9 ゴルテスの壺


「よお、壺のことは言わなくていいのかよ」


 後ろのテーブルにいた男の一人が、不意に話しかけてくる。


「壺?」

 素早く反応したコレティアが男を振り返る。


「あんたは黙ってな!」


 コレティアに見つめられて相好を崩した男が、それ以上、余計なこと言う前に、ウルビアが鋭い声で釘を刺す。


「何だ、壺ってのは?」


 俺はもう一枚、財布から銅貨を取り出して、カウンターへ置いた。ウルビアが素早く取って、しまい込む。


「三日前に、ゴルテスが葡萄酒の壺を持って来たんだよ。安く手に入ったから、この店に置いといてくれ、って」


「その壺は、どこにあるの?」

 コレティアが、目を輝かせて尋ねると同時に、カウンターに銅貨を置く。


「お嬢さん、なかなか、わかってるじゃないか」


 ほくほくしながら、銅貨を受け取ったウルビアが、奴隷の少年に指示を出す。

 少年はカウンターの下から大きな壺を取り出した。俺が手伝って、カウンターの上へ持ち上げる。


 壺は、ありきたりの広口の壺だった。木のふたの周りはろうでしっかり封印されている。


「すまんが、包丁を貸してくれ」


 ウルビアから包丁を借り、蝋をがす。

 開けると葡萄酒の香りがした。一応、指をつけて舐めてみる。何の変哲もない安葡萄酒だ。


「空いている壺はないか。この葡萄酒は、後で飲んで構わないから」


「ま、あの世じゃ、飲めないもんね」


 いそいそとウルビアが出してくれた壺に、慎重に葡萄酒を入れる。半分ほど入れたところで、広口の壺の中に何かが入っていると気がついた。

 片手を壺へ突っ込んで取り出す。


 中から出てきたのは、葡萄酒で汚れないように、革袋へ入れた平たい包みだった。


 ぼたぼたと葡萄酒を滴らせる包みをカウンターへ置き、開ける。コレティアも立ち上がり、目を輝かせて俺の手元を見つめている。


 中から出てきたのは、二枚の書字板だった。すかさず、コレティアが片方を奪い取る。

 俺は残された書字板を読んだ。細かい字で、数字がびっしりと書かれている。


 じっくりと読むと、貿易の収益表らしいとわかった。密輸の為だろう、驚くほどの高利益を上げている。まともに働くのが馬鹿らしくなるほどだ。


「そっちには、何が書いてあった?」


 瞬時に読み終えて、横から俺が持つ書字板を覗き込んでいたコレティアに問うと、コレティアはもう片方の書字板をよこした。


「密輸の収益表よりは、ずっと面白そうよ」


 コレティアから渡された書字板には、ほんの少ししか書かれていなかったが、俺はじっくりと黙読した。


 パルティア、ゲルマニア、ユダヤ人ども、琥珀グレースム、アグニ、カピトリヌスの丘。


 単語ばかりが羅列られつされている。


 ゴルテスが隠していたからには、何か重要な事柄に違いない。だが、これだけでは、何が何やら、さっぱりわからない。

 コレティアを見ると、皮肉っぽい笑みを浮かべている。


「少なくとも、収支報告よりは面白そうでしょう?」


「単語の意味は、わかったのか?」

「いいえ」


 顔をしかめて尋ねると、コレティアはあっさり首を横に振った。


「おそらく、その書字板が、ゴルテスが言っていた儲け話に関わりがあるんでしょうけれど。これだけでは、ね」


 俺は、もう一度、書字板に目を落とした。


 パルティア、ゲルマニア、カピトリヌスの丘は、地名だ。だが、関連づけるには、それぞれが、あまりにも遠すぎる。

 アグニも、インドの火の神という以外の知識は、持っていない。


 ユダヤ人の場合は、更に意味がわからない。

 ユダヤ人はローマ帝国中に散らばって住んでいる。ユダヤ人どもと書かれている理由は、ゴルテスがギリシア人だからだろう。

 双方とも、交易を生業にしているせいで、ギリシア人とユダヤ人は伝統的に仲が悪い。


 それと、琥珀グレースムバルトスエビクム海の特産品だ。だが、俺はつい最近、グレースムという名の女の話を聞いている。


「出るぞ」


 もう一枚の書字板を読んでいるコレティアへ告げると、コレティアは、俺を見上げて、にっこりと微笑んだ。


「次は、ポピディウスのところでしょう」

「その通りだ」


 俺は、むっつりと頷いた。やはり、コレティアも同じ人物を想像している。ポピディウスがれ込んでいる占い師、グレースムを。


 単なる偶然の一致かもしれない。だが、グレースムには、一度は会わなくてはならないと思っていた。

 どんな人物なのか確かめる、ちょうどいい機会だ。


 それに、どうせ話を聞くのなら、美人の顔を拝みながらの方が楽しいに決まってる。


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