第五章 似せ絵(1)

 アルマが王の使者に攫われた日、シャマルはケリシュガンとともに村長に詰め寄った。

 曰く、瑛国よりウシュケ族に王妃候補を出すよう要請があったのは三か月前だという。

 瑛王が即位して早二年が経ち、遊牧七民族同盟イェッテ・カビーレとの同盟強化の為に各部族から王妃候補の娘を一人ずつ後宮に入れるという。

 必ずしも輿入れが決まるわけではないのと、各部族最高一人であり、自薦にせよ他薦にせよ希望者が居らぬ場合は不必要な娘を供することは禁ずるとされた。これは皇帝が奴婢を解放し、曖昧だった売人法や略人法を強化したためでもある。

 もしも希望者がある場合には決められた日時に野外に出しておくこと。王の使者が参り、遊牧民の一部にある風習である略奪婚の方法で娘を貰い受ける。希望者がない場合は決められた日時には人を出さぬこと。娘を差し出した部落には相応の礼、つまり報酬を国から出すとされていた。

 アク・タシュ村は若い娘が少なく、希望者はなかった。

「ただ、魔がさしました……。金があればサモ・タグ山を巡礼する客をこの村に呼びこめるかもしれない。白玉洞の近くには沢山の鉱脈が眠っているので観光の目玉にできるかもしれないと考えていました。しかし、めしいたアイシュでは不具のため、例え野外に出しても連れ帰ってもらえないかもしれない。そう考えていた時に年頃の丁度良いあのお嬢さんが来たので散策を勧めて……」

 シャマルとケリシュガン、そしてその後を追ってきたアイシュの前で村長は泣き崩れた。三人は泣き声を聞きながら暫く無言でいた。シャマルとケリシュガンは唖然としていたが、アイシュは父親でもないこの男の話を聞いて一体何を思っているのか表情からは読み取れない。仮にめしいていなければ意思に関わらず彼女が皇帝へ捧げられていた。

 シャマルには嫌悪感しかなかった。激情に飲まれることは殆どないし、正面切って人を咎めることも少ない。怒りや絶望という強い感情に揺さぶられ、己を見失うのは利を生まないし、魂を露わにする行為で恥ずべきことだと信じていた。

 だが、我慢ならなかった。

「魔がさしたという理由で人の妹を売るようなまねが許されるのか!」

 シャマルは拳に力を篭め、苦々しく非難した。村長を怒鳴りつけることはなかったが、眉間には深い皺が刻まれていた。まるで自らの怒りを体現する獣を体の内に縛り付けて逃さぬよう耐えているかのようだった。

 ケリシュガンは二人の間を割って入ろうとしたが、シャマルが拳を振り上げたり、胸ぐらをつかむほど理性をなくしていないと分かって見守った。

「あなたはこの村の長でしょう。人の模範となるべき人間が金に目が眩んだといって自分の娘でもこの村の者でもない誰かを売るなんて許されますか!」

「申し訳ない……。魔がさしたんだ……」

 村長は決してシャマルと視線を合わせなかった。ただひたすら同じ文言を繰り返して謝りながら涙を流している。

「魔がさしたんじゃない!」

 その態度に業を煮やしたシャマルは大声を上げた。

「あなたが決めたんだ!」

 村長は何も反論しなかった。それどころか、やはり視線を合わせずにうずくまって泣き続けている。

 シャマルは彼を目の端にも入れたくなかった。この男は己の利益のためならば他人というのは取るに足らない存在なのだろう。身寄りがないからといってアイシュを瑛国に捧げようと画策したり、全くの他人であるアルマを年の頃が丁度良いからという理由で偶然を装い供するくらいだ。気持ちのやり場が見つからない。責めたてても何の意味もなさぬのだ。

「くそっ」

 吐き捨てて、シャマルは村長の屋敷を出た。ケリシュガンとアイシュが背中を見つめる。

「どこへ行く、シャマル!」

「すみません、ケリシュガンさん。僕はアルマを追いたい。ボティルを尋ねて凰都こうとの王宮に入る手立てを探さないと。ここにいても何も進展しません」

「確かにお前さんのいう通りだ。だが少し待ってはくれねぇか」

 ケリシュガンは厩に向かうシャマルの腕を引いた。

「何かあってからでは遅いんです。行かせてください」

「妹が大事なのは分かったがちっと落ち着こうぜ、兄貴」

「落ち着いてなどいられますか! あの子は僕が知り合いから預かっている大事な子なんです! 何かあっては困る!」

「だからってお前さん一人で王宮に乗り込めるっていうのか?」

「……」

 不可能であることは分かっていた。だからボティルに頼ろうとしている。

「話を聞け、シャマル。俺に手伝えることがある」

 ケリシュガンの瞳に強い力を感じてシャマルは立ち止った。

「本当ですか」

 半信半疑だったが、まずはケリシュガンの話を聞いてからでも良いと感じた。

「おうよ。だが、今すぐは無理だ。玉の研磨と加工が終わってからでないと俺に手助けはできねぇ」

 玉の作業を待たねばならぬことにシャマルは少なからず不満を覚えた。

 依頼を途中放棄して仕事に不誠実な態度をとるのは好ましくないとは思っているが、玉という代わりの利く物が優先されて、代わりの利かないアルマがないがしろにされている気がした。しかし、訳を聞かねば今度こそシャマルの心の激流が氾濫してしまいそうだった。

