第十章 天還祭(2)

 祈天殿きてんでんは紺・黄・緑の三色縞の瓦屋根をした円形の建物で、歴代皇帝が祭祀を執り行ってきた場所とあり、細部まで瀟洒に飾り立てられている。

 九本の柱が二重に、計十八の柱が屋根を支え、それぞれ内円に朱色に彩雲と飛天が極彩色で、外円には金で蔓花が描かれている。

 天井には屋根の擬宝珠から突き出た金色の珠が中央に突出し、紺色に塗られた周囲には星官が描かれている。即ち、中央の金の珠は太一ということである。

 これらの空間の北面には祭壇が設けられて、天井から四条の帯がぶら下がった幡が飾られている。

 祭壇の中央には動物たちや雲形が刻まれた石版・鹿石、赤や白の顔をして金の衣装を纏った曄地方の神々が安置され、すぐ下の壇に雲首型の位牌が並んでいる。『今上天皇聖寿萬安』と書かれており、古い物のようで曄朝をはじめとし、歴代の王朝で厳重に保管されてきた今上帝の治世が長く続くよう祈られた牌である。

 次の下段には神饌――五穀、餅、野菜、果実が幾何学紋を描きながら円柱に飾り付けられ、塩、黒白の酒、乾物類、湧水が備えられていた。

 遊牧七民族同盟イェッテ・カビーレをはじめとする各国からの貢物は更に下の壇上に所狭しと並んでいる。

 コタズ族は毛皮と薬草、エイク族は神剣、ブカ族は五彩の布で飾り付けられた水牛の角、ウシュケ族は乳製品と玉、アルトゥン・コイ族は金工の装飾具、カラ・アット族は臓物を分けた鹿と生きた黒馬を各一匹。

 南側や東北の諸国からもそれぞれに香辛料や海産物、それに織物数反などの貢物があり、贅を尽くした宝物の数々は灯りに照らされてきらきらと星の川のように瞬いている。

 ションホルが自ら育てた四羽の海東青白はやぶさは止まり木に足を繋がれて、あるものは静かに、またあるものは羽ばたきをして祭壇の脇にあった。

 遊牧七民族同盟イェッテ・カビーレの代表の面々は夕方少し前に朱雀大路の迎賓館より来て祭祀に列席した。

 トゥルナ族の神官たちが赤い祭祀用の衣装を身に纏い、一方では祭祀に向けた演奏を、もう一方では来賓に饗応している。

 食事面での潔斎には遊牧七民族同盟イェッテ・カビーレの来賓にも協力を仰いだので、彼らは久々の酒と肉食に満足げに舌鼓を打っていた。

 音楽隊の神官たちは鐘・磬・琴・瑟・笙・鼓など十二の楽器を巧みに操り、あたかもここが天上の宮殿であるような空気を作り出している。

(僕がまたこの場にいるだなんてな……)

 ションホルの手配したヨルワス族の礼装を身に纏ったシャマルは感慨深く祈天殿を眺めた。

 瑛の参加者の一人として上座に席を賜ったシャマルは、酒や食事に盛り上がる遊牧民の代表たちを見て、十三年前、己があの場に――カラ・アット族の酋長の隣にいたことがまるで現実味のない夢想のように感じていた。だが、十三年前が夢なのか、今また天還祭の儀式に参加しているのが夢だと感じるのかは判然としない。両方とも夢だといえたし、反対に両方とも現実だともいえた。

 因縁めいたものを感じながら蜜のように甘い香と金の盃に注がれた神酒を呑み込む。カラ・アット族の新しい酋長の隣にはまだ紅顔の少年が照れくさそうに勧められた酒を飲んでいる。

(周囲から見れば僕もあんな風に浮かれていたんだろうか)

 今やシャマルをカラ・アット族出身の青年と知る者はいないし、シャマルも各地に散らばったカラ・アット族の中から選ばれた代表の男たちの顔を知らなかった。

 まるで元から別の生まれであるかのように、シャマル自身の身なりも心構えも今の部族とはかけ離れている。

 ションホルはシャマルに天還祭を変えるといっていたが、その通り、十三年前に比べて貢物の数はうんと減った。

 音楽隊の楽器も饗宴の内容も少しずつ違っている。

 以前は招待を受けていなかった複数の国々が勅使を寄越している。国が変われば国交も変わるのだろう。だが、あくまで瑛国を格上に据えた義兄弟の契りに、弟として甘んじた各国の思惑は知れない。

