第三章 養花殿(3)
「きゃっ」
細い体を床にしたたかに打ち付けた。エルデニネは顔を強張らせながらアルマの肩越しに覆面の男を見た。表情が驚愕に震える。
覆面の男は最初の一撃が外れると即座に構えを正して体勢を整える。エルデニネの銀の瞳に映った男の姿がアルマの目に飛び込んできた。まだ戦意を喪失していない。
アルマは振り向きざま男の脛に足払いする。
「ちっ」
相手の体勢を崩してやろうとしたが、狙いが甘かったのかよろけさせることしかできなかった。だが、覆面の男が怯んで少しの隙ができたのを悟ると、アルマはドルラルの側仕の一人から扇を奪い取る。
「ごめん! ちょっと貸して!」
勢いよく床に叩きつけると大きな音を立てて扇を折り、上半身を捻って棒を額の前で斜めに構える。
「覚悟しなよ!」
アルマはそのままの姿勢で覆面の男に突進し、身を翻して鳩尾と両脇腹――ボティルにはこの急所は
「やばっ……!」
アルマが扱う棒は所詮は扇の柄であり、武器ではない。男の額を打つが脆くも二つに折れてしまう。
「死ね」
覆面の男がよろけながら刀を振り上げる。黒い幕の下で嘲りの笑みが浮かんでいた。しかし、よろけた刀にやられるアルマではない。すぐに動揺を消し去る。今なら攻撃は躱せるはずだ。
(でも避けたらエルデニネ様が斬られてしまう)
武器に代用できそうな道具を見つけられぬまま、どうすべきか考えあぐねているうちに刀身が目の前に迫ってきた。
「抉れ」
アルマのこめかみを旋風が通り過ぎた。
覆面の短い悲鳴と同時に、一羽の白隼が男の顔面に鋭い爪を立てていた。
通常の隼よりも尾が長く、雪のように真っ白な体に黒の斑点が美しい。こんな状況でなければ見惚れてしまいたいほどだ。
「新顔、下がれ」
鳥飼と蔑まれていた男がすぐ近くまで駆けつけてアルマに目配せした。アルマはエルデニネの腕を掴んで引きずるように後退した。
両目を腕で押さえながら、白隼を払おうとする覆面の男のこめかみに鳥飼が蹴りを入れる。男が床に手を突いたところで、鳥飼は追い打ちをかけるように踵を落す。
蹴り落された衝撃で男の鼻や口から血が滲み出る。女たちは小さな悲鳴を上げて覆面の男を汚らわしいだの、鳥飼を野蛮だのといって遠巻きにした。
「誰か人をお呼びなさい」
アルマの手を借りて立ち上がったエルデニネが命じた。命令に応じてオルツィイともう一人が建物の外へ走る。凛とした声で気丈に振る舞っているが、肩が小さく震えていた。
鳥飼は自身の革の腰帯を解いて覆面の男を後ろ手に縛り上げると、次に布の帯を猿轡の代わりにした。手馴れている。どうやら覆面の男は気絶したようだった。
その間中、女たちは誰一人として男たちには近寄らず、垣根のように立ち尽くして口々に恐ろしいとか、野蛮だとかいいあっていた。
やがて、オルツィイたちがきちんとした身なりの男たちを連れてきた。
「お怪我は!?」
若い男が息を切らせて養花殿に駆け込んでくる。入るなり女たちを一瞥して眉間に皺を寄せ、次に鳥飼に視線を移す。
「この通り、皆無事だ。そうだな、被害は扇
覆面の男の背に跨りながら、鳥飼がアルマの手に残った棒きれを示す。
「ごっ、ごめん!」
ハッとしてドルラルを見やると、いかにも不愉快な表情だ。美人が不愉快さを露わにしているとそれだけで威圧感がある。
「まあまあ、これは新たに配給すれば良いだけの話です。ね。駿」
「そうだな、初安。それよりもまずは賊をどうにかしなければな」
「そうですね。私がひとっ走りして衛兵を呼んできましょう」
初安と呼ばれた穏やかな外見の青年が場を離れた。駿という名の男は怪訝な顔で鳥飼とエルデニネをねめつける。理知的で涼しい目から放たれる眼光は如何にも神経質そうで鋭い。
