Emergence
最初の朝
朝露に濡れた大木の下で目を覚ましたライキは、まだ睡眠が充分でない事を頭痛によって理解した。軽く頭を小突きながら、彼は似て非なる痛みを思い出す。
夜遅くまで本を読んだり討論に耽った時に必ず起きる頭痛、要するに寝不足に起因するものである。決してライキはこの頭痛を嫌っていなかったが、今日のそれは全く性質の違うものに感じられた。
今までのものは徹夜の読書や討論の結果として生じた寝不足であり、またそれは新たな知識、思考力が蓄積された事による代償に思えたからだった。
しかしながら――今回は知識も思考力も、全く何も得られていない。見る必要の無い光景や人間の本質、背負うはずの無かった責任が彼の後ろを付いて回るだけだった。
このまま横になっていれば、誰かが代わりに俺の役目を果たしてくれないだろうか?
しばし考え、「馬鹿らしい」と彼は起き上がった。今やトラデオの人間は俺一人であり、ライキという存在を元にこれからはトラデオ村という「性質」を推し量られる。ならば退屈で頼りない人間である事を許されないのと同義だ――ライキはピシャリと自身の頬を打った。
「おはようございます、ライキ」
カサカサと濡れた葉を掻き分けて、魔女狩りの旅の随行者が現れた。ライキはばつの悪い顔をして頭を下げ、近くの小川で顔を洗った。
「朝は冷水で顔を洗う、変わらない習慣ですね」
「誰だってそうじゃないですか……ファリナ」
愛想の無い言い草をしてしまった為、ライキは自省するように大袈裟に水を顔に当てた。飛び散る水滴によって服を濡らした彼を、ファリナはクスクスと笑った。
「冷たそうですね、それに、敬語は必要無いと言ったのに」
昨晩にこの場所を休息地と定めた時、ファリナはライキに「敬語は使わなくてよい」と言った。対するライキは「分かりました」とすぐに敬語を止めようとする程に、柔軟性も大胆さも持ち合わせていない。
彼女の名前を呼び捨てにするのは、彼なりの折衷案なのである。
「敬語を使われると、何処か線を引かれている気がして落ち着かないのです。昔からそういう性分でして……」
ならばあんたこそ敬語を止めろ、とライキは横目に思った。
二人はトラデオ村から持ち出した食料を鞄から取り出すと(彼らが当分食べていけるだけの量はあった。相当な重量ではあったが、水運びをこなしていたライキにすれば問題では無かった)、無言のまま食べ始めた。
初めて迎えた二人での朝食は、村の農場で作られたシャネと呼ばれる果実だった。栄養価も腹持ちも抜群であるものの、味が良くないと専ら保存食として生産されていた果実である(他にも何らかの効果があると噂されていたが、果たして誰もそれを知らなかった)。
全く美味くも何ともない。どうしてこんなものを作り続けたのだ……。
ライキはシャネに入っている大きな種を吐き出し、心中で文句を言った。チラとファリナの方を見やると、ゆっくりと味わって食べている素振りを見せていた為に、彼はやや驚いた。
懐かしげに咀嚼し、子供のようにプッと種を吹き出すファリナを、ライキは「果たして本当に魔女なのか」と疑う程、初めて湖畔で出会った時に比べて神聖さが感じられなかった。
何処にでもいる、ごく普通の少女。
今のファリナはそれ以上でも、それ以下でもなかった。
簡素な朝食を終えた二人はそのまま歩を進め、太陽が昇り切る頃にはネイラ山という大きな山の麓まで辿り着いた。ネイラ山を越えるとマピーナという町に着く事から、トラデオの人間は山を「文明との境界」と呼び、村の未発達ぶりを皮肉っていた。
「この道を行けば町に着くけれど、魔女は道中にいる事になるんですか」
「そこまでは分かりません。ただ、このネイラ山からはザラドの匂いがするのです。作られたような、良いけれど槍で突かれるような刺激のある匂い。間違いはありません」
迫る山を見上げながらファリナは鼻をスンスンと鳴らし、「うん、います」と持論を補強するように言った。
五人の魔女は生まれたばかりの村を訪れ、「良い魔力の匂いがする」と褒めた。人は皆が魔力を持ち、また特有の匂いを持つ。善良な者は爽やかな、悪徳を賛する者は胸が支えるような匂いを持つ――。
魔女伝説の第三章で書かれている一文である。ライキはこの文言を思い出し、「本当の事だったんだ」と一人納得した。勿論、彼は他人の魔力の匂いなど感じた事は無いし、ジリやワリールも例に漏れなかった。
自分は一体、どのような匂いがするのか?
