5 影で糸を引く者
「普通、占いっていや、客は大抵、女だろう? でも、あたしゃ、グレースムの客で女なんか、見た覚えがないね。金回りもよかったみたいだし、本当は、別のものを売ってたんじゃないのかねえ」
何本も歯の抜けた前歯から空気を洩らしながら、老婆は「ひゃっひゃっ」と品のない笑いをこぼす。
つまり、老婆はウェレダが春をひさいでいたと考えているらしい。
ウェレダが、男を手玉に取るだけで満足する娼婦ならよかったのだが、あいにくと俺達は、ウェレダがローマ帝国を転覆させようとしている
老婆の
「グレースムの客はどんな男達だった? 一人でも、名前や住所を知っている奴はいないか?」
俺が尋ねると、老婆は「さあてねえ」と小首を傾げた。
「何しろ、色んな男が出入りしていたからねえ。あ、そういや、ローマ人じゃない男も多かったよ。ガリア人だかゲルマン人だか知らないけど、金髪で背の高い男とか、東方風の格好の男とか。ユダヤ人もいたっけねえ」
ローマ帝国の各地で反乱を起こそうとしている者達が、ウェレダを介して互いに連絡を取り合っていたのだろうか。
下手をすれば、往復だけで数ヶ月はかかる距離だが、アグニの噂が各地で一斉に流れた事態といい、連絡は密に取っていると考えていいだろう。
「金髪のゲルマン人の男は、よくグレースムに会いに来ていたのかしら?」
もしかしたら、その男が、ポピディウスが盗み聞きした時に話をしていた男かもしれない。コレティアの問に、老婆はしばらく沈黙した。
「いや、しょっちゅうは見かけなかったねえ。まあ、あたしも出入りを見張ってたわけじゃないから、はっきりしたことは言えないけど、数ヶ月に一度ってとこだね。なんか、いつも旅支度って感じで……。そうそう、一番最近、来てたのは、引っ越しの二週間前だったよ」
「旅支度か」
俺は苦い声で呟いた。ポピディウスが声を聞いたのは、今、話題になっている男で間違いないだろう。
それよりも、俺は、男がいつも旅支度という方が、気にかかった。
十年前の反乱の首謀者は、ウェレダじゃない。
周辺部族を絡め取って短期間で味方を増やし、レヌス河防衛線を壊滅させた張本人は別にいる。
ユリウス・キウィリス。
十年前の反乱の終息以来、息を潜めているキウィリスが、ゲルマニアで手を引いているのだろうか。
噂では、ゲルマニア最北に位置するバタウィ族の島にいるとか、
だが、本当のところは、不明だ。
ゲルマン人、ユダヤ人、果てはパルティアまでを巻き込んで、ローマ帝国を混乱の渦に叩き込もうなどという壮大な反乱は、凡人には思いつかない。
だが、キウィリスなら考え、実行に移すだろう。奴なら、それだけの野望と頭脳を持っている。
ウェレダにローマで連絡係をさせ、キウィリス自身は、ゲルマニアでゲルマン人部族を組織していたとしても、不思議ではない。
「ちょっと、これだけ話したんだから、礼はなしってことはないだろ」
俺の沈黙をどう受け取ったのか、老婆が不安そうな声を出す。
「他に、グレースムについて知っていることはない? 何でも構わないから」
コレティアが口を挟む。
老婆は、少しでも報酬にありつこうと、目まぐるしく視線を動かして、記憶をまさぐった。
「そうだ! そういや、引っ越しの晩に、グレースムと手伝いの男達が話している言葉を聞きかじったよ。夜中まで、がたがたとうるさかったからさ、文句を言ってやろうと窓を開けた時に、細切れに聞こえたんだけど……」
「何と言っていたの?」
コレティアが好奇心に瞳を輝かせて、老婆をせっつく。
「ええと、待っておくれよ。なんせ、途切れ途切れだったから……。確か、まさかキウィリスの、とか、生きていた、とか……。あと、名前ははっきり聞こえなかったけど、誰かが知っているのかどうかとか、手に入れろとかなんとか、言ってたよ」
「キウィリス! 本当にキウィリスと言っていたのか!」
突然、大声を出した俺の剣幕に、老婆がたじろぐ。
「あ、ああ、そうだよ。確かに、キウィリスって言ってたよ」
「やはり、キウィリスも関わっているのか!」
俺は岩でも噛み砕くかのように、口の中で呟く。
ぎり、と奥歯がこすれて嫌な音を立てた。知らぬ間に、歯を噛み締めていたらしい。
「ありがとう。色々と役に立ったわ」
俺に代わってコレティアが老婆に礼を言うと、財布から銀貨を一枚出して、老婆に渡す。
「こ、こんなにいいのかい?」
驚きに目を見開いた老婆が、返せと言われても絶対に返すものかと、銀貨を握り締める。
「いいのよ。情報に見合った謝礼を渡すと、最初に言っていたでしょう」
コレティアは、笑顔で老婆に答える。
ほくほくと銀貨をしまい込む老婆と別れ、俺とコレティアは、インスラを出た。
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