13 占いの正体


「美人と話すせっかくの機会なのに、もっと長居しなくてよかったの?」


 裏通りを歩き始めた俺に追いついたコレティアが、俺を見上げて、悪戯いたずらっぽく尋ねた。


「いつもの舌鋒の鋭さがなかったのは、グレースムに見とれていたせい? それとも、別れた昔の恋人にでも似ていたの?」


 俺が動揺していた原因がそんな理由ではないと、察しがついているくせに、わざと明るい口調で言う。

 俺も合わせて、おどけた声を出した。


「あんな美人な恋人がいたら、嫉妬に狂ったポピディウスに刺されてるさ」

「どうせ、あっさり返り討ちにするんでしょう」


 足元に転がる割れた壺の欠片を軽やかに飛び越えながら、コレティアが笑う。


「あなたに一太刀でも浴びせられたら、ポピディウスを見直してもいいけれど」

「それじゃ、一生、無理だな」


 あっさり答えると、コレティアがつまらなさそうに肩をすくめた。


「友達甲斐がないのね」

「お互いの力量を、よくわかってるのさ」


 角を曲がり、裏路地から表通りへと出る。干物の魚や、素焼の土器を売る露店が、まばらに並んでいる。


 少し歩くと、果物を売る露店を見つけた。


「食うか?」

 葡萄を一房買い、コレティアに渡す。


 それから、数軒前の露店に用があったのを思い出した風を装って、数軒手前の露店に戻る。

 そこは木の枝で編んだかごを売る露店だった。気のない様子で籠を眺める男の客が一人いる。


 俺は、さりげなく男の後ろに回り込むと、不意討ちに、男の右腕を取ってひねり上げた。


「な、何するんだ、てめえっ」

 薄汚いテュニカの男がわめき、腕を振り払おうとする。


「何をする気か聞きたいのは、俺の方だ。なぜ、俺達の後をける?」


 俺がこの男に気がついたのは、表通りに出てすぐだ。

 俺達と同じ裏路地から出てきたかと思うと、つかず離れず歩き出した。動きは、明らかに素人だった。


 コレティアの美貌に目がくらんで、よからぬ犯罪を企んだ輩かもしれない。が、時機が気に懸かった。


「放せ、放せよっ。何もしてないだろ!」


 男は通行人に助けを求めるように、金切り声を上げる。

 しかし、もともと人通りがまばらな上に、見るからに薄汚い男を助けようという酔狂すいきょうな輩など、いるわけがない。

 通行人は皆、素知らぬ様子で通り過ぎるばかりだ。


「静かにしろ。加減を誤って、折りそうだ」


 俺は男に低く囁き、関節を極めた腕の角度を少し変えた。男が悲鳴を上げる。

 無論、折るつもりなどない。

 幸い、男には、その脅しだけで十分だった。


「一体、なんだよ。放せよ。放してくれ」

 途端に、わめき声が小さくなる。


「グレースムに言われて、私達を尾けてきたの?」


 俺が言おうとした台詞を奪ったのは、隣へきたコレティアだった。

 面白い見世物を前にした子供のように、碧い瞳が輝いている。


「そ、そんな女、知らねえよ」


 葡萄の粒を房から千切っては口に運ぶコレティアの美貌に、思わず見惚れた男が、はっと我に返って、かぶりを振る。

 コレティアは楽しそうに笑って、もう一粒、葡萄を口へ放りこんだ。


「あら? 私は、グレースムが女だなんて、一言も言わなかったけれど?」


「グ、グレースムって名前なら、普通は女だろう」

 言葉に詰まった男が、目を白黒させながら言いつくろう。


御託ごたくはいい。で、どうしてグレースムは、お前に俺達を尾けさせた?」


 俺は男の腕を握ったまま、威圧的に尋ねた。

 男は、まだどうにかして言い逃れられないかと、視線を彷徨さまよわせる。


 ややあって、諦めたらしく、小さく吐息して肩を落とした。


「グレースムに言われたんだよ。そっちの嬢ちゃんはどう見ても良家の出だから、後を尾けて、どの家の娘か調べて来いって。きっと、いい金蔓かねづるになるからって」


 コレティアの身分や家族の状況を調べて、次に来た時には、さも占ったかのように話すのだろう。

