12 再会の祝いに贈り物を


 すがすがしいほどきっぱりと、コレティアがキウィリスを拒絶する。


「逃げ道のないこの状況で、大口を叩くか。ますます気に入ったぞ、コレティア。再会の祝いに、父から贈り物をしてやろう。まず最初は、その男の死体からだ」


 自らの優位を確信するキウィリスの余裕は変わらない。

 俺を見た隻眼には、狩りを楽しむかのような、冷ややかな殺意が宿っていた。


「悪いが、大人しく殺される気はないぜ」


 俺はグラディウスを抜いた。

 俺の命を盾に、コレティアがキウィリスに屈するくらいなら、死んだ方がましだ。


 とはいえ、あっさり殺されてやる気は芥子粒ほどもない。


「構わんさ。活きのいい獲物の方が、こちらも楽しめる」


 言いつつ、キウィリスが腰の剣に手を掛けようとする。

 させまいと、コレティアが動いた。


 キウィリスとの距離を一気に詰め、キウィリスの頭を狙って鋭い蹴りを放つ。ストラの裾が花のように広がった。


 見えない目の側からの攻撃にも拘わらず、キウィリスはコレティアの蹴りをかわす。


 コレティアが動くと同時に、俺もキウィリスへ向かって駆けていた。


 キウィリスが素早く剣を抜きざま、俺のグラディウスの突きを弾く。火花が散り、鋼の打ち合う音が響く。


 剣が打ち合う音に、隠し部屋の外にいた男達が動き出す気配がする。


 現在、キウィリスとは二対一だが、外に待機している男達が加われば、形勢は逆転する。

 縄梯子を降りなければ隠し部屋へ来られない造りと、隠し部屋が男達全員が入って戦えるほどには広くないのが、幸いだ。


 しかし、逆に言えば、俺達も外へ出るには、縄梯子を登らなければならない。外の男達にとっては、格好の標的だ。


 地下室の為、隠し部屋の天井はさほど高くはないが、それでも、俺が真上に跳んで手が届かない程度の高さはある。

 今の状況では、キウィリスを無力化し、人質に取らなければ、俺が安全に部屋から出るのは不可能だろう。


 だが、キウィリスの剣の腕前は、かなりのものだ。


 俺の突きを弾いたキウィリスが攻勢に出る。太刀筋は鋭く、力強い。


 キウィリスが斜め上から剣を振り下ろす。

 俺は一歩さっと下がり、体を斜にして避けた。

 キウィリスの剣が、俺の外套パエヌラをかすめる。


 俺は体を沈めると、すくい上げるようにグラディウスを突き出す。

 素早く戻されたキウィリスの剣が、グラディウスを弾く。


 コレティアは、俺とキウィリスの激しい攻防に、そばで手を出しあぐねている。


 コレティアには、護身用に短剣を渡してあるが、コレティアは剣の扱いにはあまり慣れていない。

 生兵法はかえって危険と判断したのだろう。コレティアは短剣を抜いてすらいない。いい判断だ。


 剣を手にすれば、力を得る分、返ってくる危険も大きくなる。

 コレティアに怪我はさせたくない。


 外の男達の一人が、中の様子をうかがおうと、顔を出した。

 コレティアが、部屋の中央の机から、素早く書字板を一枚、掴むと、振りかぶって男へ投げつける。


 狙いあやまたず、書字板は男の鼻にぶつかった。

 鼻血を吹き出した男が、悲鳴を上げながら顔を引っ込めた。仲間を傷つけられて、外の男達が色めき立つ。


 コレティアは縄梯子へ駆け寄ると、登り始めた。俺とキウィリスの戦いに加われないのなら、その間、外の男達の侵入を防ぐ気だ。


「やめろ! 娘は傷つけるな! 必ず生け捕りにしろ!」


 男達が抜剣する音を聞いたキウィリスが、落とし戸を振り返って鋭く叫ぶ。


 キウィリスが振り返った隙を突いて、俺はグラディウスでキウィリスの足を狙った。


 だが、キウィリスは机の陰に回り込んで巧みに避けた。そのまま、縄梯子へ駆け寄ろうとする。


 させじと、俺は机の上の書き物の山を左手で突き崩した。

 パピルスの巻物や木製の書字板が、音を立てて雪崩なだれ落ち、キウィリスの足元を埋めようとする。


