10 返したくても不可能だったろうさ


 驚きに、俺は思わずキウィリスの顔を注視した。


 キウィリスの表情は生真面目で、冗談を言っているようには、とても見えない。 コレティアがキウィリスの数多い縁者の一人ではないかと、考えてはいたが、まさか、キウィリス本人の娘とは。


 キウィリスの告白が衝撃だったのは、コレティアも同じだったらしい。


「あなたが、私の父親……」


 呆然と、かすれた声で呟いたコレティアは、不意に激しく、かぶりを振った。


「違う! 違うわ! 私の父はクィントゥス・ペティリウス・ケリアリス・ルフスよ!」


「そうか。お前を引き取って育てたのは、ケリアリスなんだな」

 キウィリスは一人で納得して頷く。


「どういうことだ? 十年前、何があった?」


 俺は真実の重さに耐え切れず、キウィリスに問い掛けた。

 右手は、グラディウスの柄を握ったままだ。


 だが、キウィリスがコレティアの実の父親だと聞かされたのでは、事情を知らぬまま、キウィリスの口を永遠に閉ざすわけにはいかなかった。


 今、目の前にコレティアが追い求めていた、失われた記憶がある。


 キウィリスは、ちらりと俺を見やった。

 俺がいつでも剣で斬りつけられると知っても、顔色一つ変えない。コレティアへ視線を戻すと、キウィリスは、ゆっくりと話し出した。


「十年前、わたしは、ローマ軍の総司令官だったケリアリスと、バタウィ族の島で会談した」


 過去の敗北を語るキウィリスの口調は冷静だった。

 十年前、反乱を鎮圧する為に、ローマは九個軍団を投入した。寄せ集めのゲルマン人部族など、正規のローマ軍の敵ではなかった。

 反乱の首謀者達の多くは戦死し、反乱軍は北へ北へと撤退していた。


「わたしとケリアリスは、旧知の仲だった。低地ゲルマニアで数年間、軍務を共にし、ブリタニアでも、共に戦った」


 ローマ軍団では、将官も補助部隊の隊長も、作戦会議では席を並べる。キウィリスがケリアリスと旧知の仲だと告げた言葉は、本当だろう。

 だからこそ十年前、キウィリスはケリアリスと直接、会議したに違いない。


「会談の席で、ケリアリスはわたしに、反乱から手を引けと言ってきた。反乱軍に勝ち目はない。新皇帝ウェスパシアヌスは、全てを内乱前の状態に戻すと言っている。ローマ軍に捕われていた妻子や縁者も返す。大人しく一私人へ戻るなら、追っ手を差し向けて処刑するような真似もしない、とな」


「お前の言葉が真実なら、どうして、コレティアはケリアリスの元で育った? ケリアリスが嘘をつくとは思えない」


 俺は眼差しに厳しさを込めてキウィリスを睨みつけた。

 キウィリスは肩を軽くすくめて、俺の怒りをやり過ごす。


「ケリアリスが、コレティアの引き渡しを拒んだのさ。コレティアは、高熱で伏せっている。今、治療を止めれば、冥府の神プルートに渡すようなものだ。そんな状態のコレティアを返すわけにはいかない。コレティアの熱が下がれば、お前の元へ送り届けよう、とな」


「私、覚えているわ」


 コレティアが、自分で自分を抱き締めるように、体に腕を回して告げる。


「高熱で、自分の全身が燃えているようで、体中の関節が痛くて、どうにも我慢できないほどだった。辛くて朦朧もうろうとしていると、力強い声と手が、私を励ましてくれたの。コレティア、熱なんかに負けるな。お前が元気になるのを待っている者がいるんだって。あれは確かに、お父様だった」


 キウィリスは、コレティアそっくりの仕草で、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「子どもに情け深いケリアリスらしいな。だが、奴は約束を破ったわけだ。ケリアリスは、コレティアを返さなかった」


「返したくても不可能だったんだろうさ。なんせ、当時のあんたときたら、ケリアリスのお情けで一命は取り留めたものの、復讐を誓う軍団兵やら、族長に失望した部族民から身を隠すので、必死だっただろうからな」


 俺は思いっきり顔をしけめ、侮蔑を込めてキウィリスへ言ってやった。

 少しでも、奴に意趣返しをしてやりたかったからだが、無駄だった。


 キウィリスは俺の言葉に眉一つひそめず、皮肉げに唇を歪めた。


「総司令官であるケリアリスなら、わたしを捜し出すのは、不可能ではなかったさ。ケリアリスは、コレティアを手元に置くことにしたんだ。わたしに対する人質としてな」


「お父様は、そんな卑怯な真似をなさらないわ!」


 コレティアが初めて声を荒げた。

 碧い瞳が怒りに燃えている。キウィリスは片眉を上げると、実の娘へ問い掛けた。


「人質として利用しないのなら、何故、敵だった者の娘を育てる?」


「あんたより、愛情が深かったからさ」

 コレティアが答えるより早く、俺が間髪を入れずに言い返す。


 ケリアリスとフラウィアが、コレティアに接する姿を見た者なら、すぐにわかる。人質にしようなどという邪な思惑があれば、心からの愛情など、注げない。


 キウィリスが陰謀に関わっていると知った時、ケリアリスもフラウィアも、真っ先に心配していた件は、コレティアの安全だった。


 二人がコレティアから真実を隠そうとした理由は、決してコレティアを人質として利用するつもりだったからじゃない。

 コレティアが実の父親と対面して傷つく事態や、そのまま、キウィリスの元へ留まる可能性を恐れたんだ。もし、キウィリスに対する人質として利用するなら、コレティアを監禁してでも、ローマに留め置いただろう。


 俺はキウィリスの視線からコレティアを隠すように、コレティアの前へ立つと、声に軽蔑を込めて、キウィリスへ告げた。


「キウィリス。お前は、コレティアの生死を確かめようともしなかったんだろう? 血は繋がっていなくとも、ケリアリスの方が、よっぽど父親らしいよ」


「好きに言うがいい。最後に勝つのは、ゲルマンの血の濃さだ」


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