 極めて古典的な手だが、グレースムがやれば、本当に女神が託宣を下したように感じ入る頓馬な客もいるに違いない。


「今までも、何度もグレースムに頼まれて、客の後を尾けたのか?」


「な、何人か。ほんの二、三人だけだよ。それに、相手の家を調べただけで、何も悪いことはしてないんだぜ」


 男は必死で弁解した。

「な、なあ。だから、見逃してくれよ」


「大の男が、情けない声ね」


 コレティアがサンダルで男の足の甲を踏む。男は大仰に悲鳴を上げた。


「グレースムに言っておきなさい。私は、あなたに占ってもらう気なんて、芥子粒ほどもないし、占いの種がわかった以上、信じることも絶対にないって」


 俺としては、グレースムがインチキ占い師とわかっただけで十分だ。ポピディウスの目を覚ますには、時間と労力が必要だろうが。


「もう、俺達を尾けようなんて真似は、考えるなよ。でないと、官憲へ突き出すぞ」


「尾けたりしない。グレースムには、失敗したって言うさ」


 どうせ、警察隊に突き出しても、無罪放免されるのが落ちだ。俺は、男を放してやった。


「あっさり、グレースムの化けの皮が剥がれちゃったわね」


 逃げていく男を見もせず、コレティアがつまらなさそうに言った。


「ああ、後はポピディウスの目を覚まさせてやるだけだ」

 俺は、ポピディウスの抵抗と泣き言を考えて、思わず暗鬱あんうつな気分になった。


「もう少し楽しませてくれると思ったのに」

 コレティアが不満そうに鼻を鳴らす。


「俺としては、もうグレースムに係わらないで済むなら、それが一番だ」


 俺は、グレースムを目の前にした時の居心地の悪さを思い出して、顔をしかめた。


「グレースムは、ゴルテスの殺害には係わっていないのかしら?」

 わずかに眉を寄せて、コレティアが呟く。


「怪しい女だが、さっき話した感じでは、ゴルテスを知っている風ではなかったな。うまく誤魔化されたのかもしれないが」


 グレースムには、うなじがちりちりと焼けるような不信感を感じる。

 だからといって、それがゴルテスの事件に関係している証拠にはならない。あくまでも俺の印象に過ぎない。


「手掛かりが途切れちゃったわね」

 残念そうにコレティアが言う。


「もう一度、皇帝港と警察隊の詰所へ行ってみるか。役人達がどれほど調べているか、期待するしかないな」


 人を殺した犯人が逃れるのは腹立たしい。しかし、犯人を捕まえるのは、俺の責務ではない。

 俺の仕事は、あくまでもコレティアの護衛だ。

 手掛かりが全てついえて、コレティアが捜査を続ける気を喪失してくれれば、俺としては一番ありがたい。


「今から、皇帝港へ行けば、日暮れまでには帰ってこられるな」


 太陽の位置を確認しながら呟くと、葡萄を全て食べ終えたコレティアが、肩をすくめた。


「あら、今から行くの? 残念ね。一緒に行きたかったのに」

「一人の方が、身軽だ」


 俺は冷たく言い切った。ポピディウスなら、「君と一緒なら、僕はどこへだって行くよ!」とでも言いそうだが。


「お母様が、知り合いを招いて晩餐ばんさんをするとおっしゃっているの」


 コレティアが淡々と言う。助けを求める響きはない。

 俺に求めても無駄だと、理解したのだろう。


「また、求婚者を蹴りとばすのか?」


 尋ねると、コレティアは大股に一歩さっと踏み出した。引き締まったくるぶしと、ふくらはぎの膨らみにかけての線が、ストラの裾から覗く。


「お母様と私との、根比べね」


 結婚させたいフラウィアと、どこまでも自由でいたいコレティアの、果たしてどちらが勝つのだろうか。

 少なくとも、コレティアは、妥協など決して、しないだろう。


 俺は今夜の犠牲者に、心の中で同情した。


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