11 自由なるゲルマンの血
キウィリスが、下らない人情話など真っ平だとばかりに、眉を寄せる。
「いいえ。たとえ何があろうと、私はあなたを父親だと思わないわ」
「
凛々しい表情も、強気な口調も、完全にいつものコレティアだ。
コレティアは挑むようにキウィリスを睨みつけ、口を開く。
「あなたは、私をローマに対する人質にする気でしょうけれど、
娘からきっぱり告げられた決別に、キウィリスは楽しそうに大笑いした。
「そうだ、わたしの娘なら、そのくらいのはねっ返りでないとな! 死んだお前の母親の若い頃に、そっくりだ」
笑いを収めたキウィリスは、一つしかない目で、俺とコレティアを見据えた。碧い瞳は冷ややかに底光りしている。
「威勢がいいのは、大いに結構だ。そんな奴を屈服させるのも楽しいからな。で、袋の
「さて、どうしようかしら。あなたを倒して出るのが、一番、手っ取り早そうだけれど」
コレティアは剣呑な笑みを浮かべて、肩をすくめる。
俺はふと、コレティアがまだ俺の知らない抜け道でも知っているのかと思った。
だが、キウィリスの悠然とした様子を見ると、抜け道はなさそうだ。
しかし、逃げ道が存在しなくとも、コレティアの自信にあふれた口調は揺るがない。
「たとえ、私達をここで捕えたとしても、あなたはもう、おしまいよ、キウィリス。あなたが計画した陰謀は、既にローマに知られているわ。ユダヤやダキアの反乱も、パルティアの侵攻も、ウェレダがローマに潜伏している件も、何もかもね。あなたの陰謀は、
「勝負は、始まってみなければ結果はわかるまい」
コレティアの厳しい声音にも、キウィリスの笑みは消えない。
「戦争で大切なことは経過じゃない。最後に勝っているか、どうかだ」
キウィリスの言葉に、コレティアは目をすがめた。
「キウィリス。あなた、ローマのユピテル神殿炎上の合図と同時には、兵を挙げないつもりね?」
十年前と同じだ。
十年前は内乱中で、皇帝に名乗りを上げたウィテリウスがレヌス河沿いの軍団基地から精鋭兵達を率いて、首都へ進軍した。
そのためレヌス河沿いの軍団基地は、軒並み手薄になった。
キウィリスはその隙を突いて、各軍団基地を襲ったのだ。
もし現在、帝国の東方で戦争が起これば、必ず、レヌス河沿いの軍団基地からも何軍団かが動員される。
まず、
キウィリスにとっては、パルティアもユダヤ人も、自分が勝利を掴む為、ローマ軍を引き付け、消耗させる捨て石に過ぎないのだ。
「笛を吹いて、他人に破滅の踊りを舞わせて。自分だけが利益を得るつもりね。卑怯だわ」
コレティアが侮蔑を隠さずに吐き捨てる。キウィリスは鼻を鳴らして嘲笑した。
「利用される奴が愚かなのだ。力ある者、知恵が回る者が勝利を得るのが、世の常ではないか」
「では、十年前、ガリア帝国が一年も経たずに瓦解した理由は、あなたが愚かだったからなのね」
コレティアが、鼻をつんと上げて言い返す。キウィリスは苦い顔で頷いた。
「十年前は、ウェスパシアヌスがあれほど早く軍団を派遣するとは、読めなかった。だが、今回は違う。計画が成功すれば、ローマ帝国は根底から覆されるだろう」
力強く言い切ったキウィリスは、コレティアへ右手を差し出した。
「コレティア。父の元へ来い。ローマはお前にとっては
「確かに、私にとって、ローマは窮屈よ」
コレティアは、小さく肩をすくめて頷いた。
「女では、
ローマは男社会だ。いくらコレティアに才能と熱意があろうとも、決してそれが認められる事態はない。
社会に求められる女性像は、子を生み、立派に育て上げる良妻賢母だけだ。
コレティアの言葉に、キウィリスが我が意を得たりと頷く。
「そうだろう。だが、ゲルマニアなら違う。コレティア、お前が兵を動かすことも不可能ではないぞ」
ゲルマン民族は、女子どもも戦場に同行させる。戦う男達の後ろで、女達は声を上げて男達の戦意を鼓舞するのだ。
俺の脳裏に、馬車の屋根の上にすっくと立ち、味方の男達を叱咤激励し、敵軍を
キウィリスにとっては、この上なく有能な右腕が手に入るわけだ。
コレティアがいつまでも右腕の地位に甘んじているとは思えないが。
俺は、キウィリスに問いかけた。
「キウィリス。ローマ軍の補助部隊長を務め、ローマの強さを知っているあんたが、何故ローマに敵対する?」
ローマ軍では、指揮系統の統一の為に、補助部隊の兵であろうと、ラテン語の使用を徹底している。
長い髪を赤く染め、髭を伸ばし、どこからどう見てもゲルマン民族の族長にしか見えないキウィリスが、正確なラテン語を流暢に話す様は、違和感を覚える。
俺の問いに、キウィリスは、何故、人間は食物を摂らないと死んでしまうのか聞かれたような顔をした。
口元に、小馬鹿にしたせせら笑いが浮かぶ。
「何故、ローマを狙うかだと? 決まっている。ローマが富を蓄えているからだ。他者が富んでいれば、奪って自分の物にする。それが、ゲルマンの流儀だ」
キウィリスの口調には、一片の迷いもない。
俺は、キウィリスを説得して陰謀から手を引かせるのは不可能だと理解した。
キウィリスの価値観は、ローマ人の価値観とは違い過ぎる。しかも、キウィリスは自分の価値観が正しいと信じて、
「コレティア。死んだものと思っていた娘が生きていたんだ。この喜びを、今更、悲しみに変えさせないでくれ。もう一度、お前を喪う悲しみを味わいたくはない」
キウィリスは、言外に脅しをちらつかせながら、再びコレティアへ手を伸ばした。
「あら。私をローマへの人質に使うのなら、私を殺すような真似はしないでしょう?」
自分の価値をよく理解しているコレティアが、キウィリスの脅しを鼻で笑い飛ばす。
「ああ。お前はわたしの大切な娘だからな」
キウィリスは
「だが、そちらの男は、わたしにとって、生かしておく意味は欠片もない。コレティア、お前の返事次第だ」
「お金で雇った護衛の命乞いのために、私が膝を屈するとでも?」
コレティアは傲然と告げると、キウィリスを睨みつけた。
「私があなたと手を組むことは、あり得ないわ、キウィリス。他人の富を
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