第三章 養花殿(4)

 養花殿はかぎ型をしている。

 噴水の間は元は大きな四阿あずまやであった。中心に池を造り、往時は憩いの場として活用されていたが、のちに後宮の女たちの身を守るため四方に壁を造ったらしい。それを養花殿の本体と屋根続きにしたために何とも不思議な形となった。

 二階建てで、養花殿内にのみ適用される階級によって居住区域が分けられており、女たちはそれぞれに部屋が与えられている。窓格子の緑青を除いて柱も肘木も丹を塗られている。

 この宮は先の曄時代からここにあり、また、居住者たちも当時からの住人たちらしい。曄末の混乱期に兵が王宮へ押し寄せた時も彼女たちは避難することなくこの宮に残っていた。

 というのも、この宮は非常に特殊で、トズ族とトゥルナ族という北方の少数民族を歴代の曄帝が狩り、住まわせた場所なのである。彼女たちは小さい時に北方の直轄地からこの閉じた箱庭に連れてこられ、一生故郷に戻ることなく、ここで死ぬ。

 いうなれば王宮内の小自治区である。

 故に外へ逃げる方法も、逃げてからの生き長らえ方も知らないのだ。

 何故トズ族とトゥルナ族がここに連れてこられたのかというと、ひとえに異能である。

 この種族はトゥルナ族を総称とし、十三になるまでに銀髪銀眼を得た女性だけが異能を発揮する不思議な部族で、一族中の異能者を特別にトズ族と区別して呼ぶのだった。

 男性は例え銀髪銀眼を得ても異能を開花しないのだが、後継争いの憂い、或いは宗教者となり王権を脅すことが史上多数見られたため、慣例として嬰児のうちに殺された。無論、その影にはトズの女たちの熾烈な寵争いがあることは周知の事実だ。

 トズが顕現する異能は様々だ。

 雨乞い、風の招来、地脈の霊視。自然にまつわる異能が殆どである。

 その力は奇跡的ではあるが、戦や政治に応用できるほどには強くはない。だが、数十年に一度、非常に珍しい能力を持つ子供が生まれる。そう噂されたのが、件のエルデニネ――未来予知を持つトズの女だ。

 オルツィイはアルマに与えられた一階西側の部屋に案内しながらトゥルナ族の特殊な歴史を丁寧に説明した。彼女は本来エルデニネの側仕であるが、エルデニネは難しい性格のようで、側仕を傍に置きたがらない。

「なので私はツァガーン様より頼まれてお嬢様のお世話をさせて頂きます」

 オルツィイは異能が顕現しなかった。異能が顕現しなかった少女は皆神聖な異能者の側仕や下働きをさせられる。

 トズが受けているような王宮の教育はトゥルナは受けられない。王の寵愛を受けてきたのは決まって素晴らしい容姿と知性、そして異能を持つトズだから、王母になる可能性もない。

 即ち教育はトゥルナには必要のない能力なのだ。

 トゥルナ族でもトズ族でもない曄人や他の民族はここではトズ族の下の階級になる。

「鶴を信奉するトゥルナ族がオルツィイにございます。改めましてよろしくお願いしますね、お嬢様」

 オルツィイは肘を一直線に張り、右手の甲に左の手のひらをつけて頭を垂れた。地位が上の者に対しての養花殿の礼儀作法だそうだ。

「それでは、養花殿と周辺をご案内いたしましょう」

 改めて外に出ると各居室の扉はすべてが同じ造りをしている。自室に帰るにも誤って別の部屋に入りそうだ。誰も窓格子に目印をつけたり、外に私物を晒していないので余計に分からない。

「まず、水鳥の間は先程の場所です。憩いの場所や宴会部屋として使われていますよ」

 オルツィイが廊下から先程の噴水の間を示した。

 次に一旦養花殿の入口を真っ直ぐ入ると――アルマの部屋へは水鳥の間を抜けるとすぐに左折する――広間の中央に螺旋階段が延びている。アルマの九畳一間の部屋を五六倍に拡大した面積だ。