 饗宴が半ばを過ぎ、鐘が音階を奏でると祭祀用の紫の礼装に身を包んだションホルが北側の門から祈天殿に入ってきた。

 星辰や龍、雷紋、鷹、祭祀礼器、山、火などの文様が刺繍されている冕服べんふくに、頭には冕冠べんかんを被っている。

 悠然とした足取りだが、むっつりと口を一文字に結んでおり、祭壇の前に跪くと九回礼をして冷ややかな視線を祭壇に送る。

(アルトゥンはやっぱり気にしているようだな)

 ションホルは祭祀に合わせた厳然なようすだったが、その心の内の憂鬱をシャマルは知っていた。

 天斎宮の居室に密かにシャマルを招き入れたションホルは本来天還祭の大神官・祝爺ツゥイェになるはずだった男ムグズが逃走していまだに見つからぬこと以外に、天還祭で重要な古神宝『倶利伽羅くりから刀』を禳州に探しに行かせたが、本祭を迎えた現在も届かぬことに心を曇らせていた。

 倶利伽羅刀は別名を祝いの直刀といい、シャマルも過去にその美しさを目にしたことがある。祭祀用で実践に向かぬ姿だが、その実殺傷能力は高い。天還之儀で代々の姫神子はこの刀を以て天に送られていった。

 天還之儀は大神官、姫神子、倶利伽羅刀が揃わねばならない。三という数字を神聖視する為らしい。これが届かない理由をションホルは衆望高い天還祭を成功させぬため、反瑛勢力が企みに加担していると睨んでいた。

 どうにか届くようにとシャマルは禳州への道を辿ると申し出たが、信頼する臣下たちに託しているため、シャマルが出向いたところですれ違っては意味がないと制された。それよりも万が一の敵襲があれば姫神子を救ってほしいと。

 姫神子はアルマだ。

 十三年前に姫神子の地位から遠ざけたのに、まるで収斂するかのように運命的に姫神子の地位を得た。しかも、トズ族の異能の女が天還祭で一波乱あるという予知をした。アルマに武器を向けられているという夢を見たらしい。

――また奪われてなるものか。

 予知夢の中で誰かがそう叫んだとトズ族の女はいったという。ションホルは半信半疑だというが、うすら寒い影を感じるのはその台詞がションホルにもシャマルにも当てはまるからだろう。

 ションホルはどこまでもその運命に抗うつもりでいる。

 例え神前であっても妹を守るためならば流血は厭わない、と鞘と柄だけを豪奢に作り替えた実戦用の短剣を宝剣として、祭壇内で儀礼に使われる小型の弓矢とともにシャマルに与えた。

(アルトゥン、君の言うように予知がでまかせならいいんだけど)

 天還之儀というだけでいいようのない不安が募る。シャマルは腰に佩いた弓の弓弭ゆはずを握りしめた。

 新たな音楽が奏でられた。音に合わせて神官たちが蘇摩そま香と蘇摩の葉を手に持ち南門から入ってくる。二手に分かれて賓客の前を円に並ぶ。香と葉で清められた道を、同じく南門から入ってくる人影が見えた。

 白い絹の襦袢を胸元まで上げて、上から白い金襴のうすものを羽織り、それらを太い朱の帯で結んでいる。髪は頭頂に結い、七宝の花や蝶を連れた金の簪を差していて、羽織と似た生地の紗を被っていた。

 手足にはそれぞれ金の連環と鈴をつけており、耳や胸元を宝石のついた金の瓔珞で飾っている。一歩歩けば簪に鈴、そして瓔珞が清らかな音を立てて観衆の耳に天上の音を添えた。

 しかし、ションホルもシャマルも驚きのあまり眼を見開いていた。

 姫神子として登場した女はアルマではなかった。

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