第九章 再会(3)

「お前は今までどうしていた、キジル。顔の傷は本物か? 昔に比べて大層男前になったじゃないか」

「君が厭味ったらしいのは昔とそう変わらないね。だいぶ丸くなったようだけど。――僕は今はシャマルと名乗っている」

 ションホルは彼が名乗っている名前が以前の天還祭で失った彼の父親の名だということに気が付いたが、由来を言い当てることも追及することもしなかった。

「ミウェにアルマという偽名をつけたのもお前か?」

「そうだよ」

「ふん、果実ミウェ苹果アルマか」

 シャマルは天還祭から逃走し、ブルキュット族の部落でアルマを連れて行ったことを話した。エイク族に拾われ、傭兵に身をやつしてアルマを養いながら金を稼いできたこと。ションホルと違い歴史の奔流に流されて命運を燃やすことはなかったが、それでも温かい部族の宿営地で育った己にとっては苦労の日々だったこと。

「それで、ウシュケ族の村に滞在していた時にアルマ――ミウェが“王の使者”に略奪されたと聞いて追いかけてきた。だけど、杞憂だったかもしれない。連れ去られた先が君のいる王宮なのだから。――ミウェには会ったかい」

「会った。ねやに忍び込んだらミウェだった。……服を剥ぐまで気付かなかったけどな」

 シャマルは眼を瞬いた。

「君たち、まさか何事もないだろうね」

 驚嘆して思わず問い詰めるシャマルにションホルは笑う。

「すっかり俺よりも兄貴面だな」

「当たり前だろう。君が兄をしていた五年間よりも僕が兄をしている十三年のほうが遥かに長いんだから」

「何事もねぇよ。ただちょっと肌を見ただけで。ラズワルドの首飾りが出てきた時は目を疑った」

「名乗り出たのかい?」

「しねぇよ。ていうか、お前たちこそその反応じゃ何事もないようだな」

「当たり前だ!」

 眉間に皺を寄せて腹立たしげなシャマルを見て、ションホルは安心した。元よりそういう人間だと十三年前に見抜いて妹を託したのだから。

 とはいえ、肝心の妹は夜伽に訪れた際にシャマルの名を発していた。シャマルにその気はなくとも、妹にはその気があるということだ。ションホルにしてみれば、シャマルは堅物だ。しかも十三年前の恋慕をいまだに引きずっているのは想像に難くない。難しい相手を恋慕する羽目になって妹はさぞやもどかしい思いをしていることだろう。

「で、お前はミウェを取り戻しに来たんだろう。俺は聞いての通りのご身分なんでな。兄妹だと公式に知られれば、ミウェをいずれかの地位に縛り付けることになる。生き残りのブルキュット族の姫というのも利用するには響きが良いしな。象徴としてはおあつらえ向きだろう」

「だから兄と名乗らないのか」

「そうだな……」

 少し焚きつけてやろうと思ってションホルは言葉尻を濁した。

「ミウェは愛らしく育って、しかも武にも通じるようだ。少し知識が足りないのはおいおい教育で何とかなるだろう。兄と名乗らずにいれば妻にするも不可能でない。むしろどこぞの変な男にくれてやるのならば俺が娶る」

 シャマルが嫌悪を露わにした。

「兄妹だぞ!?」

「カラ・アット族は遊牧民には珍しく肉親との婚姻を成さないのか? 遊牧の民は父親に不慮の事故があった時、実の母でなければ父の妻たちを己の妻にするだろう。ブルキュット族は定住して久しいが古来の方法で実の母と同腹の兄弟以外の婚姻は認められている」

