ、「そうそう」と思い出したようにライキの方を見やる。


「坊や、この刀なんだけど……どうやってファリナに戻すのかしら、さっきは坊や達のお話を完全には聞き取れなかったのよね……」


 努めて無表情、やや悲しげな顔のライキは内心小躍りしたくなった。まずは第一関門を突破出来た、次は最終関門である「ファリナへの意思伝達」が完了しているか否か――ライキの額から汗が噴き出た。


 命懸けの嘘。


 この嘘が看破されてしまえば、ライキは勿論ファリナも、更にはサフォニアに暮らす多くの人間が死に、そしてザラドに殺された村の人々は決して浮かばれない。裏返りそうな声を必死に調整し、ライキは生唾を飲み込んでから騙った。


「……魔女になれ、と念じながら柄の頭を上に向ければいい。それで彼女は元に戻る」


 うーん、と訝しむような声のザラドは長い髪を手で梳きながら目を閉じた。


 永遠とも感じられるような、針に囲まれた痛々しい程の緊張した時間は、ライキの体内時計を破壊してしまうようだった。


 しばらくしてから――ザラドは「うん」と納得したように手を叩いた。


「嘘だったら怒るわよ」


 魔女はゆっくりと腰を落とし、刀を拾い上げようとしていた。


 好機到来だ――。ライキの目はザラドの一挙手一投足に注がれている、ザラドが一番油断をするその瞬間、それはきっと柄を掴む瞬間だ。ならば同時に、俺は稲妻の如く駆け出さなくてはならない!


「お帰り、ファリナ――」


 柄の頭がザラドの顔に向けられた。寸刻置かずライキはわざとらしく土を踏み付け、大きな音を立てる。一瞬魔女は目線をライキの方に向けた、その瞬間こそライキの狙いだった。




 今だ、思い切りに飛び上がれ! 鳥のように、大空に舞うように魔女になれ!




 岩と岩とを力の限りにぶつけたような音が、細い山道に響き渡った。


 を踏み、刀から「魔女」へと戻ったファリナが全力で跳ねる事により、屈んでいたザラドの顔面に頭突きを食らわせる形となったのだ。


「……ッ」


 効果は覿面だった。不意を突かれたザラドは大きく仰け反って鼻を押さえており、手の隙間からはボタボタと血が噴き出していた。出血量から鑑みるに、少なくとも鼻骨は折ったらしい――ライキは喜んだ。


 ライキは走った。距離にして小さな小屋二棟分程であったが、彼は両足が千切れんばかりに強く駆けたのだ。

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