12 あなた達は何を求めてきたのかしら?
「さあ、どうぞ、お掛けになって。今、もう一つ椅子を持ってこさせるわ」
言うと同時に、少年奴隷がもう一脚の椅子を持って現れた。青銅の飾りがついた重そうな椅子だ。
見かねて受け取ってやり、俺がその椅子に腰かける。
背もたれの高い椅子に背筋を伸ばして座ったグレースムは、向かいに並んで腰かけた俺とコレティアの顔を見比べた。
「あなた達は、何を求めて、私の元へ来たのかしら? 占いではないようだけれど」
「あら、そんなこともわかるの?」
コレティアが、わざとらしく驚いた振りをする。
「それなら、俺達がここへ来た理由も、占いでわかるんじゃないか?」
コレティアに負けずに、俺も
グレースムは、ゆっくりとかぶりを振った。
「残念ながら、そこまではわからないの。私にわかることは、もっと大きな運命だから」
静かな碧い瞳が、コレティアをじっと見つめる。
「あなたが望んでいるのは、自由ね」
巫女の託宣のように、厳かに告げる。
コレティアは形良い鼻をつんと上げると、不愉快そうに鼻を鳴らした。外れてはいないらしい。
グレースムが、俺の方へ首を回した。吸い込まれそうな碧い瞳とぶつかる。
「あなたが望んでいるのは……」
俺の背中に、ぞくっと悪寒が走る。
グレースムは慈しむように優しく微笑んだ。
「あなたの方は、少し複雑なのね。自由になりたいと思いながら、同時にそれに囚われている。重い鎖に縛られているみたいに」
グレースムの碧い瞳と静かな声が、俺の心の底の記憶を掘り起こす。
ゲルマニアの短い夏。
黒と見まがうような深い森。
激しい
仲間達の死体。
カストラ・ウェテラ。
とうに癒えたはずの脇腹の傷が、痛む。
俺は奥歯を噛み締め、一度、固く目をつむった。
幻覚だ。
全てはもう、過去の出来事。
今更もう、何も変えられない。
小さくかぶりを振って、俺はグレースムを睨み返した。
刺すような俺の視線を受けても、グレースムは
心の奥底まで見通すような碧い瞳は、危険だ。この瞳にじっと見つめられていると、グレースムの言葉を全て信じそうになる。
「占い師ってのは、大したもんだな。そうやって、思わせぶりなことを言っては、客を
動揺を抑えて無理やり出した声は、自分で思った以上に
くそっ、と舌打ちしたくなる。もの問いたげに俺を見るコレティアの視線が、更に腹立たしさを助長した。
絶対に後で尋ねてくるだろう。だが、話してやる気は欠片もない。
コレティアには関係がないし、誰かに話すような過去でもない。
「どうとでも取れることを言えば、客が心の中で勝手に関連づけて感心するんだろうが、俺達はその手に乗らない。俺達が求めているのは、自由じゃなくて、殺人事件の犯人だ」
腹の底に力を込めて、できるだけふてぶてしく聞こえるように言う。
「殺人事件?」
グレースムが優美に首を傾げる。淡い金の髪が、さらりと揺れた。
「ゴルテスという男を知っているか?」
俺は、どんな表情の変化も見逃すまいと、グレースムの顔を見つめた。
「ゴルテス? 知らないわね。私のお客ではないわ」
表情を変えずに、グレースムが答える。
「客の名前を全員分、覚えているの?」
感心したような表情を作って、コレティアが尋ねた。グレースムは、当然だとばかりに頷く。
「ええ。占う為には、名前も必要なの。お客の顔と名前は全員しっかり覚えているわ」
戻ったら、ポピディウスに教えてやらねば。
俺は心の中に書き留めた。
ポピディウスのことだ。きっと来るたびに「いらっしゃい。ポピディウス。待っていたわ」などと言われて、特別に名前を覚えてもらっているんだと、舞い上がっているだろうから。
「この家には客しか来ないわけじゃないんだろ? 本当に、ゴルテスという男に覚えはないのか?」
あまりにあっさり否定したグレースムが逆に怪しくて、俺は更に問いかける。
「知らないわ」
グレースムが俺の目を見つめて答える。
俺は、
この女の目に見つめられていると、ふさがったばかりの
「ゴルテスは運がなかったのね。あなたに会って占ってもらっていれば、死から逃れられたかもしれないのに」
俺の劣勢を感じとったのか、コレティアが口を挟む。
コレティアとグレースムが顔を向かい合わせている様は、一幅の絵のようだ。
あともう一人、美女がいれば、ヘラ、アプロディーテ、アテネが美しさを争い合った有名な神話の場面が再現できそうだ。
俺は、パリスを演じる気はないが。
コレティアが戦いの女神アテネだとしたら、グレースムは神々の女主人であるヘラだろうか。アプロディーテと
グレースムには、人にかしずかれるのに慣れている雰囲気がある。それに、気に食わないことがあれば、主神ゼウスだって
挑戦的な眼差しのコレティアに、グレースムはゆったりと微笑んだ。
「死者を蘇らせることはできないわ。けれど、生者の運命を知って、変えることはできる。さあ、あなた達の名前を教えてちょうだい」
背もたれから身を起こし、テーブルに手を乗せる。やや前屈みになった拍子に、首飾りが揺れた。
ローマではあまり見かけない細工の金の首飾りだ。ゲルマニアかブリタニアで細工されたものだろう。
同時に、ストラの胸元が下品にならないぎりぎりの線で開き、雪のように白い肌がちらりと見えた。
計算し尽くされたストラの
だが、あいにくと俺は、
「あんたに名前を教える気はない。まだ読んでない巻物の中身を他人から教えられるほど、つまらないことはないからな」
唇を歪めてにやっと笑ってみせると、立ち上がる。
「帰るぞ。邪魔したな」
銅貨をテーブルに投げると、
占いの礼ではない。気位の高そうなグレースムに対する嫌がらせだ。
案の定、グレースムは形良い眉を、わずかに寄せた。
「あら。ちゃんとした占いをしたわけではないのに、代金を受け取れないわ」
「占いの代金じゃない。ゴルテスのことについて、時間をとらせた礼さ。俺は占いに払う金なんか、持っちゃいないんでね」
あんたの都合なんてどうだっていいんだ、という気持ちを込めて言ってやると、ほんの少し、気持ちがすっきりした。
「行くぞ」
振り返りもせずコレティアに言うと、先に立って部屋を出る。
「残念だったわね、グレースム。外れの客で。私も、地図がある道よりも、地図がない草原を行く方が好きなの」
背後で、コレティアが楽しそうに言う声が聞こえた。
無人の待合室を通り過ぎ、外へ出ると、大きく息を吐き出した。
野菜が腐ったような臭いと、すえた葡萄酒の臭いがする。
それでも、俺にとっては外の空気はミントの香りを含んでいるかのように清々しかった。
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