7 言い訳するのに便利なお酒


 翌朝、俺とコレティアは、アリュテに教えてもらったアブシェバの家を訪ねた。


 町の南西部のコム・エル・ディッカ地区は、ユダヤ人をはじめ、様々な人種の人々が住む地区だ。

 道行く人々も、ギリシア人や、ユダヤ人の商人、ローマ人の観光客、職人らしいエジプト人など、大通りと変わらぬ多様さだ。


 アブシェバの家は、細めの路地を入った所にあった。エジプト人の門番は、主人が在宅か尋ねた俺達に、アブシェバは商用で出かけていると、申し訳なさそうに告げた。

 ユダヤ教会シナゴーグへ行った後、何軒か親しい商人の家を回るので、午前中は帰ってこないだろうと言う。


「シナゴーグへ行くか? まだ、そこにいるかもしれないぜ」


 ユダヤ人住民が多いアレクサンドリアには、立派なシナゴーグがある。歓迎はされないが、ユダヤ教徒以外でも、見学に入ってもよい。


「行く意味はないわ」

 コレティアの返事は、にべもない。


「アブシェバがアグニの噂を流していたとしても、他のユダヤ教徒がいる場所で認めるわけがないもの」


「確かに。なら、近所でアブシェバの人となりでも聞き込むか」


 俺とコレティアは家近くの道で露店を出している商人に、アブシェバについて聞き込んで回った。

 集めた情報を合わせると、アブシェバの大まかな人物像が掴めた。


 穀物商を営んでいるが、自分で大型帆船を所有して、ローマへ小麦を輸出するほどの大商人ではないようだ。

 確かに、住まいは一応、一戸建てだが、街路に面した玄関扉は地味な造りで、あまり金が掛かっているようには見えない。


 年齢は四十代後半。妻は何年も前に病で亡くしている。実子はいないが、親戚から養子に貰っているという。

 ユダヤ教徒としての信仰心はまずまずで、週に一度は必ずシナゴーグへ顔を出しているらしい。


 聞き込みを終えた俺とコレティアは、アブシェバの家へ入る路地が見える軽食堂で、早めの昼食を摂った。


 形が似ているので、オベリスクと呼ばれている羊の串焼きと、チーズにパン。安食堂の為、パンはふすまが多くて、固い。


 エジプトでの折角の昼食だ。俺は飲み物に、ビールジトゥムを注文した。


 エジプトでは、葡萄酒よりも、大麦や小麦で作ったパンを発酵させたジトゥムの方が歴史が古い。何千年も昔から作られているほどだ。素焼きのコップに入れられて出てきたジトゥムは、微かに甘い香りがした。


「甘い香りがするのね。なつめやしデーツかしら」


 コレティアが興味深そうにコップを見つめる。コレティアには、蜂蜜入りの葡萄酒の水割り、ムルスムを頼んでいた。


「当たりだ。どうやら、デーツの実を練り込んだパンで作った、ジトゥムらしいな。一口、飲んでみるか?」


「いただくわ」


 コップを差し出すと、コレティアは逡巡しゅんじゅんせずに口へ持っていった。淡い桃色の唇が、どろどろした液体をすする。


「どうだ? 意外とキツイだろ?」


 わずかに眉をしかめたコレティアに気づいて、にやりと唇を歪める。

 デーツの実や蜂蜜を練り込んだパンで作ったジトゥムは、発酵した際の癖のある匂いが消えて甘い香りがつき、飲みやすくなるが、同時に強い酒になる。


「ジトゥムを飲んだのは初めてだけど、悪くないわね。甘くて飲みやすいし」


 コレティアは強がった風もなく言うと、もう一口飲んでからコップを俺に返した。


「甘くて飲みやすいからといって、油断するなよ。エジプトにはデーツの実で作った甘い酒もあるが、そいつは、飲んだら神々でも寝台で寝小便するって言われてる」


「昨夜の記憶がないって言い訳する時には便利そうね」

 俺の言葉に、コレティアは悪戯っぽく笑う。


 デザートは歯が折れそうに固いピラミッド型の胡麻ごまの菓子だった。

 苦心してかじっていると、一人の男がアブシェバの家へ続く路地を曲がった。


 ユダヤ風に頭に布を巻き、裾の長いテュニカを着ている。年齢もアブシェバの年頃に合う。


 俺がコレティアに目配せすると、コレティアも男に気づいていたらしい。軽く頷いて立ち上がる。

 俺達は、さりげない風を装って、男の後に続いて路地に入った。


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