「ここは彩雲の間です。彩雲の間から各居室へ向かう中央の道は王が通われる際の道なんです。私たちはあくまで外の廊下から居室に戻ります」

 左右の居室群の中央を貫く通路をオルツィイが示した。床は白石灰岩で作られ、彩雲に遊ぶ鳳凰や龍が彫刻されている。歩きにくそう、がアルマの感想だ。

「さて、階段から二階へ参りましょう」

「上がっても良いの?」

「必要があれば結構ですよ」

 彼女は螺旋階段を数段登って微笑んだ。

「ですが、二階は基本的には貴人の部屋となっておりますので、粗相のないよう気をつけねばなりません」

 貴人――主にトズと、歴代帝のお妃候補として鳴り物入りで入城した曄人や少数民族が暮らしているらしい。先に出会ったエルデニネやドルラルも勿論二階に居室を与えられている。

「王の手がついた場合には養花殿を出て長慶宮などに移ります。……正確には、ました。今後現皇帝がどのようになさるかはまだ知らされていませんけどね」

 二階は一階と違い、壁に彩雲や花鳥、天女の絵が施されていて、いかにも煌びやかだ。水鳥の間と似ているが、こちらの方が彩色が鮮明で新しく見える。

 天上からは逆さの剣菱のような鱗模様が一直線に描かれており、隅に蚣蝮はかが意匠されている。火事避けのまじないだ。

 居室は一階よりも広いため数は半分近くまで減る。ここも一階と同じく左右の居室の中央に王の道が一本貫き、王以外は外の廊下を使う。一階は墨色の石が床に敷き詰められていたが、ここは花鳥風月を描いた陶板で舗装されている。さすが貴人の階なだけはある。

 オルツィイはエルデニネやドルラルの居室の位置をアルマに教えた。奥に行くほど位の高い人物で、その位は手付きを除くとひとえに異能によって決まる。

 曄代は曄人をはじめ、トズ以外の部族の者も多く住んでいたが、瑛に王朝が変わると後宮解散の達しが来て多くが退官を願い出た。よって現在ほぼ全域がトズの支配下だ。

 エルデニネの居室が奥から二番目に対して、ドルラルの居室は意外にも手前から五番目だ。アルマはてっきり威勢の良さからエルデニネの真向かいか隣なのだろうと思っていただけに肩透かしを食らった気分だ。しかし、異能の順位はトゥルナの古い書物に規定があるようで仕方のないことだという。

 エルデニネの居室まで来て、オルツィイは突然身を翻して止まった。もう建物の最奥まで来ている。

「この部屋から先には行かないようにしてください」

 彼女は一番奥の部屋を指した。

「どうして?」

「その……」

 アルマの問いにオルツィイは口ごもった。どう説明すべきか考えあぐねているようすだ。アルマは首を伸ばして最奥の部屋を覗いたが、瞬間、けたたましい女の笑い声が上がり、驚きで飛び跳ねた。

「ひぇっ!? 何!?」

 声の主が居室でどたばたと動き回る音が聞こえる。幼児のように無邪気な笑い声を上げたと思ったら、次には怒り、泣き、そしてまた笑う。声は明らかに大人のもので、故に異質な雰囲気を醸していた。

 オルツィイは呆然とするアルマの手を引いて階段まで戻り、

「そういうことなのです。その、あの奥には以前より心を病まれた方が住まわれていまして……」

 養花殿の中でも腫物扱いされているようだった。

「もう一か所、決して近づいてはならないところがあります。養花殿の東側に湯殿と祭祀場の天声壇があるのですが、隣接する塀の向こうには行ってはなりません。ここも同様の人物が住んでいますので」

「わ、わかった……」

「基本的には養花殿、水鳥の間、湯殿、天声壇は行き来が自由です。それと、瑛帝に変わってからは北側の御花園にも自由に行き来ができるようになりました。――そうだ!」

 オルツィイが思い出したように付け加える。

「お嬢様は王の使者の取り間違えを訴えたかったのですよね? でしたら、御花園は皇帝や側近たちなどの高官が憩いに来るそうですので、もしかしたら会えるかもしれませんよ。……とは言っても、瑛帝はまだ来訪がなく玉顔を拝見したことがないので、お教えすることができませんが」

 オルツィイは外に出るとそのまま御花園なる場所へアルマを連れた。

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