 青ざめるシャマルを目の前にションホルは少しいい気分になる。

「それよりも、アルマには会わせてもらえるのかい? 君の元に残るかどうかは別として、無事の確認だけでもしたい」

 苦手な話題なのだろう。シャマルは強引に話題を変えてきた。ションホルは面白くなさそうに舌打ちでもするかと思ったが、至極真面目な顔をした。

「ミウェは無事だ。一応はな」

「一応ってどういうことだい」

「天還祭を行うことは耳にしているか」

 シャマルは頷いた。ションホルは苦悶に満ちた表情をした。

「ミウェが姫神子に選ばれた」

 シャマルは思わず椅子から腰を上げた。いてもたってもいられず、すぐさま穹廬を飛び出していきそうな勢いだ。

「何故……! 皇帝の君が止められなかったというのかい」

 声色には非難の色が現れていた。

「皇帝なんて万能じゃねえよ。卜占の決定権は以前からトゥルナ族という少数民族が握っている。祭祀を担っている部族で以前の天還祭の神官たちも皆トゥルナだ。仮に俺に姫神子の拒否権があったとして、皇帝が私情を挟んで拒否するのは果たして正しいか? お前になら分かるだろう」

 本当はシャマルにも分かっている。公正をきさなくてはならない地位の者が私情をふるって良いことがあったためしはない。しかし、昔のままの彼なら、無理やりにでもアルマを守って姫神子の地位から遠ざけてくれるような気がしていた。それだけションホルが成長したともとれたし、皇帝という座がしがらみだらけなのだともとれた。

 シャマルは静かに怒りを湛えて着席した。

「君は良く冷静でいられるね」

「俺だって聞いた時は動揺した。だが、以前と違って天還祭は全く俺の手の届かないものではない」

 珍しく本気で嫌味をいうシャマルを鼻で笑い飛ばす。

「俺は天還祭を変える。天還祭は民衆が望んでいる。勿論今でもくだらない祭祀だと思っているが、こういう旧来の慣習は受け継ぐが吉だ。性急な文化の押し付けは嫌悪と将来の分断を招く。上手くいけば民衆の心を掴める。水は流れるほうに、だ。但し、やり方を変える。大神官――祝爺ツゥイェ役は俺がする。姫神子も大神官も命を捧げることはない。北戎ほくじゅうの祭祀の要素を取り入れて、旧式の祭りを支持する者たちにいかに“戎”ではないかを知らしめる」

「何か策を講じるということかい」

「間に合えば、だがな」

 北戎とは曄地方から見て北方の遊牧民族たちを蔑む言葉だ。ションホルが口の端を吊り上げて皮肉げに語るのを、シャマルは肯定と捉えた。

「公にはしていないがこのところ宮内に不審な点がある。その上天還祭が乱れるという不気味な予知がされている。俺は予言なんてものが実現するとは信じない。だが、念のためお前の助力を乞いたい」

「どういうことだ?」

 ションホルはここ数日に起きた殺傷事件とエルデニネの予知の内容をシャマルに話した。

「ここ数日の事件の主犯が天還祭でも何か起こすかもしれない。だとするとミウェが心配だ。だからお前に賓客として天還祭に参加してもらう」

「そういうことか。いいよ」

 ションホルはシャマルから自分を利用するなと不平が返ってくるのを覚悟していただけに毒気を抜かれた。

「賓客に身をやつした用心棒だろう? 任せておいて。僕は今はそういう稼業をしているんだ。ましてや、妹のためなら当然働くさ」

 こと妹のことになるとシャマルは労力を惜しむことはない。

 十三年朝夕をともにしてきて、シャマルにとってアルマはどの親族よりも長く縁を結んできた大切な人間だ。本来惜しみない愛情を注ぎ、手助けしてやりたい実の妹はもはやこの世の者ではない。かといって、アルマが実の妹の代わりになりえぬことはシャマルも深く理解しているが、長年苦楽をともにした相手をどうして家族ではないといえようか。

「なら決まりだ。旧友くらいは大君長の権限で招待することはできるだろう」

「祭祀の途中でいざとなって剣を振っても、今度は皇帝の許しを得たと弁明すれば手配書を配られずにすむかな」

「すべてを恩赦にしなかったのはもう一度お前に会うためだ。勿論、天還祭が終わり次第手配書は取り外すさ。それに犯罪人ではなく尋ね人に変えてやっただろう」

 二人は顔を見合わせて固く互いの掌を結んだ。

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