「それで、一体どういう次第です」
口調には非難するものが明白に含まれていた。
「鳥の様子を見に来たらこいつにそこの白孔雀が襲われただけだ」
鳥飼が覆面の男とエルデニネを指さす。
「だけ、とは何という口ぶりですの」
「エルデニネ様は予知のお方。貴いお方が害されたりでもすれば一大事ですわ」
エルデニネの取り巻きだろうか。女たちが口々に鳥飼に反論した。
「……きっと曄の残党ですわ」
ドルラルの側仕がそう口にした時、その場の女たち全員が凍りついた顔をした。
「エルデニネ様は曄平帝の皇后最有力候補でしたもの。それに一番の異能者ですわ。今後瑛帝のお妃様となる可能性の一番高い方ですもの。きっと命を狙われているのですわ」
「その可能性はありますわね……」
ドルラルも不本意ながら認めざるを得ないといわんばかりにエルデニネを見る。そして、次に駿を見て、
「王宮の曄人は獅子身中の虫ですわ」
「何故私を見るんです」
駿が嫌悪感を露わにした。
「だってあなたは曄の猛将軍に仕えていた曄人ではありませんの。疑われて当然でしょう」
「馬鹿馬鹿しい。これだから飾り物の女はいけ好かない。頭をもっと使いなさい」
駿は鼻を鳴らして吐き捨てた。
「エルデニネ殿を狙うよりももっと狙うべき人物がいるでしょう。まだ皇后でもない女を狙うなど一体何の利が? あなた方トズ族は余程自意識過剰なのでしょうね」
「飾り物とはなんですの? わたくしたちの能力を知りもしないのに! いつか目にもの見せて差し上げますわ!」
「ふん。身を着飾っても本性は下品ですね。いっときますが蠱毒の関係は前王朝と変わらず死罪ですよ」
二人の言い争いが激化しはじめた時、初安と呼ばれた男が衛兵数名を連れて駆けてきた。
「お待たせいたしました!」
膝で息を吸いながら初安は駿と鳥飼の前に出る。
「出不精だから体の養分が養われていないんじゃないか、謝初安」
「はぁ、はぁ……。面目ない。文官とはいえ書物ばかりに向かうのも駄目ですね……」
「王宮が無駄に広いので仕方ありません」
初安は謝という家の出身らしい。駆けつけてきた衛兵が鳥飼の組み敷いた男を捕え、担いでいく。鳥飼はそれを見送ってすっかり止まり木に収まった白隼の喉を撫でる。
「よくやったなぁソリル」
羽を広げて鋭い爪で猛攻した時は大きく見えた白隼も、おとなしく木に止まっていると小さく見える。
「あの。助けてくださって有難うございました。改めましてあたし、アルマと申します。お名前を聞いても良いですか? 鳥飼――ではないでしょう?」
鳥飼がアルマに振り返る。
「先は俺の方こそ助かった。俺はこの王宮で鷹坊使をしている。ションホルとでも呼べ」
鷹坊使というのは鷹匠の主任である。だから先程の白隼を己の分身のように使役できたのだろう。
ションホルはアルマのすぐ横に来るとこっそりと耳打ちした。
「この養花殿は鶴と孔雀の魔の鳥籠――魔窟だ。気をつけろ。またそのうちに顔を合わせるかもしれないな」
ションホルは手桶を持つと白隼に肉を与えた。用心棒のアルマから見ても巧みな脚技をしていたが、彼は武人ではなく本当に鷹坊使のようだ。鳥を世話する手つきが慣れているし、何よりも後宮の女たちを見る目と違って慈しみすら感じる。
(養花殿は魔窟、か……)
それは養花殿に限ったことではないように思われた。後宮の女主人争いに刺客に曄人の残党……。王宮というのは物語で聞くよりもずっと煌びやかから遠い存在なのかもしれない。
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