第五章 似せ絵(4)

 結局、ションホルのことを考えていてなかなか寝付くことができず、気付いたら夜が明けて小鳥の声がしていた。お蔭で朝の機織りの時間は手元が覚束ず終始ドルラルに小言をいわれ、睨まれっぱなしだった。

「朗報です! お嬢様!」

 オルツィイが声を潜めて、しかし頬を紅潮させて笑顔で部屋に走りこんできた。

 元気の良い働き者ではあるが、殿内を走らないなどの基本的な作法は守る彼女が喜びを隠しきれずに小走りしている。次の予定まで休息を取っていたアルマはどうしたことかと寝台の上から出入り口を覗く。

「どうしたの……。オルツィイ……」

 溌剌としたオルツィイとは逆に、アルマは瞼が今にも落ちそうなほど眠い。口を開くと一緒にあくびが出てしまう。怠惰な様相にだらしがないですお嬢様と窘められないよう頑張って噛み殺す。

 だが、興奮した様子のオルツィイにはアルマの寝ぼけまなこもあくびも見過ごす程度に早急に伝えたいことがあるらしい。

「驚きますよ!」

 彼女は枕元へ来ると、確かに戸が閉まっているか目視で確認し、懐から一通の書簡を取り出した。

「それなに?」

「何だと思います?」

 何だろうと小首を傾げていると、昨晩の記憶が蘇ってきた。近く住処を移ってもらうとションホルはいっていなかったか。

 アルマが一人で顔を白くしていると、オルツィイは我慢できずに書簡を広げた。

「何と、ハル様から書庫への入閣許可をいただいたのです! 見てください!」

 「天九閣への入閣を認める」と書かれた墨書の上に朱色の角印が押されている。天九閣というのは書庫の名で御花園とはまた別の庭園の一角にある。

「ハル様が掛け合って下さったそうで、執務に差し支えないよう夕方から日が落ちるまでであれば官同伴の上、本日中のみ許可されるそうです」

 同伴の上というのは飲酒や火気、それに禁書などを見張るためらしい。ハルが掛け合ってくれたというが、もしかしたらションホルが昨夜の一件を機に許しを出したのかもしれなかった。

「有難う! もう許可をもらえただなんて、すごいねオルツィイ」

 一先ず忍び込んだりなどせず堂々と書庫を利用できることを喜ばねばなるまい。国家祭祀である天還祭関連の記録は恐らく閲覧を禁じられてはいないだろうが、“ブルキュットの悲劇”の記録も閲覧できるよう祈るばかりである。

「訳あって丁度本日より程駿様と謝初安様が王宮を御発ちになられるので、お叱りを免れるであろうとのことで」

 だが、訳を説明したオルツィイの表情はやや芳しくない。曄の旧臣である文官二人が居ぬ間に約束を取り付けたのが心苦しいらしい。

「お二人はお祭りの準備でお忙しいんじゃなかったの?」

「そうなのですが、それが皇帝の勘気を被り暫くお暇を出されたようです」

 オルツィイはどうやら真面目な二人の曄人に同情しているらしい。

 暇を出された理由はこうだ。

 天還祭のために坤乃宮に運び込まれてきた宝物のうち、遊牧七民族同盟イェッテ・カビーレが奉納した獣の骨があった。

 獣の骨は祭祀後に加工して宝物に加えられるだけでなく、祭祀直前の卜占にも用いられる。

 その中でも鹿の肩甲骨というのは卜占に重要な部位で、扁平になるよう前もって削り、加工するのであるが、あろうことか曄人の文官が誤って骨を傷つけてしまったらしい。焼灼による傷を読み、神意をはかる卜占で、先に傷がついてしまうのは言語道断であると皇帝は怒り、宝物管理の責任者である程駿と謝初安に暇が出された。

「皇帝は大層お怒りだそうで、再びお召があるまで凰都に入ることを許されないそうです」

 瑛のみやこの城壁を越えることを許されないというのは、即ち京追放である。生粋の曄人である二人には精神的にも重い罰であろう。

 意外にも気難しそうな面があるが、昨晩の前後にションホルが斯様に二人の曄人を咎めたというのは俄かには信じられない。

「そんな大変な罰を与えて、だったら天還祭の支度は誰がするの?」

「それが、程駿様たちを追い払ったせいで、曄の旧臣であった文官たちは誰もが出仕を拒否なさっているそうです。程駿様はお若いですが曄では有名な文官の一族ですので、誇りを傷つけられたと。もしかすると単純に二の舞になるのが怖いからかもしれませんが」

 若いが旧臣の心を既に掴んでいたとは名門出身の所以かとアルマは感心した。

「ですから、皇帝はこれを機に運営しやすいよう祭祀に微細の変更をお加えになるそうです」

 オルツィイは祭祀の変容を受け入れられるかが不安なようだ。

 彼女だけでなく、養花殿はまだ完全に新しい時代を迎えきれていない曄代の残滓である。曄という栄華の柱が折れても、まだ柱は柱なのだ。そこに瑛が増幅する黴のようにどんどんと侵食していく。

 はあ、と彼女は重いため息を吐いた。しかし、ため息一つでに今抱えた不安を全て放出したかのごとく、気持ちの切り替えは鮮やかだった。

「ですがこういう機会でもないと程駿様はお厳しいので入閣できなかったかと思います。折角の機会です。お嬢様、存分に学んできてくださいませ」

 屈託のない笑顔でアルマを鼓舞した。

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