第九章 再会(4)

 いよいよ天還祭の日が近付いてきて、アルマは様々な儀式に追われていた。毎日詩や歌、踊りの練習に明け暮れたが、教官となる神官たちの表情は芳しくない。

 オルツィイが、姫神子は本来物心がつく前後から教育されて、初潮の起こる前後の歳でお勤めをするのが昔からの慣習であるといっていた。故にたった数日で一朝一夕に身につけられるものではないのだ。これも王朝が改まって緊急に決定された祭祀であるのでいたしかたのないことなのだろう。

 この日はようやく仕立て上げられた本祭――天還之儀の衣装を試着する。本祭の衣装はアルマたちが大極宮で織ったうすものから作られている。最も繋ぎ目の少ない部分を選んで衣装に仕立て上げられる。

 様式は古風で、以前にアルマが骨董品の輸送護衛で見た天女図の天女が身につけていたものに似ている。前の合わせは二股に分かれていて、形だけは遊牧民たちの羽織によく似ている。それを金襴で瑞雲と鳳凰を模様に描いた朱色の太い帯で留める。

「ねえ、オルツィイ、これ、このまま着るんじゃないよね?」

「さて……。どうでしょう。預かっているのはこれだけなのですお嬢様」

 オルツィイが帯を留め終ってすぐにアルマは鏡の前でしゃがみ込んだ。

「歴代の姫神子様ってこんな仕打ちにあって誰も文句をいわなかったの?」

「それもどうでしょう。歴代の姫神子様は物心つく前後に教育されるのでお嬢様ほどの疑問も羞恥心もなかったのかもしれませんね。姫神子は心身とも無垢でありましたので……」

「あたしだって無垢だよ? けどもこれは文句の一つもいいたくなるでしょう!?」

 アルマは両腕で自身を抱えたまま身動きが取れないでいる。

 というのも、このうすものは慣例的には素肌の上に直接身につけるのだが、あまりの繊細な生地に肉体が透けて見えるのだ。完全に見えるわけではないのだが、体の輪郭をぼんやりと見せ、裸体を想像させるに十分足る。

「こんな姿でみんなの前に出て歌ったり踊ったりするなんて無理だよ!」

 オルツィイはアルマのもっともな主張を聞いて苦笑いした。

 年端もいかない女童に透けた衣装で舞をさせるのならばまだ無垢にも神秘にも無理に納得することができないでもないが、既に結婚適齢期に至るアルマが胸も尻も透けたこの衣装を着て衆目の面前に出るのは神子の務めというよりも売春婦のようではないか。

 すると、衝立の向こう側からハドゥがどうしたのかと顔を出す。

「ん。良く似合っているがどこが不満なのだ?」

「ハドゥ様! 何で出て来るの!?」

 アルマは羞恥に赤面した。

「立ってみろ。丈を見てやろう。これでも姉や妹たちの衣装を見立てることも……」

 しゃがみ込むアルマの腕を引っ張るハドゥの頭に、後ろから来たエルデニネが毛布を掛ける。

「ハドゥ様」

「ニーネ殿」

 毛布で頭を包まれたハドゥの表情は窺い知ることができないが、困っている声だということはここ数日の共同生活で分かった。

 ハドゥだけではない。エルデニネもハドゥとは違った型の表情に乏しい人物だが、彼女にも静かな感情の流れが存在することをアルマは掴んでいた。今の声音は静かに怒っている。

「そのまま後ろに向いてくださいませ。アルマ様が良いとおっしゃっていないのですからまだ着替えは半ばなのです。覗き見は武人の恥になりませんか?」

「覗き見のつもりはないのだが……」

「この衣装は肌が透けて見えるのです。赤の他人に見られるのが恥ずかしいのも道理でございます」

「神へ祈る時には不純なことがないと神に全てを晒すのが多いのだからそういうものではないのか? それに、世界の半分は男で半分は女なのだから恥ずかしいも何も……」

「ハドゥ様に思惑がないことは理解しておりますが、世の理はハドゥ様の思想と相容れぬこともございます。今はわたくしたち三人ともがハドゥ様は衝立の向こうへ戻るべきだと考えております」