「いいか、シャマル。これはボティルにも手出しはできねぇ。瑛国相手にボティルが危ない橋を渡れる訳ねえ。だが、俺に一つだけ手段がある」

「どういった手段です?」

「納品だよ。本当はいつも凰都まで荷運びを依頼しているやつらがいるから一旦ハシャルに戻るつもりだったんだ。だがやめだ。俺とお前、それにあと何人か応援を寄越すようボティルに頼む。ただし、入れるのは王宮の決まった場所だけだ」

「なるほど。さっきの玉は凰都の王宮に納めるんですか」

「ああ、そうだ」

 ケリシュガンが肯定した。

「天還祭、ですね」

「よく知っているな」

 アイシュの言葉にケリシュガンが頷いたので、シャマルは思わず驚いた。

「天還祭……?」

「はい。ご存じありませんか? 曄国の国家大安を願う大祭です。白玉洞というのは元来曄国の王宮専用の採石場で、曄が祭祀の際に使用する玉を採掘する場なのです。ウシュケ族はこの度この逸品を貢物として献上いたします。今は王権が変わり瑛がこの権利を引き継いでいるのですが、近々大祭を執り行うからと貢物の玉の用意を承っておりました」

「いや、知っているよ。だけど、玉は元々カラ・アット族の貢物のはずだ。それに、瑛に国が変わったのに天還祭をやるのか? 瑛帝がそれをお認めに?」

「貢物が変わったのです。以前よりも少なくなり、負担が減りました」

 今回は王朝始まってすぐということで印章作成の必要があり、白玉を所望されているという。こういった貢物の変更と要請は他の部族にもあるようだ。

「曄武帝以後の二代の帝は即位後天還祭をしなかったから天に王位を認めて頂けなかったという噂があってな。国の安定のためにも大祭が民衆から望まれているらしい。去年は渋ったが衆望高まってついに今年、漸く首を縦に振ったって感じらしいぜ」

 シャマルは幾分か冷静さを取り戻したかのようだったが、王宮に入れる手段を見出したにしては顔色が一層悪くなったように見えた。

「おい、シャマル。今日は色々と疲れただろう。玉が仕上がるまではさっきの白玉洞の隣の家を借りることになっている。先に帰って休んでおけ」

「さっきの家ですか? ……できれば別の場所が良いです。研磨場の端で良いので」

「見ての通り田舎の村だから他に泊まれる場所はねえ。作業場は仕事場だ。いくらお前さんが礼儀正しい兄ちゃんでも気が散るのは分かるだろう。他に泊まれるのはこの屋敷だぞ」

 眉を顰めるシャマルに、ケリシュガンは村長の屋敷を親指で示した。それだけはご免こうむりたかった。シャマルは観念して渋々承諾した。

「ケリシュガン様。私は研磨場へ参ります。貢物の奉納の列にシャマル様が入る旨をお伝えいたします。些細なことにせよ、巫女の私が言えば職人たちも神意だと思い、シャマル様が作業場に滞在されることも叶うはずです」

「おっ、じゃあ頼むわ」

 アイシュはケリシュガンの傍に寄った。シャマルに深々と頭を下げる。

「……ひとまず感謝いたします、巫女様」

「白玉の精霊様と小鹿の神霊様のご加護がありますよう」

 アイシュは優雅な佇まいで作法に則った挨拶を見せた。今はそれすらもシャマルの気を逆なでする。気持ちを切り替えようにも今日は嫌なことを過分に体験したような気がする。焦りで心に余裕がないのだ。

 シャマルはケリシュガンの勧めた通り、白玉洞の隣の旅人の家に戻った。二台ある寝台の内、先ほどと別の寝床に横になる。

 両腕を頭の下に組みながら、シャマルは瞑目した。

(天還祭……。嫌な言葉を聞いた)

 深くため息を吐く。

遊牧七民族同盟イェッテ・カビーレから王妃候補を一人ずつ差し出せといわれたとして、何故この時期にこの地域だった? そして何故アルマが連れて行かれた?)

 くしくも、瑛のみやこ・凰都では天還祭を執り行うために各地に貢物の要請をしているという。

(これが天の采配だというのか? アルマは選ばれるべくして選ばれた、というのか)

 瞼の裏で白金に光る鹿の幻影が顔を近づけ、慰めるように鼻先をシャマルの額に摺り寄せた。

 アイシュの指摘したような鹿の霊はある時からシャマルの傍にいた。彼はその存在をまるで本物の鹿に触れるように、時に熱量を持って感じることがあった。物言わぬ鹿は己の妄想による幻影なのか、はたまた本物の神霊なのか分からない。否、今日アイシュに指摘されて初めて気づいたのだ。これは己の内なる妄想から生じた幻ではない。確かに己の傍にいるのだ。

(神霊の鹿……。君なら分かるかい? これがアルマの運命だというのだろうか)

 鹿の霊は何も答えない。ただ慈悲深く潤んだ瞳をシャマルに向けるだけだった。

 暗い部屋の中、気付けばシャマルは闇の中に意識を手放していた。

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