11 頭には、気をつけろよ?


 俺達は、尾行されていないか用心しながら、荷物を取りにレンドロスの家へ戻った。


 出迎えたアリュテとレンドロスに、アブシェバとシカリオイの件を話して、十分に注意するよう忠告する。


「そんな危険な奴らが、アレクサンドリアの町をうろついているってのか」


 話を聞いたレンドロスは日に焼けた顔をしかめて嘆いた。


「アリュテの身は任せてくれ。俺もついていって、しばらく郊外の親戚の家に身を隠させる」


「すまないな。俺達が来たせいで、とんでもない危険に巻き込んじまって」


 俺は、心からアリュテに謝罪した。


「ううん。あなた達のせいじゃないわ。気にしないで。アグニの噂は気になっていたから、頼まれなくても、遅かれ早かれ、噂の出どころを調べていただろうし」


 アリュテは気丈にも笑って、かぶりを振る。アリュテの明るさに、俺は救われた気持ちになった。


「しかし、危ないのは、あんた達の方だ。これから先、どうするんだ?」


「すぐにアンティオキアへ発つわ」

 レンドロスの質問に、コレティアがきっぱりと答える。


「そうだな。早くアレクサンドリアを出た方がいい。だが、陸路じゃ、危な過ぎるな。よし、俺が港へついていって、知り合いの船長に話をつけてやろう」


 陸路でエジプトからシリアへ向かうには、ユダヤ地方を縦断しなければならない。

 シカリオイの本拠地であるユダヤ地方を旅するのは、あまりに危険過ぎる。


 旅行者が船旅をする場合は、旅行者自らか、奴隷が港へ行き、希望する行き先の船を探して、船長と直接、乗船の交渉をしなければならない。

 当然ながら、出発は船長の決断次第だし、途中の寄港も余程の金を出さない限り、予定外の港には入ってもらえない。


 何百隻もの船が停泊するアレクサンドリアの港で、条件に合致する船を探すのは、それだけで一仕事だ。レンドロスの申し出は、非常にありがたい。


「すまないが、頼む」


「気にするな。航海の季節はそろそろ終わりだが、沿岸を行くガレー船なら、見つかるだろう」


 地中海の波や風が荒れる十月から三月まで、ほとんどの船は危険を避けて、航海をやめる。


 だが、何かあればすぐに港へ逃げ込める岸沿いの航海なら、秋の終わりくらいまでは交易に出る船がある。


 軍船を除けば、地中海を横断するような船は、ほとんどが帆船だ。

 ガレー船なら、風だけに頼らず、逆風の際は人力で進める。しかし、漕ぎ手が乗り込む分、大量の食料と水が必要になる。

 その為に、二、三日ごとに港へ寄港しなければならない。


 アレクサンドリアからアンティオキアまでは、風に恵まれれば四日の船旅で着ける。

 ガレー船なら、風がなくてもアンティオキアまで十日もかからないだろう。


 アンティオキアへ着けば、コレティアはケリアリスの保護下へ入る。

 ローマ軍三個軍団の指揮権を持つ総督であるケリアリスの側ならば、コレティアを害そうという輩は、近づけもしないだろう。


「慌ただしい別れになって、すまないな」


 俺は荷物を背負いながら、レンドロスへ苦笑いをして言った。

 アレクサンドリアへ着いて、まだ三日目だ。もともと長居するつもりはなかったが、荷物を紐解く間もなかった。


「なあに、しんみりした別れより、こっちの方が、あんた達らしいさ」

 レンドロスは、にやりと笑って答える。


「ウェスウィウス山の噴火からも生き延びたんだ。あんた達なら、無事にアンティオキアへ着けるさ」


 確かに、人間の力の及ばない自然災害に奮闘するよりは、暗殺者とはいえ、同じ人間が相手の方が、ずっといい。

 自分の努力と実力次第で、危険を退けられる。


「そうだな。感謝するよ、レンドロス。あんたのおかげで、気が楽になった」


「ああ、それと。あんたには言うまでもないだろうが」


 レンドロスはコレティアをちらりと横目で見ると、意味ありげに俺に向かって、唇を歪めた。


「頭には、気をつけろよ」


 以前、コレティアに蹴り飛ばされた頭を、指先で軽くつつく。俺が危険な目に遭う時は、隣には必ずコレティアがいる。

 俺が無様な真似をしたら、コレティアは容赦なく俺を蹴り飛ばして、思うままに行動するに違いない。


「ああ、大いに気をつける。これでも、勘はいい方なんだ」


 俺はレンドロスの心配が四散するように、可能な限り自信ありげに笑ってみせた。


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