頭上
涼しげな音を立てて流れて行く小川に手を差し入れ、喉を潤すライキはファリナの方を見やる。彼女は水を飲まずに生い茂る葉を眺めたり、高空を飛び交う鳥を見つめていた。
「ファリナ、昨日教えてもらった魔女への対抗手段ですが……」
「あぁ、ごめんなさい」ファリナはライキの傍に寄り、彼と同じく膝を地に着けた。
「『刀』の事ですね。簡単ですよ、ただそのように念じ、私の手を握るだけです」
「念じる?」
「そうです、『刀になれ』と心で思うだけ。そして手を握る、戻す時は『魔女になれ』とやっぱり念じるだけ……これだけで貴方は自由に私を変化させられる。ややこしい造作も儀式も儀礼も必要ありません。私を武具として使ってください、配慮は一切必要ありませんから」
信じ難い。ライキの正直な感想であった。一方のファリナは「さぁどうぞ」と右手を差し伸べてくるので、仕方なく(そして少し恥じらいながら)心で指示通りの命令を下し、彼女の手を取った。強く握れば潰れてしまうような、熟れる時を待つ果実の如き感触であった。
次の瞬間、ライキは驚嘆の声を上げた。
ファリナの身体は瞬く間に綿雪のような光に包まれ、ライキの手に纏わり付き始めた。気付くと彼の手には柄の白い、見た事の無い程に美しい刀剣が握られていた。
その刀は鞘が無く、剥き身の刃が木漏れ日に照らされて粘るような輝きを発している。刃の先まで走る雄大な山脈に似た刃紋は、村の男達が苦労の末に仕留めた猛獣の牙を思い出させた。
どんなに固い表皮も切り裂き、堅牢な鎧も砕いてみせると言わんばかりに剥かれた牙……その獰猛さと一種の気高さが、握られた刀には備わっているようだった。
軽く握り、辺りを二度、三度と斬る真似をする。重量こそあるものの、意外な程に振りやすい事にライキは再び驚いた。
何かを斬ってみよう。
ライキは好奇心に駆られて、こちらに伸びる枝に向けてその刃を滑らせた。ポトリ、と両断された枝が地面に落ちる。そして三度ライキは驚いた。刀身に伝わるはずの生木の感触が無かったのだ。
かつて丁寧に何時間も掛けて研いだ斧や鉈ですら、多少なりとも木材特有の抵抗を感じた彼だったが(トラデオではより抵抗の強い木材などを生意気者と呼んだ)、今回に限ってはその抵抗が見当たらない。自分の手が狂ったのかと考えたライキはすぐに手を見れども、異常は何処にも認められなかった。
魔女になれ。
ライキはそう念じながら刀を見つめていると、先程と同じように光の粒子がフワフワと刀の――更にはそれを握る手の周りを飛び回り、果たして優しく彼の手を握る魔女が顕在した。
「如何でしょうか。非力な私の唯一と言ってもよい、攻撃的な魔術、『
誇らしげに説明するファリナは、足下に落ちていた枝を拾い上げた。
「よく斬れましたでしょう?」
「はい、感触がまるで無くて。……憶えているんですか?」
「えぇ、何を斬ったか、そしてライキが何を思ったか、しっかりと憶えています――」
一つ、ライキは思い付く。今後魔女を斬り殺した時に、彼女はその感触や断末魔を刀のまま記憶しているのだろうか? 彼はファリナに問うと、「はい」と首肯した。
「貴方だけが、魔女とはいえ生を奪う瞬間を感じ続けるのは不公平。私も一緒に、その瞬間を刀身となり感じます。それが脆弱な魔女であるファリナの贖罪、そして……」
ファリナは枝を小川に流し、その行く末を見つめる目は細められていた。
「かつて同胞だったあの人達への……追悼、でしょうか」
それからライキは鞄からダルと呼ばれる食べ物を二つ取り出し(原料の植物を磨り潰し、発酵、加熱を経て作られた保存食)、その内の大きな方を彼女に手渡した。
「ありがとうございます、でも……貴方が食べて。私はそこまで食べ物を必要としないから。気持ちだけ頂きます」
一度差し出したものを再びしまい込む事に抵抗を覚えつつも、ライキは小さな方のダルを齧り、飲み込んだ。喉に支えるような味だった。
最後の一口を飲み込み、「行きましょうか」とファリナに声を掛けようとした時、彼女は途端に顔色を変え、鼻をヒクヒクと動かして見せた。
「どうしたんですか――」
「来ます」
心臓が一回、大きく高鳴った。ライキは辺りを見渡すが、何ら目新しいものを見付ける事が出来ない。
「――ザラドが来ます」
不吉な三文字を耳にした瞬間に、何処からともなく「お呼びかしら?」と聞き憶えのある艶やかな声が森に響いた。
「またお会いしたわね、坊や。それと――愛しいファリナ?」
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