3 自分を蹴り倒した女になんて、会いたくない


 他人を拒絶するかのような威圧的な高い壁、夜目にも磨き込まれているのが明らかな分厚い玄関扉のびょうには、見覚えがあった。


 四ヶ月前、ローマを旅立つ直前に訪れた家――コレティアの求婚者、ジウスの屋敷だ。


 何故、ジウスの屋敷から不審な男達が出てきたのか、真相はわからない。

 だが、俺はうなじの毛が逆立つような嫌な予感を味わっていた。


 男達が出ていった後、ジウスの屋敷の扉は、他の家々と同じように、固く閉じられている。内側には閂が下ろされているだろう。


 なんと言って堅牢な玄関扉を開けさせるか、俺が悩んでいる隙に、コレティアは玄関扉の青銅製のノッカーを、力いっぱい打ちつけていた。

 街路の騒音に負けない高い音が響く。


「コレティア・ペティリアよ! この扉を開けなさい!」


 よく通るコレティアの声の調子は、放っておいたら、どこからか斧でも持ち出して力づくで玄関扉をぶち破りそうだ。


 ややあって、玄関扉の上部につけられた覗き窓が、かたりと開いた。男のものらしい目元が覗いて、コレティアと俺の姿を確認する。


「少々、お待ち下さい」


 男は、なまりの強い声でぶっきらぼうに告げると、覗き窓を閉めた。


 俺だったら、自分を蹴り倒した女になんて、そいつがどんなに美人で宝石を山のようにつけて着飾ってたって、会いたくない。居留守を決め込む。


 だがジウスの考えは、俺とは違ったらしい。


「お待たせしました。どうぞ」


 待つほどもなく、先程顔を覗かせた男の声がし、扉が開かれる。アトリウムではオリーブ油のランプを贅沢ぜいたくに灯しているのだろう。光の帯が街路へ伸びる。


 俺は、コレティアを制して、先に扉へ一歩を踏み出した。

 立ち止まり、漏れ出る光で、邸内の明るさに目を慣れさせる。


「外は物騒です。どうぞ、お早く」

 男の声が俺を急かす。声の主の姿は、扉の陰になっていて見えない。


「一つ、聞きたいんだが」

 俺は、扉をくぐりながら、男に尋ねた。


「いつから、門番を換えたんだ?」


 男からの返答はなかった。

 代わりに、閉じたままの側の扉の陰から別の男が飛び出し、俺の頭に棍棒こんぼうの一撃をお見舞いしようとする。


「コレティア! 入るな!」


 俺は横へ跳び退いて棍棒を避けると、棍棒を持つ男の腹を蹴りとばした。

 靴底に滑り止めのびょうを打った俺のブーツが、腹にめり込む。


 男は、体を二つに折ってもだえる。男の手から落ちた棍棒が、床の上を転がった。


 コレティアは、俺の言葉に従うどころか、素早く邸内へ駆け込んできた。


 俺達の応対をした男が、入ってきた獲物を逃がすまいと、荒々しく扉を閉め、手早くかんぬきを掛ける。

 その男の後頭部を、弧を描いて繰り出されたコレティアの蹴りが綺麗にいだ。男が意識を失い、モザイクが描かれた床に昏倒する。


「ずいぶんと手厚い歓迎だな。コレティア、ジウスの恨みを買いすぎたんじゃないか?」


 玄関の短い廊下の向こうには、噴水が水音を立てるアトリウムがある。

 アトリウムから漂ってくる不穏な気配に、俺は扉の閂を外しながら軽口を叩いた。


「私達に恨みがある人物は、ジウスだけじゃないみたいよ」


 俺を棍棒で襲った男の顎を蹴り上げ、あっさり昏倒させたコレティアが、形の良い鼻をつんと上げ、アトリウムをあごで示す。


 コレティアが示した先、アトリウム中央の噴水を背にし、流れる水を纏うかのように、一人の人物が立っていた。


 コレティアよりも淡い金の髪、凍てついた湖のように冷ややかな碧い瞳の美しい女。


「ウェレダ!」


 俺は唸るように女の名を呼ぶと、腰を落とした。

 いつでも抜けるようにグラディウスの柄に手を掛ける。


 刺すような俺の視線にも動じず、ウェレダは悠然と微笑みを返した。


「あら。私の本名を、いつの間に知ったのかしら?」


「あんたが殺しそこねた男は、俺の親友でね」


 唇の端を上げてにやりと笑うと、ウェレダは眉をひそめ、紅を塗った唇に嘲笑を浮かべた。


「ポピディウスが言っていた「頼りになる親友」というのは、あなただったのね。つまらない男同士、つるんでいるというわけ?」


「あんたに名前を覚えてもらっていると知ったら、ポピディウスの奴、喜びのあまり、嬉し涙を流しそうだ」


 からかい混じりに告げた俺は、挑むようにウェレダを睨んだ。


「で、プリムスの野郎なら、あんたの好みにかなうってわけか?」


「たとえ、紫のトーガをまとうようになったとしても、奴だけは御免だわ」


 口の中に泥団子でも突っ込まれたように、ウェレダが吐き捨てる。


 俺は、胸の中で密かに安堵の息をついた。

 ジウスの屋敷にウェレダの姿を見て、ふと思いついた推測を確かめるべく、鎌をかけたのだが、正解だったらしい。


 ジウスの正体がプリムスだと仮定すれば、奴が自分の武芸の腕に自信を持っていた訳や、ギリシア風のひげを生やしていた理由が、よーくわかる。

 ローマへ戻ってくるにあたって、万が一、プリムスの顔を覚えている人物に会った時の用心の為に、人相を変えるべく、髭を生やしたのだ。


「プリムスの野郎の姿が見えないが、奴は、どこへ行ったんだ? あんたに失恋した悲しみのあまり、ガリアへ帰ったか?」


 俺の問いに、ウェレダは艶然と微笑んだ。見惚みほれる者を凍りつかせるような氷の笑みだ。


「まもなく死ぬあなた達には、関係ないでしょう?」

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