調心

「おうおう……ライキよ、やはり来たかね」


「呼んだのはジリ爺さんだろう」


 大小様々な羽虫がジリの家に置かれた篝火の周りで、まるで焼かれるのを競うかのように飛び回っていた。日は暮れ、トラデオの村に漆黒の夜が訪れていた。


「そうだったかね……この歳になるとどうも記憶がの……ヒェッヒェッ」


 揺れ動く火に照らされたジリの顔がクシャクシャになった。相手の心を無作法に撫でるような笑い方をするこの老爺が、ライキはいまいち得意ではなかった。慣れない正座がその意識を更に助長するようだった。


 いつもならば多くの村人で溢れかえり、村一番の年長者であるジリから昔話や英雄譚を聞き出そうとする頃であったが、今日はジリとライキ以外誰もいなかった。


「さてさて、今日は良い目明け日さ。ほら、森の方でホウホウ鳥が鳴いておる……」


 洞窟に風が吹いたような声で鳴くホウホウ鳥と、自分の目明け日に何の関係があるんだ……と少しだけ苛立ったライキに、ジリは先程のような笑い声を上げた。


「落ち着けライキ。そう心を荒げては言葉が染みてこないぞ……」


 見事に心を見透かされ、ばつの悪い少年は「分かったよ」と大きく深呼吸を二度、三度してから目を閉じ、幼少期にジリから教えてもらった「調心」を行った。


 暗闇に一つの篝火がある。それが轟々と燃え上がる程、自分の心に迷いや苛立ちといった「ざわつき」が存在している事を示唆する。


 ライキは身体すら飲み込まんと大きく揺れる炎を宥め、あやし、落ち着きを取り戻させるのだった。


 その炎は自分自身だ――ジリが日頃ライキに口酸っぱく投げ掛ける言葉だった。段々と炎は小さくなり、その内に拳程の大きさで落ち着いた。


「……ごめんよ、爺さん」


 果たしてライキの調心は完了した。早く自分がジリに呼ばれた理由を知りたい、急き立てるような気持ちがライキの心を乱したのだった。ジリは満足げに頷き、ヨロヨロと立ち上がってウィーム酒という酒を持って来た。


「飲みなさい。一七歳の目明け日にのみ、飲む事が出来る――いわば『魔力を授ける酒』……」


 ジリは再び笑った。しかし調心を終えたライキはその笑顔にもウィーム酒の信じ難い効用にも動揺せず、黙して酒を飲み干した。


 途端に視界が揺れ動き、水底から水面を見上げた時のように全ての輪郭が滲んでいく。目を擦って幻覚を打ち払った彼は、続いて舌が痺れて喉を突かれるような、独特な味に顔を歪ませた。


 何というものを飲ませるのか……と老爺を恨めしげに思いつつ、空になった容器を自身の右横に置く。目上の者に対する酒宴の礼儀だった。


「ヒェッヒェッ……よく礼節を保つ者は魔女に好かれるぞ? じゃあ……そろそろ話そうかね」


「話す? 何をだい?」


 ジリの目がギラリと光る。動物のようだ――少年は思った。


「魔女伝説の『続き』を」




 サフォニアを造った五人の魔女を描いた伝説は、全部で六章存在する。老若男女皆が知る常識であった。ライキもその一人のつもりだった。


 魔女伝説は六章で完結する、当たり前の事だ――。


 しかしながら目の前の老爺は、その常識を踏みにじるように、魔女伝説には続きがあると言い切った為に、ライキの心は再度乱れ始めた。


「……どういう事なんだ。続きって何だよ、五人の魔女は国をすっかり造り終えてから隠遁したって学校でも――」


 ゆっくりとかぶりを振るジリの白髪が微かに揺れた。そこらを飛び回る羽虫のようだった。


「学校ではそのように教えるのさ。聞き心地の良い夢物語……その方が国民は安心して生活出来るからな」


「安心……?」


 ライキの戸惑いなど意に介さぬと言わんばかりに、ジリは薄らと笑みを浮かべて語り続けた。


「ライキが先程言った『隠遁』……それは本当さ。しかし、だ……隠遁した理由は何処にも述べられていない。六章まではな……」


「だって魔女達は建国した時、諸手を挙げて喜んだって――」


「何故喜んだか? 何故面倒な国造りをしたのか? その理由を考えた事は?」


 少年は押し黙った。今日この日まで、どうして魔女が国を造ったのか、あっさりと隠遁したのかを考えた事が微塵も無かったからだった。


 そのようなものだ、深い理由など無いのだと自身に言い聞かせる事は一度も無く、学校で教えられるままに伝説を飲み込んだのである。


「この村は寒村も寒村、移住者はおろか国の役人すら滅多に訪れぬ――故に伝わる物語は混じり気が無く、生きたまま、毒すらもそのまま残っているのだよ……」


 ライキは生唾を飲み込めずにいた。微かな音を立てる事すら憚れた、そのような気がした。


「教えよう、第七章『収穫の夜』。か弱いお前に、この毒気が回る事をあえて恐れず、ありのままに……ヒェッヒェッ」


 微動だにしない少年はまるで人形だった。老爺は人形遊びをするかの如く、独り言のように続きを語った。

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