3 つくんなら、もっとマシな嘘をつきな
翌朝、コレティアと訪ねたゴルテスの家は、ローマ式の立派な
建てられてから、まだ数年と経っていないだろう。扉につけられた鋲は、磨かれて星のように輝いている。
レンドロスから聞いた話では、ゴルテスの妻のカリペが、留守を預かっているという。
呼び鈴を鳴らすと出てきた黒い肌の屈強な門番に、俺はカリペに面会したい意をギリシア語で伝えた。
プトレマイオス朝に支配されていたエジプトでは、ラテン語よりもギリシア語の方が通じやすい。通じるからといって、希望までもが通るわけではないのだが。
一目ちらっと見て、明らかに金がないとわかる平民出の俺の姿に、門番は不審そうな顔をした。貧乏人が女主人にたかりに来たと思ったのかもしれない。
コレティアの出で立ちは、ここでも効果を発揮した。
「カリペはいるかしら? ご主人のゴルテスのことで、話があるの」
役立たずは下がっていろと言わんばかりに、コレティアが俺の前に立ち、門番に高慢に告げる。
コレティアが
「カリペはいるの、いないの? 早く答えなさい。いつまで客を外で待たせるつもり」
コレティアが厳しい声で、門番を叱咤する。
「す、すみません。少々お待ち下さい」
コレティアに見惚れていた門番は、見えない鞭に打たれたかのように、慌てて奥へ走っていった。どうやらカリペは在宅らしい。
待つほどもなく、俺達はアトリウムへ通された。
予想通り、屋敷の中は金がかかっていた。アトリウムの床は、エジプトらしくスカラベの絵を描いたモザイクで、壁際には大理石や青銅の像が立ち並んでいる。
一介の船長が、これほどの邸宅を建てられるわけがない。密輸の利益で建てたに違いない。
カリペは奥の
年齢は四十代半ばくらいだろうか。痩せ形で、若い頃はさぞかし美人だったろうが、今では険のきつさが前面に出てしまっている。
身に着けているのは、緑色の絹のストラだ。首にも腕にも金の装身具をじゃらじゃらと着けていて、枯れ枝みたいな体が折れるんじゃないかと不安になるほどだ。
「主人の件で話があると聞いたけど、一体どんな話だい? 下らない用なら叩き出すよ」
カリペが俺とコレティアを交互に見ながら、冷ややかな声を出す。
俺を見る目は胡散臭そうだが、コレティアの方は、どう判断したらよいか迷っているらしい。
俺と一緒にいるにしては身なりに金が掛かり過ぎているし、かといって、身分が高い少女に訪問される理由は思い浮かばない。そんなところか。
カリペは大理石のテーブルの向こうに置かれた椅子に座っていた。テーブルの周りには他にも三脚、椅子が置かれているが、勧めてくれる気配はない。
俺としても、にこやかに談笑しに来たわけじゃない。カリペの表情の変化を見逃さないよう、見つめながら、俺は口を開いた。
「ゴルテスが、ローマで死んだ」
一瞬、何を言われたか理解出来なかったように、カリペの動きが止まる。と、弾かれたように笑い出した。
「はっ、ふざけるんじゃないよ、坊や。つくんなら、もっとマシな嘘をつきな」
笑いを収めたカリペは、椅子の背にもたれ、慈悲の欠片もない眼差しで俺を見た。
「そうだねえ。笑わせてくれた礼に拳を数発ほど食らわせてあげるよ。これに
カリペは手を叩いて奴隷を呼ぼうとする。その動きを遮ったのは、馬鹿にしたようなコレティアの声だった。
「あら。ゴルテスとは、意外と強い信頼で結ばれているのね。でも、証拠も見ずに嘘だと決めつけて、後悔しないかしら」
「証拠だって。はんっ、小細工を
コレティアの馬鹿にした声の響きを敏感に感じとったカリペが、唇を歪める。
意に介さずコレティアは、俺に視線を向ける。軽く頷いて、俺は腰の袋からポセイドンが彫られた銀の指輪を取り出した。
さっとカリペの顔から血の気が引く。
「あんた達! その指輪を、一体どこで手に入れたんだいっ!」
銀の指輪はゴルテスがはめていたものだ。アレクサンドリアへ来る際に、家族に形見として渡せるようにと、警察隊に頼んで下げ渡してもらったのだ。
男でも指輪をはめている者は少なくない。
「まさか、本当に、あの人が……?」
ゴルテスの指輪を見せられたカリペの動揺は激しかった。胸元の布地を握り締めた手が、わなわなと震えている。
航海へ出た夫が突然、旅先で死んだと聞かされた妻の反応としては、不審な様子はない。
俺は、アレクサンドリアでゴルテスを殺しては疑われると考えた犯人が、人を雇ってローマでゴルテスを殺害させた可能性も考えていたのだが。
