13 もう決して、俺の仲間を殺させはしない
コレティアの屋敷へ戻った俺達は、タブラリウムで待っていたフラウィアに、ジウスの屋敷での
フラウィアはコレティアを送り出した時から結果を予想していたのだろう。溜息の一つさえもつかず、諦めたような表情で、報告を聞く。
「お母様。そんなに悲しそうな顔をなさらないで。冬の間、お別れになるのですもの。どうか、いつものように、笑顔で見送って下さい」
フラウィアの暗い顔に、コレティアが困ったように眉を寄せる。
フラウィアはコレティアの両手を自分の両手で包み込むように握り締めると、娘の碧い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「コレティア。私がどんなに懇願しようと、ゲルマニアへ行くあなたの決意は変わらないのね?」
コレティアはフラウィアと視線を合わせたまま、ゆっくりと、だが力強く頷いた。
「はい。ローマを混乱の極みに陥れようとする陰謀が、画策されているのです。知った以上は、陰謀を放っておくことは金輪際、できません。誰かが陰謀を止めなくては」
生真面目な顔でフラウィアへ告げたコレティアは、ふと表情を和らげて微笑んだ。
「それに、自分が気になった件は、何であれ、納得するまで調べないと気が済まない私の性格は、お母様が一番、ご存じでしょう? 私だけ安全なローマにいて、他人をゲルマニアへ遣わして調べさせるだなんて、卑怯で嫌なんですもの」
確かに、俺もコレティアも、ゴルテスの死体を見つけたことから関わったこの事件に、深入りしすぎた。
今さら、結末だけ他人に譲れと言われても、できるはずがない。
それに。
俺はコレティアの美貌の横顔をそっと盗み見た。
コレティアは本当は、自分が生まれ育ったゲルマニアを、自身の目で見て確かめたいと、願っているのではないだろうか。
ゲルマニアに行っただけで、コレティアの記憶が戻るとは思えない。
だが、試しもせずに諦めるようなコレティアではないだろう。
ましてや、今回はケリアリスとフラウィアとは離れ、大手を振ってゲルマニアに行けるのだ。
コレティアにどれほどの記憶が残っているかは知らないが、旅の間に、もしかしたら、記憶の琴線にふれる町を通る機会もあるかもしれない。
俺は、もしコレティアが気になる町があったら、数日くらいは滞在してもいいと、ひそかに思っていた。コレティアの昔を知っている人物に会える可能性だってある。
おそらく、俺から水を向けても、コレティアは決して頷かないだろうから、コレティアには教えていないが。
きっぱりしたコレティアの返事に、フラウィアは何かを覚悟するように固く目を閉じた。
「そうね。子どもの頃から、あなたは自分の心に忠実だったわね。私が、危ないからやめなさいと、いくら止めたって、必ず自分の意志を貫いた」
目を開けたフラウィアは、コレティアを見上げて、優しく微笑む。
「コレティア。一つだけ、約束してちょうだい」
フラウィアは、コレティアの両手を握り締めたまま、表情を引き締めると、真剣な目で娘を見つめた。
「何があろうとも、必ず、私とクィントゥスの元へ帰ってくる、と」
「はい、お母様」
フラウィアの視線を真っ直ぐに受け止めて、コレティアは
「必ず、無事に帰って参りますわ」
「必ずよ。待っていますからね」
フラウィアは祈るように握り締めたコレティアの両手に額をすりつける。
「大丈夫ですわ、お母様。私は、いつだって、無事に帰ってきてますでしょう?」
コレティアは年老いた母親を安心させようと、自信に溢れた笑顔を見せてフラウィアを抱き締める。
娘の思いやりに、フラウィアはようやく顔を上げた。まなじりには、うっすらと涙が浮かんでいる。
「だめね。年をとると、心配性になってしまって。さあ、コレティア。私は大丈夫だから着替えてらっしゃい。おめかししたままでは、活発に動けないでしょう?」
フラウィアは小さく笑って、着飾ったままのコレティアをタブラリウムから送り出した。
コレティアの性格だ。着替えたらすぐに旅の準備を嬉々として始めるだろう。
俺も準備を急がなくては。
真冬にアルプスを越えてゲルマニアへ行くからには、しっかり備えをしなくてはならない。
丈夫で暖かい外套が欲しいし、ゲルマニアの地図も買っておきたい。薬や旅行用の携帯食の補充も必要だ。
だが、準備の前に、俺はフラウィアに確認しておきたい事柄があった。
「一つ、伺ってもよろしいですか?」
俺は、コレティアが出ていった戸口を見つめ続けているフラウィアへ、話しかけた。
「なぜ、コレティアのゲルマニア行きに強固に反対したんですか?」
俺が今まで見たフラウィアは、コレティアの冒険を嘆きつつも、どこか楽しんでいた。
今回のように、何がなんでも行かせまいと反対するのは、どうにもフラウィアらしくない。
そこには、コレティアの身に降り掛かる危険を恐れる以上の理由があるように感じられた。
俺の質問に、フラウィアは唇を
「コレティアは、わかっていないのです。キウィリスが、どれほど危険な男なのか」
コレティアがいなくなって、抑えていた感情が噴き出したのだろう。フラウィアの声は震えていた。
キウィリスがどんなに危険な男か、俺はフラウィア以上に、よく知っている。
だからこそ、陰謀にキウィリスが関わっているとなれば、私怨を抜きにして放っておけない。
「お願いです。ルパス」
フラウィアは
「どうか、どうか……。何があろうとも、コレティアを守ってあげて下さい」
「もちろんです。必ず、無事にローマへ、連れ帰ります」
俺はフラウィアの手を包み込み、決意をこめて頷いた。
コレティアから護衛の依頼を受けたからじゃない。たとえ、依頼がなくとも、初めからコレティアを守り通すつもりだ。
もう、決してキウィリスに、俺の仲間を殺させはしない。
「ルパス、頼みましたよ。必ず、必ずコレティアを守ってあげて……」
「大丈夫。大丈夫です。必ず、二人して元気な顔で奥様に再会しますよ」
自分の心に決意を刻み込むように、俺は今にもすすり泣きそうなフラウィアをなだめ続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます