4 カッサンドラのように故国の滅亡でも予言するつもり?


「キウィリスの意向に逆らってもいいのか? キウィリスは、コレティアを殺す気はないぜ」


 俺はコレティアをかばうべく、一歩コレティアの方へ踏み出しながら、ウェレダを牽制けんせいした。

 アトリウム全体へ素早く視線を走らせる。


 ウェレダの他に、アトリウムには剣を腰にいた五人の男達がいた。

 一人はウェレダを守るように脇に控え、他の四人は、俺とコレティアを囲むように四方に散っている。全員が、ゲルマン人のようだ。明るい色の髪にひげを生やし、屈強な体つきをしている。


 俺がキウィリスの名前を出すと、男達の間に微かに動揺が走った。

 ウェレダに従い、反ローマの陰謀に加担している事態から考えるに、男達は、キウィリスと同じバタウィ族か、ウェレダの部族、ブルクテリ族なのだろう。


「キウィリスの名を出して、惑わそうとしても無駄よ」


 ウェレダがぴしゃりと言い、男達の動揺を静める。


「この娘を生かしておいては、キウィリスの、いいえ、ゲルマン民族の為にならないわ。この娘は、必ずわざわいを呼ぶ」


 ウェレダはコレティアを指差し、託宣の如く厳かに告げる。


 流石、十年前、ゲルマン民族の勝利とローマの敗北を予言し、何万人ものゲルマン人を扇動した女だ。

 ウェレダの言葉が心に染み入るにつれ、男達がコレティアを見つめる眼差しに、みるみる殺意が宿っていく。


「プリムスはあんたとは別の意見だろうがな。プリムスは、コレティアの本当の父親を、知っているのか?」


 俺の問いかけに、ウェレダは無言で冷笑を返した。

 ウェレダは、俺達が占いの店を訪れた時に、コレティアの実の父親がキウィリスである事実に気づいていたはずだ。


 あの時、ウェレダは信じられないものを見る眼差しでコレティアを見ていた。


 十年前、ウェレダはキウィリスに重用されていた。幼い頃のコレティアを知っていたに違いない。

 だから、コレティアが本当に生き延びていたのか確認する為に、手下にコレティアの跡を尾けさせ、名前や屋敷を調べようとしたのだ。


 ウェレダの冷笑から推察するに、ウェレダはプリムスに、コレティアの実の父親がキウィリスだとは、教えていないのだろう。

 だが、プリムスがどこからか、コレティアの血筋を嗅ぎつけた可能性はある。


「所詮、お互いの利益の為だけに、手を組んでいる仲ってわけか」


 俺はウェレダを睨みながら、吐き捨てた。


 キウィリスは、コレティアがシリア総督ケリアリスの養女であり、皇帝ティトゥスの血の繋がらない従兄弟だという身分を、ローマに対する人質として利用する為に、コレティアを捕えようとした。

 もしかしたら、実の娘を手元に置いておきたいという気持ちが、欠片くらいはあったかもしれないが。


 プリムスが、コレティアに熱心に求婚した理由も、同じだ。

 ローマにおけるコレティアの身分と、キウィリスの実の娘であるという価値を併せ持つコレティアは、プリムスにとっては、喉から手が出るほど欲しい存在に違いない。

 ローマとゲルマニア、双方への人質として利用できる。


 ウェレダがコレティアを殺したい理由も、プリムスと大差ない。

 キウィリスの実の娘であるコレティアがローマにくみしている事実が、もしもゲルマン人の部族に知れれば、士気に関わる。

 加えて、万が一、コレティアがプリムスの手に落ちれば、いずれは倒す予定のプリムスに、有利な札を渡す羽目になる。


「くそっ! どいつもこいつも!」


 俺は腹の底から沸き上がる憤りに、奥歯を噛み締めた。


 誰一人として、コレティア自身を見ていない。誰の娘だとか、どんな身分だとか、コレティアがまとう衣だけに夢中になっている。


 そんな奴等に、コレティアをいいようには、断固させない。


「ウェレダ。あなたの占いの腕も、大したことがないようね」


 俺とウェレダの会話を、見世物でも楽しむような表情で眺めていたコレティアが、口を開いた。

 男達から刺すような殺意を送られているというのに、動じた様子もない。

 碧い瞳は祭を前にした子どものように、煌めいている。


 さっと一歩踏み出し、俺の隣へ並んだコレティアは、華やかにウェレダへ微笑んだ。


「グレースムの占いの店を畳んで夜逃げして、正解だったのではない?」


 コレティアの言葉に、ウェレダは苛立たしげに片眉を上げた。コレティアは強い眼差しでウェレダを見据え、言葉を続ける。


「私がわざわいをもたらすですって? 禍をもたらすのは、あなたよ、ウェレダ。あなたの甘言に踊らされて、何万人もが死地へ赴くのよ」


 ウェレダが反論するより早く、コレティアは悪戯いたずらっぽく微笑んだ。


「あなたの代わりに、私が占ってあげましょうか?」


「カッサンドラのように、故国の滅亡でも予言するつもり?」


 ウェレダは小馬鹿にしたように、冷たく笑った。

 ウェレダは、トロイの滅亡を警告したが、誰にも聞き入れられなかったカッサンドラのように、コレティアと俺がどんなに努力しようと、ローマの滅亡は止められないと、言いたいらしい。


