真っ当なる殺意

 ファリナは居住まいを正し、正座をして彼を見上げる。その光景はトラデオ村に伝わる婚礼儀の最後の手順、「捧げの段」によく似たものだった。


「貴方に全てを、お任せします」


 独特な文様を描いた服が風で微かに揺れる度に、ライキは「もしかするとこれは夢の中ではないか」と錯覚した。開かれた目に沁みる夜風が、何処かの家で作っていたらしい料理の匂い――そしてファリナ自身から放たれる香のような匂いが彼を何度も現実へと引き摺り出す。


 ふと近くに斃れている夫婦を見たライキは、途端に青ざめた顔で彼らの元へ走り寄った。続いてファリナも彼の後を追う。


 夫が妻の上に覆い被さるように、妻は夫に縋り付くようにして絶命していた。夫の身体を何とか妻から剥がすと、程なくして死体はだと判明した。何かを恐れるような表情を浮かべるレーネ、彼女を恐らくはザラドから護ろうとした旦那。


 旦那はやはり、レーネを愛していたのだ。そして彼女もまた、彼の隣を最期まで離れなかった……。


「死の間際、この方は奥さんを護ろうとしたのでしょう。魔女から逃れる事が出来ないなら、せめて自分から……と」


 悲痛そうな声のファリナは二人の傍に跪き、祈るような所作をした。対するライキは、ただその場に立ち尽くしていた。しかしながら彼はある決意をした、その為に祈るという行為を取る余裕が無かったのだ。


「……分かった、これで分かった。ここまで来たからにはどうしようも無い」


 ファリナは祈りを止め、彼を見上げる。


「この村に価値など殆ど無い、老人達は陰気だし若者も少なければ観光地も無い。でも、俺がずっと暮らした村だ。村の仇は、その村に住む人が討たなければならない。だから……だから――」


 少年は拳を握った。肌に食い込む爪によって血が滲みそうになる程であった。


「俺は闘う。、人間が二度と虫けらみたくに殺される事の無いように、収穫の夜が二度と訪れないように。だから俺は目を明けたんだ、希望の朝を望む為に……」


 ゆっくりと立ち上がったファリナは、彼を労るような目で見つめた。


「……如何なる出来事が貴方に降り掛かろうとも、困難が立ちはだかろうとも、刀の切っ先が何処を向こうとも……誓ってくれるのですか」


 育った村を滅ぼされ、人間の本性を見せ付けられ、更に尊敬していた人物から妬まれ殺され掛けた以上の不幸が、果たして降り掛かる事はあるのか? すぐに彼は「無い」と断定し、彼女の問い掛けに力強く頷いた。


「……何かに選ばれた者には、それを履行する権利と同時に義務が生じる、だから俺は逃げない。あんたにも誓っていい、俺は――


 刹那、ファリナの身体が白く輝き始め、足下から風が吹き出しているかのように白い髪が、複雑な文様を浮かべた服がなびく。突然の事に臆するライキに、彼女は右手を差し伸べた。


「手を取って。私の魔力を共鳴させます」


 輝く手は栄光と奇跡、そして小さな不穏さを秘めているように思えた。だがライキは寸刻を置かず、伸びた手を取る。温かい、柔らかな手だった。


「『汝の腰に差す刀、其れは眼前の希望也。己がままに振るい断つ事、夢と紛わず常とせよ。魔獄を始点に夜から背き、人園を終点に朝へ向かわん。魔女ファリナの五体を流るる、清く穢れた血が祝福せり』」


 光り輝く魔女を見つめている内に、彼女の輪郭が曖昧になり始めた事に気付いたライキは、すぐに「目明け日」の夜を思い出した。


 何気ない事だと聞き過ごし、見過ごしたものが一堂に会し、歩調を合わせて迫って来る感覚に陥った。




 今こそが、俺の目が明いた瞬間なのだ。




 ファリナから放たれていた光が弱まり、いつしか髪や服をなびかせていた風が収まっていた。何かの作業が終わったのだろうとライキは考えていると、こちらを見る彼女の目付きが何処か冷酷なものに思えた。


 どうしてそのような目をするのか――と問い掛けて彼は止めた。自分には他人の感情の起伏に一喜一憂する暇が無い事を理解していたからだった。


「魔女は今……何処にいるんだ」


 彼の目標はただ一つ。村を滅ぼした魔女を、サフォニアの人々を家畜化した魔女達を討つ、それだけだった。


「あの山の辺りから、魔力の『匂い』がします。でも……大まかな場所ぐらいしか分かりません。けれども、あの人、ザラドは『自分の敵がいる訳が無い』と考えているに違いないです、そういう魔女です。その自信が弱みでもあり、強みでもある……」


「山の方を捜そう、それしか無い。……そういや、魔術か何かで捜す事も出来るのかい」


 ファリナはかぶりを振った。力になれず申し訳ない、と仕草でライキに伝えているようだったが、彼は「そうか」とだけ答えて歩き出した。


「あ、あの……」


 裾を引かれたライキはつんのめりながらも振り向いた。


「何か?」


 彼女は首を傾げるライキに問うた。


「貴方の名前を聞いていません。あるでしょう、名前……」


 そういえばまだ名乗っていなかった、と少年は思い出す。相手に名乗らないという事は、そのまま相手を信用していないという意味だ――ジリから教えられた礼儀の一つだった。


「悪かった、俺の名前はライキ。あんたは……いや、貴女はファリナ、でしょう?」


 感情が昂ぶっていたにしろ、仮にも村を守護してくれていた魔女に「あんた」呼ばわりし、加えて敬語を使わなかった事を彼はひどく恥じた。


 無作法極まりない者に国の命運を変える権利は無い、そうだろう? ジリ――少年は老爺の小馬鹿にするような笑顔を懐かしんだ。




 まだまだ目明けは遠いな、ライキよ……。




 風音に混じり、彼の声が聞こえた気がした。それから二人は黙したまま歩き出し、魔女狩りの旅を始めた。


 やがて無念のままに砂と消える、村人達の慟哭が木霊する村、トラデオが彼らの出立を見守る中――。

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