少なくとも、今の様子を見る限り、カリペが犯人である可能性は低そうだ。
これが演技だとしたら、見事な女優だと褒めるしかない。
「嘘だよ、あの人が死ぬなんて……」
心ここにあらずという様子で、呆然と呟いたカリペは、不意に、何かに思い当たったように顔を上げた。
「あの人は、どうして死んだんだい? さっき、ゴルテスはローマで死んだと言ったね。ということは、アプロディーテ号が嵐に遭って沈没したわけじゃないんだろ?」
我に戻ったカリペの目には、探るような光が浮かんでいる。俺が答えるより先に、コレティアがからかうような笑みを浮かべて口を開いた。
「あなたは、ゴルテスがどうやって死んだと考えているの?」
「ふざけるんじゃないよ! 聞いてるのは、こっちだよ!」
かっと頬に血を登らせたカリペが、声を荒げる。コレティアは泰然として動じない。口元には笑みが浮かんだままだ。
「大競技場で、ライオンの餌になった――とでも想像したの?」
「なっ、そんなわけがないだろ! なんで、うちの人が……」
怒鳴ったカリペの様子で、俺はぴんときた。
大競技場でライオンに食い殺されるのは、罪人の処刑方法だ。言われて動揺したカリペは、ゴルテスが密輸をしていたと知っている。
コレティアも、それを確かめたくて、わざとあんな物言いをしたに違いない。
コレティアの意を汲んで、俺はゴルテスの死因を、もうしばらく黙っておく気になった。
密輸の件をカリペから聞き出すのなら、今が絶好の機会だ。俺は一歩カリペに向かって踏み出すと、低い声で告げた。
「観念しろ。ローマの警察隊は、ゴルテスが密輸をしていた事実を、既に把握している。アプロディーテ号の
「密輸だなんて、何のことだい。あたしは、そんなこと知らないよ!」
カリペは気の強い声で否定する。俺も、
「ゴルテスが密輸を始めたのは、数年前だろう。この新しい家も、建てられて間がないようだしな。ずいぶんと荒稼ぎしたもんだ」
「言ってるだろ。密輸なんて知らないって。この家は、あたしの若い頃の稼ぎで建てたんだよ」
俺の言葉に、カリペが鼻息も荒く言い返す。俺は大袈裟に片眉を上げた。
「へえ。こんな立派な家を建てるほど稼ぐとは、大した娼婦だ。そんなに稼ぎがあったのに、どうしてゴルテスなんかと結婚したんだ? 男を見る目がなかったのか?」
娼婦と言ったのは、当てずっぽうだ。だが、真実からさほど離れてはいないだろう。高価な衣装にそぐわない粗雑な物言いといい、年齢の割には派手な化粧といい、若い頃、夜の女だったと想像するのは難くない。
「ゴルテスの持ち船はアプロディーテ号だけだろう? あんたなら、もっといい男を捕まえられたんじゃないのか?」
俺の当てこすりに、カリペは腹立たしげに、ふんっと鼻で息を吐いた。
「あんたなんかに教えてやる義理はないね」
「安心しろ、俺もあんたとゴルテスの馴れ初めなんざ、聞きたくもない」
俺は唇を歪め、カリペに笑いかける。
「俺達が聞きたいのは、密輸のことさ」
「だから、言ってるだろう! あたしはなんにも知らないって」
カリペは乱暴に
ばちん、と冷たい音が鳴る。俺はカリペを睨む目に力を込めた。
「下手な言い逃れはよせ。時間の無駄だ。俺達が、お前の嘘を信じると思うのか?」
「嘘じゃあないよ。あたしの言うことを信じるか信じないかは、あんた達の勝手さ」
カリペは足を組むと、憤然と椅子の背にもたれた。胸元の金の首飾りがじゃらりと鳴る。
「役人に捕まっても、同じ台詞が言えるか?」
俺は感情を出さないように注意しながら、冷たく告げた。
「ゴルテスの密輸の件が、ローマからアレクサンドリアへ報告されるのは、時間の問題だ。そうなれば、役人達が捜査に動き出す。一介の平民がこんな
俺は、モザイクで壁にアテネのアクロポリスの風景を描いた豪華なタブラリウムを見回した。
飾り棚には、金の台座に乗った立派な象牙や、オデュッセイアの一場面を描いた赤絵のギリシアの壺、宝石を填め込んだ金のスカラベ等が置かれている。
「あんた、あたしを脅す気かい?」
カリペが鋭い目で俺を睨む。俺は答えなかった。
「あんたのような旅人の言うことを、役人が信じるとは思えないね」
この期に及んで、なおもカリペは虚勢を張った。俺は軽く肩をすくめる。
「やってみる価値は充分あるさ。嘘を通報するわけじゃないんだからな」
「いったい、何が望みなんだい?」
しばしの沈黙の後、カリペは小さく吐息した。
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