5 私が駿馬なら、あなたは……。


 俺とコレティアは、ちらりと視線を交わした。

 ゴルテスを殺した犯人は、何を企んでいるのだろうか。広大なローマ帝国中を騒がそうだなんて、只事ただごとではない。


「国家転覆でも企んでいるのかしら?」


 楽しそうに瞳を輝かせ、コレティアが弾んだ声で言う。


「悪い冗談はよせ。もう既に一人、人が殺されているんだぞ」


 ゴルテスが悪人だったからといって、殺されて当然だとは思わない。俺は声を低めて、コレティアをたしなめた。


「つまり、犯人は仲間であるゴルテスを殺してでも、陰謀を外部に漏らしたくなかったわけでしょう。並大抵の企みじゃなさそうね」


 コレティアは動じずに言い、花咲いたように微笑む。

 わくわくした表情は、難題のパズルに取り組むのを楽しむかのようだ。俺は、とても楽しむ気にはなれない。


 亡きウェスパシアヌス帝が内乱を制してから、もう十年になる。ローマ帝国は、男盛りのティトゥス帝を新たな皇帝に戴いて、平和と繁栄を享受している。


 いったい犯人は何を求めて帝国中を混乱に陥れようと企むのか。


「カリペ。あなた、ゴルテスから、アグニという言葉を聞いた覚えはない?」


 秘密の符号を告げるように声を潜め、コレティアがカリペに尋ねる。


「アグニ? アグニの炎が、ローマ帝国を焼き尽くす、ってやつかい?」


「それはゴルテスから聞いたんだな?」


 カリペの言葉は、皇帝港でゴルテスが言った台詞と同じだ。勢い込んで尋ねた俺に、カリペは戸惑ったように頷いた。


「あ、ああ。ゴルテスが言ってたんだよ。どういう意味か、あたしは知らないけど」

 カリペは、アグニがインドの火の神だとは知らないようだ。


「ゴルテスはインドの神に詳しかったのか?」

「いいや。あの人は、神の御加護なんて信じない人だったからね」


 俺の質問に、カリペは躊躇ちゅうちょなく首を振った。


 アグニは書字板に書かれていた単語の一つだ。ならば、犯人の陰謀に関わっている言葉だろう。

 だが、一体、どういう意味なのか。まさか、犯人達は、アグニの神罰がローマ帝国に落ちると本気で思っているわけではあるまい。

 だとしたら、とんだ夢想家だ。


 そもそも、なぜ遥か遠いインドの神の名が出てくるのか。何かの符丁ふちょうだろうか。


 黙り込んで考え始めた俺に、カリペが不安そうな声を上げる。


「ちょっと。まさか、あたしまで殺されるなんてことは、ないよね? あたしは詳しい事情は、何も知らないんだよ。ゴルテスの仲間だって、顔も名前も知らないし」


「犯人がどう考えるかまでは、私達には一切わからないわ」

 肩をすくめて、コレティアが冷たく言う。


「役人に申し出てみたらどう? 守ってもらえるかもしれないわよ。その場合、密輸の件も話さなきゃいけないでしょうけれど。でも、監獄の中の方が、誰が押しかけてくるか皆目かいもくわからない家より、安全じゃないかしら」


「冗談じゃないよ! 誰が牢なんかに!」

 皮肉げに唇を歪めたコレティアに、カリペが苦々しく吐き捨てる。


「こうしちゃいられない。逃げなくっちゃ」


 カリペは手を叩いて奴隷を呼び寄せる。俺達は、もう眼中にないようだ。


 得られるだけの情報を得た俺達は、家を出た。カリペは金目の物をまとめて、行方をくらますつもりだろう。


「さて、役人に通報しに行かなきゃな」


 俺は立ちっぱなしだった体をほぐす為に、大きく伸びをした。


 このまま、カリペを見逃してやるつもりは毛頭ない。

 今まで密輸の金でさんざん贅沢してきたんだ。この辺りで根こそぎ没収されても、文句は言えまい。


「役人に申し出たとしても、陰謀の件は、信じてもらえると思えないけれど?」


 コレティアが、残念だとは欠片も思ってない声で言う。むしろ、楽しくて楽しくて、鼻歌でも口ずさみそうな様子だ。


「陰謀を画策している証拠は、どこにもないもの。ゴルテスは冥府だし、犯人は不明。真実は闇の中、ってわけね」


「で、あんたは闇の中へ首を突っ込むってわけだな。何が出てくるか全然わからないぞ」


 諦め混じりに呟くと、コレティアは碧い瞳を煌めかせて、寸秒も置かずに頷いた。


「もちろんよ。こんな面白そうな事件、放っておけると思うの?」


「俺は、面白くなんかない」


 渋面を作って言ってやると、コレティアは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「つまらない男ね」


「つまらなくて結構だ。俺は、あんたの護衛だからな。俺の願いは、あんたが下らない騒ぎに首を突っ込まず、大人しくアンティオキアへ旅立ってくれることだ」


「残念ね。私は、あなたの仕事なんて思慮の外なの。私は、私の好きに動くわ。あなたは自分の仕事を全うしなさい」


「じゃじゃ馬め」


 可愛げがない娘だ。顔をしかめて言うと、コレティアは華やかに微笑んだ。


「私がじゃじゃ馬の駿馬しゅんめなら、あなたは馬車馬の駄馬だばね。しっかり働きなさい」


「重い荷物を引っ張らされないだけ、感謝するべきかな」

 おどけた口調で言うと、コレティアは声を立てて笑った。


「感謝は不要よ。後で、重い荷物を引っ張るより、酷い目に遭わないとも限らないもの」


 コレティアの言葉は、もっとも至極だ。

 コレティアといれば、何が起こっても不思議じゃない。


「じゃあ、感謝はよしておくよ。後で、しくじったと、悔やみたくないからな」


「それが利口ね」

 コレティアは唇の端を上げると、したたかそうに笑ってみせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る