無差別では無し

 声はライキの頭上からした。ライキはすぐに顔を上げると、ザラドが大木から伸びる太い側枝に腰を掛けている。


 俺達が出発するのを黙って見ていたのか? ライキの背筋に氷のような汗が流れる。生殺与奪の機会はこちらが握っている――ザラドは言葉にせずともそう語っているようだった。


「昨日、珍しくがしたから追い掛けたのに……何処にいたのかしら。それと、何だか面白い術を使うのね? いつからそのような芸当が出来て? そして――」


 怯える者の首筋を舐めるような、相手を純粋に恐怖させる声色でザラドは言った。


「誰にどのように使うのかしら?」


 圧力。頭上の魔女から感じた印象だった。ファリナとは違った雰囲気、正ではなく負の要素を多分に含んでいるとライキは思った。


「聞かなくとも分かるでしょう、ザラド。この魔術は夜を散らし、朝を望む為の刀! 貴女はまだ『収穫の夜』を待っているのでしょう?」


 ザラドは声を上げて笑った。しかしその笑い声は下品なものではなく、むしろ上品にすら感じられた。


「待つも何も……仕方ないとあの日も言ったでしょう? それに、母の願いを叶えてこそ、育まれた子は認められるのよ? 『母が為に子は尽くす』、サフォニア人の準縄を忘れたの?」


「準縄……?」


 首を傾げるライキに、ザラドは「あらあら」と子をたしなめる母のような反応をした。


「駄目よ坊や、ちゃんと伝説は学んだの? 『魔女達はサフォニアの全土に住まう人間に伝えた。人よ、母の為に生き、そして』……思い出した?」


 彼が一六歳の時、山が青々と色付く頃、学校を卒業する間近に教師から教えられた格言、その中に「母を敬い、願いを叶えよ」といった文言があるのをライキは思い出した。しかし「果てよ」という恐ろしげな単語を忘れる程に、自分は物憶えが悪いだろうかと眉をひそめた。


「あぁ……ごめんなさいね、最後の部分は伝説に書いていなかったっけ」


 ザラドは腰を浮かせて枝から飛び降りた――しかしながら彼女の身体にはほぼ重力が作用していないように、落ちる枯れ葉の如く軽やかに着地した。


「どうやら坊やは知っているみたいね、魔女と人間との関係を? でもその目は……よく理解していないみたいね、一体誰が中途半端に伝えたのか……」


 魔女は笑った。ライキは彼女によってジリを馬鹿にされた感覚に陥り、声を荒げた。


「うるさい! 全てを知らなくともこれだけは知っている、お前らは人間を家畜同然に扱っている事を!」


 うん? とザラドは悩ましげな目で彼を見つめた。


「家畜だなんて……卑下はいけないわ。いい事? 伝説の中にある母という言葉は、私達魔女を意味しているの、逆に人間は子よ。当然よね、魔女が国を造り人間を育んだもの。これが母と子の関係以外、何があるの?」


「お前らが人間を子と呼ぶのなら、どうして命を奪う真似をする? そのまま伝説のように、見守るだけにしたらどうだ!」


 かぶりを振り、ザラドはため息を吐いた。


「それは駄目よ。私達魔女は一定の周期で魔力が減っていくの、減ったものを増やすにはどうしたらいいか分かる? 簡単よね、補給すれば良い。坊やもそうじゃない、お腹が減れば何かを食べるでしょう? それと一緒よ、それに何も全ての人間から魔力を奪う訳じゃない、ちゃんと必要な分だけ……好きなだけ動物や植物を殺し食べる人間と大きく違うわよね」


 反論しようとライキは口を開き――そのまま噤んでしまった。人間を一つの動物と考えた場合、確かにザラドの論理は間違いではなかったからである。


「私達も、貴方達人間が繁栄出来るように手を尽くしたつもりよ、その対価に魔力を貰う……どう? 母の恩義に子が報いるという図式に、そのまま当てはまるとは思わない?」


「ライキ、耳を貸してはいけません、貴方には、人間には『反抗』という選択肢がある、その選択肢を捨てるという愚行を犯してはなりません!」


 二人の魔女の言葉に思考が乱されていくライキを諭すように、ザラドは微笑みながら彼の方へゆっくりと歩き出した。咄嗟に身構えるライキを、ザラドは「そうじゃないわ」と優しく語り掛ける。


「今だって、何も争いたくて坊やに会いに来た訳じゃないの。考え直して欲しいのよ、どうも坊やは私達を勘違いしているみたい」


「勘違いなど――」


「いいえ、しているわ。現に坊や、人間達は豊かな文明を手にしているでしょう? 小さな虫すら通り過ぎるサフォニアの地を整え、ここまで繁栄出来るようにお膳立てしてあげたのは、他でも無い私達魔女なの、


 ライキはファリナの方を振り返る。彼女は歯噛みして、しかしその目はライキの信念が崩れる事が無いよう祈るものだった。


「けれど……ファリナはいつしか私達を敵として見始めたらしいの、そしてある日……ファリナは一人で旅に出てしまった。どういう考えを持っていたか知らないけれど……。魔女と人間、別にどちらが上位か下位かを争うのではなく、お互いの与える事が出来るものを交換し合う……坊や、この関係はそんなにおかしいものかしら?」


 気付くと、ライキの正面にはザラドが立っていた。逃げようにも足が動かない、突き飛ばそうにも手が動かない。その場に縫い付けられたように、ライキは行動を封じられたようだった。


「今までの関係を保つのならば、これからも私達は人間に何らかの形で。母として当然だもの、その代わり……という事よ。それに……坊やの村で最初に収穫したのは、何かに誘われるように……偶然だったのよ」


「違う、違う! お前らはトラデオに伝わる伝説が邪魔だったからだろう、だから襲ったんだ、二度と人間が逆らう事など、お前らの本意に気付く事が出来ないように!」


 怒号を飛ばすライキに、ザラドは怯まずなだめるように言った。


「落ち着いて、坊や。トラデオの人間に恨みは本当に無いの、ファリナが結界か何かで隠していたようだけど、たまたま結界が外れた時に私が村を見付けただけ。そうよ、ただ――」


 ザラドは言った。言葉を理解しない赤ん坊に、子守歌を歌うように。昔話をせがむ幼子に、寝床で語るように。


「今までの対価に、私が生きる為に魔力を貰った。それだけなのよ」


 ライキは心中で何かが爆発した感覚を覚えた。


 赤黒い、暗い影を纏うそれはきっと「怒り」なのだろう――ライキは悟った。すぐ後ろにいたファリナの手を掴み、彼女から教えられた通り、声に出さず、しかしそこに「怒り」を混ぜ込んで念じる。




 ここで動かねば、俺の貧弱な精神はとうとう参ってしまう。ならば俺は使命を全うしよう、ここで折れやすく脆い精神と別れる為に。だからファリナ、俺の刀となれ――。




 目を閉じ、すぐ前に立つ魔女へと刀を走らせる。抜刀の訓練も、闘争術も学んでいない。彼の身体を動かしたのは、一途にザラドを討つという「使命感」であった。


 刀身にザラドの肉から伝わる柔らかな感触は無かった。だが彼は予想している、当然にザラドは――。


「決別を申し出たのは、坊やの方なのよ。理解しておいて」


 刀の切っ先に鼻が触れるか否か、ごく近い距離に立っていた。

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