5 自分から獅子の檻には入らない


 ノウィオマグスの町中へ馬で駆け込んだ俺とコレティアは、宿屋を見つけて、入った。

 食べられるだけマシという代物の夕飯をそそくさと食べると、部屋へ上がる。


 二階の客室で濡れた服を着替えると、俺は椅子を持って廊下へ出た。

 隣のコレティアの部屋の扉の前に椅子を置き、腰掛ける。


 もちろん、腰には愛用のグラディウスを下げたままだ。


 安全とは言い切れない宿では、コレティアの部屋の扉の前で夜を過ごすのが、俺の習慣になっていた。護衛としては、当然だ。


 それに、必ずコレティアを無事にローマへ連れて帰るとフラウィアに約束している。


 急ぐ旅路で、腕輪と指輪くらいの最小限の装飾品しか身に着けていないとはいえ、コレティアが身にまとっているものは、全て上質だ。


 加えて、コレティアの華やかな美貌は隠しようがない。物盗りや人攫ひとさらいにとって、これほど魅力的な獲物は、そういないだろう。


 万が一、攫えたところで、コレティアに高飛車に罵倒された挙句、蹴り倒されるのが落ちだろうが、護衛としては、身の細るような冒険は、お断りだ。


 宿屋の椅子は、作った職人が手抜きしたのか、一本の足だけが短くて、安定が悪い。

 居心地悪く椅子の上で動いていると、背後の扉が開いて、コレティアが顔を出した。


「番なんて、不必要だと言っているのに、またやっているの?」

 俺を見て、呆れたように鼻の頭にしわを寄せる。


「俺は、職務に忠実でね。金を貰った分は、働くんだ」


 言い返すと、コレティアは不機嫌そうに眉を寄せて通告した。


「寝不足や風邪で役立たずになったら、置いていくわよ」


「そんなやわな鍛え方は、してないさ」

 コレティアの性格なら、本当に置いていきそうだ。


「どうせ、番をするなら、こんな寒い廊下じゃなく、私の客室に入ったらいいのに」


 コレティアが肩をすくめて吐息する。


 いくら相手がコレティアで、いい雰囲気になる可能性が皆無とはいえ、嫁入り前の令嬢の部屋で夜を過ごすほど、俺は非常識じゃない。


 俺は唇をにやりと歪めると、言ってやった。


「命が惜しいんでね。獅子の檻には、自分から入らないことにしているんだ」


 コレティアが、からかうような笑みを浮かべる。

「それが、長生きの秘訣ひけつ?」


 俺は苦笑いして、かぶりを振った。


「長生きが目的なら、あんたの護衛はやらないし、ゲルマニアくんだりまで来やしない」


 俺とコレティアは視線を合わせ、共犯者めいた笑みを交わし合った。

 平穏無事な人生を願う者からすれば、俺達の行動は狂気の沙汰だろう。


「キウィリスは、ノウィオマグスで見つかるかしら?」


 周りに俺達以外の人の気配はなかったが、コレティアは声を潜めて囁いた。


「わざわざ、レヌス河の最北まで来たんだ。俺としては、ここで旅が終わることを期待するね」


 俺は肩をすくめて囁き返した。


「何にしろ、明日にならなけりゃ、わからないさ」


 夕暮れの雨で人気のないノウィオマグスに着いたため、町の雰囲気はまだ少しもわからない。

 現状では、何も判断しようがない。


「今夜は、大人しく寝るんだな。疲れているだろ?」


「あら、あなたよりは元気よ」

 腰に手を当て、胸を反らせて言ったコレティアは、悪戯いたずらっぽく目配せした。


「だから、寝る前に、あなたを部屋へ招いてあげるわ」


「さっき言っただろ。俺は――」


 俺の言葉を最後まで聞かず、コレティアは俺が座っていた椅子の足を蹴っ飛ばした。


「私の部屋の椅子の方がマシな状態だから、取り替えなさい。夜中に居眠りしたあなたが転んで廊下に穴でも空けたら、ゆっくり寝てられないもの」


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