いつか心に余裕が出来たらファリナに質問しようと、後ろから付いて来る足音を聞きながらライキは思うが、同時にそのような暇はきっと無いだろう――と諦めた。
緩やかな傾斜の山道を行く二人は、殆ど会話らしい会話を交わす事無く、ただひたすらに土や枝を踏む音を聞いた。ライキ自身は他人と無言の時間が続くのを苦と感じない性格であったものの、背中にのし掛かる魔女狩りへの緊張、責任感が彼に「世間話がしたい」という、らしからぬ欲求を芽生えさせた。
取り留めの無い会話によってもたらされる鎮静効果を、ライキは内心強く欲しているのだ。しかしながら――相手は幾つ年上か分からない程の長命な魔女、自分のような若輩者が無駄話など仕掛ける訳にはいくまい……と、少年なりの礼儀だった。
そう思い遣れども、ひどく無礼な態度を取ってしまう彼は自分の不器用さに苛立ち――輪を掛けて無口になってしまう。
「そういえば」ファリナが思い出したようにライキへ話し掛けた。待望していた会話の急な到来に、幾分かたじろいでしまった。
「……何かありましたか」
「全ての魔女を狩り終えたら……貴方はその後どうするのですか」
「特に考えていません、村に戻るとは思いますが」
「そうですか。……でしたら、今から少しずつでもいいので、狩り終えた後に『何をしたいか』『何が欲しいか』を考えておいてください」
求めていた世間話とは多分に毛色が違うものであった為に、ライキは更なる混乱に直面する。
全ての魔女を狩り終えた後、俺は一体どうするのか?
最早自分しか生き残りがいないトラデオ村の歴史を、慣習を後世に伝えていけばいいのか、それとも……。
「魔女狩りが終われば、誰かが願いを叶えてくれるのですか」
彼の問い掛けにファリナはやや間を置いて返答した。
「……はい。私が願いを……叶えます」
ライキは歩くのを止め、振り返って彼女の顔を見る。至極当然、といった表情であった。
「魔術が使えないのに? どうやって――」
「魔女は人間と比べて膨大な魔力を蓄えています。そもそも魔術とは起こらないはずの現象を魔力によって無理矢理に実現する、所謂『何らかの法則を書き換えるインチキ』。ならば五人分の魔力が揃えば、一人分の願いならほぼ叶える事が出来る」
「例えば村人を復活させる……とかは?」
かぶりを振るファリナの目は何処か悲しげだった。
「願いを叶える魔術……実は……私が考案した独自の魔術なのですが、私に備わる魔力の性質上、生物の死を招く事が出来ません。逆も然りで、死んだ人を生き返らせる……という事も残念ながら。でも、何かを作ってあげたりは出来ますよ」
果たして二人は歩き出し、奥へ奥へと歩を進めた。道中にライキはふと「何かを貰う、という願いに絞ろう」と結論すると、次に自分は何を求めているのかと思案した。
城のような豪邸、湯水の如き金銭……。
考える内に彼は自身の想像力が如何に凡庸で弱々しいものか、そして何と欲の無い植物的な男かと自虐した。しばらくするとファリナは「急ぐ要件ではありませんので」と言った。
長い坂道が終わり、木々の向こうに点を落としたような家々を認めた二人は、誰かが休憩用にと作ったらしい粗末な木製の長椅子に腰を掛けた。
山の何処かに村の仇がいる、もしかしたらこちらの様子を伺っているのかもしれない……。
手の先が熱くなり、そして冷たくなった。迫る狩りの瞬間に、彼の心身は充分な構えを取れずにいる証拠であった。
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