「あら、私にはローマの行く末まではわからないわ。私にわかるのは、プリムスの行き先くらいね」


 ウェレダの嘲笑を鼻であしらい、コレティアは思わせ振りにウェレダを見やった。


「プリムスの行き先は、近衛軍団プラエトリアニの兵舎ね」


 コレティアの言葉に、俺は先程のウェレダの台詞を思い出していた。


 ウェレダは、たとえプリムスが紫のトーガを纏ったとしても、奴だけは御免だと言った。

 貴重な紫の染料で染められたトーガは、皇帝だけに許された特権だ。


 つまり、プリムスはティトゥス帝を暗殺し、イタリア本国で唯一の軍団である近衛軍団の武力を利用して、自らが皇帝になるつもりだ。


「プリムスのような下衆げすを、元老院と市民が、皇帝として認めると思っているのか?」


 俺は、ウェレダを睨みつけた。


「私がそそのかしたんじゃないわ。あの男が、自ら望んだことよ」


 ウェレダは涼しい顔だ。

 内心では失言を悔いているのだろうが、おくびにも出さない。


「それに、自分の喉元に剣を突きつけられて、否と言える人間が、一体、何人いるかしら」


 ウェレダは鼠をいたぶる猫のように、楽しげに喉を鳴らした。


 広大なローマ帝国の要は、皇帝と元老院議員が起居する首都ローマだ。しかし、本国イタリアに駐屯する軍事力は、近衛兵団の九千人しかいない。


 代々の皇帝は、代替わりごとに、ローマ市民と近衛軍団の兵達に祝い金を下賜してきた。

 だが、即位直後にウェスウィウス山の噴火という惨事に見舞われたティトゥス帝は、下賜金を実施していない。ティトゥス帝は私財をカンパニアの災害復旧費に投じたのだ。


 皇帝としての責務に誠実であるティトゥスの行動に、表立って不満を漏らす者はいないが、下賜金がなかった事態を心中で不満に思う近衛兵は、当然いただろう。


 プリムスには、密輸で築いた巨万の富がある。莫大な報奨金を餌に、近衛軍団の一部を懐柔したに違いない。


「どうやら、あんたと楽しく喋っている時間は、なさそうだな」


 俺はグラディウスの柄に手を掛けたまま、じりじりと後退した。


 近衛軍団の兵舎は、市内の北東の外れにある。既にプリムスが屋敷を出ているなら、急いで追わねばならない。


「そうね。あなた達とおしゃべりするのにも飽きたわ。そろそろ、死になさい」


 ウェレダが手を振って男達に合図する。と、同時に男達が抜剣し、四方から俺とコレティアに襲いかかろうとする。


 だが、それよりも早く、コレティアが動いていた。


 右手の男へ駆け寄ると、男がまだ剣を抜き放つ前に、顎を蹴り上げる。コレティアは、男が昏倒する姿には目もくれず、もう一人の刺客へ向き直った。


 その時には、俺も男の一人に駆け寄っていた。

 男が、俺へと剣を振り下ろす。

 俺は体を斜にして剣を避けると、男の太股にグラディウスを突き刺した。悲鳴を上げた男の足を刈る。体勢を崩した男が後ろに倒れ込む。


 男が倒れた先には、アトリウムに数多く飾られた大理石像の一つがあった。

 男の体重を受け止めかねた泉の女神エゲリアの彫像が、男もろとも倒れる。派手な音が響いて、エゲリアが高く捧げていた壺が腕ごと折れた。


 別の男が俺に迫る。

 繰り出された剣を、俺はグラディウスで弾いた。

 鋼同士が固い音を立てる。

 男達の剣の腕前は、キウィリスに遠く及ばない。直線的で、単純な動きだ。


 男の二撃目をかわしざま、俺は男の右腕に斬りつけた。男が悲鳴を上げ、剣を取り落とす。


 俺はグラディウスの柄を男の鼻っ柱へ叩き込んだ。骨が折れる嫌な感触がし、鼻血を吹き出しながら、男が倒れる。


 男二人を片付けた俺は、コレティアの援護に回ろうとした。

 が、その必要はないようだ。


 男を十分に引きつけたコレティアが、男が剣を振りかぶった瞬間、踊り子のように身を翻す。自分の立ち位置を把握しての回避だ。


 男の剣が、コレティアの背後に隠れていた大理石の彫像に食い込む。

 男の動きが止まった隙を突いて、背後に回り込んだコレティアが、男の後頭部を蹴り飛ばした。白目を剥いて男が倒れる。


 ウェレダは、男達が劣勢だと見てとった途端、護衛の男一人を連れて、屋敷の奥へと逃げていた。


 追って捕まえたいが、プリムスの後を追う方が先決だ。

 コレティアも、同じ意見らしい。真っ直ぐ玄関へと引き返している。


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