 コレティアは、男達が剣をさやへ仕舞い込む隙に、身軽く落とし戸の外へ飛び出していた。俺の視界からコレティアの姿が消える。


 が、心配は無用だった。

 「はっ!」と、コレティアの裂帛れっぱくの声が聞こえ、続いて、蹴られた男が倒れる重い地響きが聞こえる。


 男が持っていた松明が、落とし戸から落ちてきた。

 俺が床へばらまいた巻物の一つに、松明の炎が燃え移る。


 炎が蛇のように身を擡げて、次の獲物を探しだす。

 しかし、消火をしている暇は一切ない。キウィリスにコレティアを追わせるわけにはいかない。


 キウィリスより早く、縄梯子へ回り込もうとした俺の足元へ、キウィリスがお返しとばかりに、床の書字板を蹴り飛ばす。


 書字板は的確に俺の向こうずねに当たった。

 だが、分厚い革のブーツのおかげで、痛みはない。とはいえ、動きが一瞬、阻害された。


 間髪を入れず、キウィリスがまるで奇術師のように懐からナイフを取り出した。 手首の振りだけで、体勢の定まらぬ俺へ投げつける。


 しかし、狙いは俺の体の中心から逸れている。俺は横転し、その勢いのまま、キウィリスに斬りつけようとした。


 突然、見えない手が俺を後ろへ引き寄せる。


 振り返った俺の目に入った光景は、ナイフで背後の壁にがっちり縫い付けられた外套パエヌラだった。

 キウィリスの狙いは、最初から外套だったのだ。


 俺は力任せに、外套を引っ張った。

 厚い毛織りの布が悲鳴を上げて裂ける。


 動きを制限された俺を見逃すキウィリスではない。

 キウィリスのブーツが机を蹴り飛ばす。

 机の上に僅かに残っていた巻物を撒き散らしながら、木製の机が俺に迫る。外套はまだ壁に縫い留められたままだ。


 俺は咄嗟とっさに左肩を前にして、体を庇った。机が左肩にぶち当たり、鈍い音を立てる。衝撃が体を走り、一瞬、息が詰まる。


 俺は柄を握り締めて、グラディウスを取り落とすまいと耐える。キウィリスの前で丸腰になれば、死んだも同然だ。


 だが、キウィリスの追撃はなかった。


 俺を足止めしたキウィリスは、身を翻した。床に広がりつつある炎を飛び越え、縄梯子に手を掛けてコレティアを追い始める。


「コレティア、逃げろ!」


 俺は無我夢中でもがきながら叫んだ。


 コレティアの返事はない。

 代わりに、外へ出たキウィリスが、男達へ命じる声が届いた。


「縄梯子を引き上げろ! 男は殺せ!」


「やめなさい! ルパスを殺せば、私も死ぬわよ!」


 コレティアの凛とした声が響く。近い。

 まだ男達の包囲網を抜け出せずにいるのか。


「コレティア! 逃げろ! 逃げきれ!」

 俺は喉も裂けよと声を張り上げた。


 コレティアが逃げ切れば、まだ終わりじゃない。コレティアなら、必ずキウィリスの陰謀の全容をローマへ伝えてくれる。

 もしかしたら、キウィリスもコレティアを捕えるまで、俺を人質として生かしておく気になるかもしれない。


 この世の終わりのような音を立てて、ナイフで縫い留められていた外套が裂けた。


 自由を取り戻した俺は、脱兎の如く、縄梯子が引き上げられた落とし戸へ駆け寄る。

 行く手を阻むかのように、乾いた枯れ枝が雨のように頭上に降り注ぐ。


 床の炎が勢いよく燃え広がった。火の粉がぜる激しい音の中で、俺の耳にコレティアの小さな悲鳴が届く。


「コレティア!」


 俺は跳び上がって、落とし戸へ手を掛けようとする。

 だが、届かない。手は虚しく空を掴むばかりだ。


 コレティアの声は、悲鳴を最後に、聞こえない。


「コレティア!」


 もう一度、叫んだ俺の耳へ届いたのは、キウィリスの冷酷な声だった。


「男は必ず殺せ! いいな!」


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