 ハドゥの言葉に被せるようにしてエルデニネは持論を展開すると、彼の背中を押して衝立のほうへ誘導した。

 アルマはハドゥの仕打ちに矜持を傷付けられた。後姿とはいえ体を見られただけではなく、全く害意がないことが一番傷ついた。

「ねぇオルツィイ……」

「はい。ハドゥ様はもう見ていませんので大丈夫ですよ」

「そうじゃなくって、あたしってそんなに女らしくない? 女って意識されない?」

 オルツィイはアルマが女性としての尊厳を傷つけられたのを悟ったが、つい思わず本音を口にした。

「そんなことはございません。胸もお尻も私よりも曲線的で羨ましいですし……。でも」

「でも?」

「妖艶なお姉様というよりは愛嬌のある妹という印象はございますね」

 年下のオルツィイにまでいわれてしまってアルマはがっくりとうなだれた。

「アルマ様」

「エ……、ニーネさん」

 ハドゥを衝立の向こうに封印したエルデニネが戻ってきた。手には白い布を持っており、さっきの怒りは鎮まったようだ。

「体の曲線や顔の美醜、しとやかさや妖艶さを女らしいとしているのはそういう類がお好きな方々が吹聴しているだけでございます。アルマ様のお美しさはアルマ様だけのもの。他人のために合わせてもいずれ苦しくなるだけでございます。先程はハドゥ様のお人柄の分け隔てがない寛容さが少し行き過ぎた、とわたくしには感じられます。あまりお気になさらずに」

 鏡の前に並んだ二人を比較すると、エルデニネの持つ神秘的な美しさも女性的な曲線も叡智を湛える静かな眼差しも、どれ一つとしてアルマは持ち合わせていない。アルマの定規で測ってもエルデニネのほうがうんと美しい。

 アルマの考えを露知らず、エルデニネはアルマの手を取り鏡の前に立たせ、朱色の帯を解く。手に持った白い布を広げると裙裳くんしょうだった。白絹に同色の刺繍で花模様が刺繍されている美しい一枚だ。彼女は本祭用の衣装の内側に裙裳を通して胸まで引き上げアルマに着せる。

「これを着て出られた方がよろしいでしょう」

 もう一度朱色の帯を締める。エルデニネは完成とばかりにアルマから手を離した。貫頭衣を袖のない上衣である背子せこに見立て、先ほどよりも緩く結ばれている。清楚で嫌味のない格好だ。

「うん。これなら恥ずかしくないです」

 鏡の前で一回転して確かめる。

「それにこれを。アルマ様に良く似合ってらしましたよ」

 エルデニネはアルマの髪にそっと翠玉が嵌められた銀製の花蝶櫛を差した。円丘に来る以前、ドルラルからもらったものだ。自ずと笑みがこぼれる。

「でも、古風に則ってなのに勝手に衣装を変えても大丈夫でしょうか」

 アルマの疑問にエルデニネが頷く。

「今回は儀式の場所から供物まで至るところに多少の変更が加えられているのですから構わないでしょう。皇帝も妹の裸体を大勢の他人に見られたいとは思わないでしょうし」

「ニーネ殿は意外と型破りな考え方をするのだな。てっきり規律を重んじるというか、むしろ固執するほうだと思っていた」

 今度は許可が下っていないのでおとなしく衝立奥にいるハドゥが感心した。

「規律は大切ですがその時々の時勢に合わせて変える勇気も必要だとわたくしは考えております」

 アルマにもこのエルデニネの主張は意外だった。

 彼女は規律を重んじて慎み深いが、どこか伝統に頑なな部分があると感じていたのだ。だが、それが外見や人づてに聞いた話からの一方的な想像だったとアルマはすぐに気付いて己を恥じた。

 そういえばエルデニネとはこうやって長い時間ともに過ごすこともなければ、語り合うこともなかった。人を知るのにその人の言葉や行動、それに想いの欠片を知らずして何を判断したのだろうか。

 オルツィイだけがにこにこと三人のやり取りを眺めている。

「さて、衣装の問題が解決いたしましたら、この後のご予定をお話ししても宜しいですか?」

「うん、オルツィイ。お願い」

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