8 ウルビアの店にて
コレティアが店内へ入った途端、男達の話し声が、ふっつりと止んだ。テーブルやカウンターの男達が、呆気にとられた顔でコレティアを見つめる。
と、鋭い声が飛んだ。
「うちは、あんたみたいなお嬢様が来る店じゃないよ」
声の主はカウンターの中にいる女だった。おそらくこの店の女主人、ウルビアだろう。
年は四十を過ぎていそうだった。顔には苦労による
口を曲げてコレティアを見据えたウルビアは、それでも手は止めない。よく切れそうな包丁で、ざくざくと
気の弱い男ならすごすごと逃げ出しそうなウルビアの
「必要なことを聞いたら、さっさと帰るわ」
ウルビアの前のカウンターの椅子に腰かける。俺はコレティアの後ろに立ち、番犬のように威圧的に辺りを見回した。
直角に曲がったカウンターの中には
カウンターには辺ごとに三つの大きな穴が
そっと覗いてみたが、どれも茶色っぽくて、どろどろした汁で満たされていた。あまり食欲を刺激する様子ではない。
カウンターの後ろには大きな棚があり、
店内には、テーブルが三つ。うち一つで、男達が葡萄酒らしきものをすすっていた。
昼前からこんなに客がいる状況からすると、結構、繁盛しているのだろう。客の人数は合計で五人。まあ、なんとかなる数だ。
すぐ動けるように肩幅に開いた足の下で、音が鳴った。客が食べ散らかした貝殻でも踏み割ったらしい。床は、こぼした汁や、腐った野菜屑や、吐いた葡萄酒などで、やたらぬるぬるしている。
もし乱闘になっても、この床に叩きつけられるのは遠慮したいところだ。
「お嬢様が、こんな店に何の用なんだい?」
ウルビアが
「大体、うちの店を誰から聞いたんだい?」
ウルビアの質問に、コレティアはあっさり答えた。
「ゴルテスからよ」
「おやまあ」
ウルビアは、大切にしていた
「お嬢ちゃん、もう手遅れかもしれないけど、あの男には係わらない方が身の為だよ。あんたみたいな綺麗な子、手込めにされて売り飛ばされちゃうよ」
コレティアに言い聞かせる口調を聞くに、ウルビアはそう悪い人物でもなさそうだ。
もしかしたら、密輸犯の仲間ではないかと疑っていたのだが。
ウルビアの懸念を、コレティアは笑って粉砕した。
「大丈夫よ。ゴルテスは今頃、
「あいつを食ったら、さしものケルベロスも腹を下しそうだけどね」
切り刻んだ韮を大鍋に放り込みながら、ウルビアは疑わしそうにコレティアを見つめた。
「その話、本当かい?」
「本当だ。俺達は、その犯人を探している」
コレティアに代わって、俺が頷く。ウルビアは俺達を交互に見ながら、更に問う。
「なんでまた、あんた達が?」
「あいにく、死体を見つけたんでな」
「死んでからも厄介な奴だね、あいつは」
俺が顔をしかめたのがおかしかったのか、ウルビアは口を開けて笑った。
「ゴルテスは三日前、ここへ来たか?」
俺は、ウルビアの警戒がやや解けたらしいと感じて、質問を口にした。
「ああ、来たよ」
韮を放りこんだ大鍋を掻き混ぜながら、ウルビアがそっけなく頷く。
「何時頃だ?」
「確か、夕方だったかねえ。店が混み出す前だったよ。すぐに帰ったけどね」
面倒に巻き込まれてはごめんだと言いたげに、ウルビアは後半を大声で言い添えた。
「ゴルテスは、よくこの店に来ていたの? ここには泊まれるのかしら?」
俺が連れの有無を確認する前に、コレティアが口を挟んだ。
視線はウルビアが掻き回す大鍋に注がれている。何が入っているか、見極めるつもりらしい。ぐずぐずと煮崩れているのは豆だろう。
クラディウス帝が肉料理を禁止したり、ネロは野菜料理のみを許可したり、ウェスパシアヌス帝が豆料理のみを許可したりと、歴代の皇帝は居酒屋のメニューにあれこれ制限を加えてきた。
もちろん、居酒屋は役人の手入れでもない限り、ろくに法律を守らない。
今ウルビアが掻き混ぜている大鍋にも、豆の他に肉らしきものが入っている。何の肉かまでは不明だが。まさか溝鼠ではあるまい。
「ああ、年に二回、ローマに来た時には、うちの二階に泊まってたよ。うちは、客が望めば、二階の一室を貸すからね」
ウルビアは店の奥に顎をしゃくった。二階へ昇る粗末な階段がついている。
「うちは、娼婦の連れ込みはお断りさ。一室だけだから、他の客と
ウルビアは大鍋を掻き混ぜていた
ゴルテスがこの店を利用していた理由は、地の利の他に安全な点が気に入ったのだろう。
「ゴルテスが知り合いを連れて来たことは、なかったのか?」
ウルビアは上目遣いに俺を見た。
「せっかく居酒屋へ来たんだ。お嬢ちゃんはともかく、あんたは何か飲まないかい?」
ただで喋り過ぎたと思っているらしい。心得て、俺は財布から銅貨を出した。
「じゃあ、葡萄酒を貰おうか」
セステルティウス銅貨を石造りのカウンターへ置く。
すかさずウルビアの韮臭い手が銅貨を回収し、奴隷の少年が、縁の欠けた器に葡萄酒を入れてよこした。
「いつも一人だったよ。連れがいたことは一切ないね」
「そうか。他に何か気づいたことはないか? どこへ行ったか話していた、とか」
俺は葡萄酒に口をつけるつもりはない。器をカウンターに置いたまま、質問を続ける。
「さあてねえ」
ウルビアは思わせぶりに視線を
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