6 足手まといは要らないの
「遠慮する」
いくら小振りだとはいえ、猪一頭は、コレティアとフラウィア二人の晩餐には多すぎる。
きっと今夜は客が来るのだろう。
おそらく、コレティアの求婚者だ。
内輪の晩餐で顔合わせでもしようというのだろう。
コレティアも、猪を見てフラウィアの算段に気づいたに違いない。俺を晩餐へ誘ったのはその為だ。
遠慮もなくがつがつ飲み食いする平民が一緒では、どんな女たらしでも、艶めいた雰囲気に持っていくのは不可能だろう。
だが、俺は道化になってやる気はない。
「昨日はっきり言っただろう。求婚者から逃げる手段に、俺を使うなと」
冷たく突き放すと、コレティアは子供っぽく唇を尖らせた。
「あら、協力してくれてもいいじゃない」
「フラウィアの気分を害したくない。護衛の金を払ってくれるのは、彼女だからな」
俺の言葉に、コレティアの瞳が悪戯っぽく輝く。
「ということは、依頼したら手伝ってくれるのかしら」
「悪いな。俺は荒事専門でね。恋愛事や結婚、離婚関係は扱わないと決めてるんだ」
眉間に
コレティアは詰まらなさそうに鼻を鳴らした。
「そもそも、なんでそんなに求婚者から逃げようとするんだ? 結婚したっておかしくない年だろ?」
「私、
コレティアは高飛車にきっぱり言い切った。
夫となる人物に対して足手纏いとは。
俺はコレティアの求婚者に心から同情した。
コレティアは怒りをぶつけるように、言葉を続ける。
「求婚者なんて、みんな似たり寄ったりだもの。元老院議員の息子で、安全な元老院属州で一、二年、実は狩りばっかりしながら、
容赦なく求婚者をこき下ろすコレティアの声は、見えない刃のようだ。
切れ味が良くて、聞いていて気持ちがいい。
「そんな男と結婚するなんて、真っ平よ」
きっと、コレティアと結婚した男も、予想が外れて驚愕することだろう。大人しく夫に従うような性格ではないのだ。コレティアは。
初めから失敗するとわかっている縁談をまとめようとするのは努力の無駄だ。
だが、俺としてはコレティアの縁談を考えるフラウィアとケリアリスの気持ちもわかる。
正式な生まれの娘ではないからこそ、誰に恥じることのないきちんとした結婚をさせてやりたい親心なのだろう。
コレティアは、そんな気遣いなど無用だと言いそうだが。
「それに、私は、私より弱い人とは結婚しないわ」
コレティアはこれ見よがしに足を組んだ。ストラの裾から、ビーズがついた洒落たサンダルと、惚れ惚れするほど形の良いくるぶしがのぞく。
本日、大の男二人を昏倒させた足だ。
「会うだけ会ってみたら、予想外の求婚者が来るかもしれないぜ。パンノニアやモエシア(ドナウ河の中下流南岸)で軍団を指揮して、蛮族を蹴散らした
コレティアのくるぶしから視線を外しながら、俺はふざけて言った。
ローマの指導者層は、政治家であると同時に軍人でもある。
要職に就く為には、軍務経験が必要とされているからだ。
その為、元老院議員の息子の中には二十代の内に、父親の伝手を頼って、事務官として属州へ行く者もいれば、ローマ軍の幕僚として属州へ赴く者もいた。
元老院議員の子息であれば、暫くの見習い期間が終われば、いきなり大隊長へ抜擢されるからだ。
しかも十人いる大隊長の首席で、紅色に染められた短いマントを肩に掛けるのを許された
一般市民の息子が、一兵士として入団し、百人隊長にしごかれるのとは大違いだ。
俺としては、軍上がりの求婚者の方が、まだコレティアを手懐けられそうに思われる。
「じゃあ、今夜の晩餐で、求婚者を不意打ちで蹴ってみるわ」
楽しそうに碧い瞳を煌めかせながら、コレティアが浮き浮きと告げた。
「俺が、けしかけたわけじゃないからな。それだけは、はっきり言っておく」
俺は生真面目な顔で言い、責任から逃れようとした。
「フラウィアが怒るぞ」
コレティアが思いつきを翻さないかと、母親の名を出してみた。だが、無駄だった。
「一度、お母様に怒られる程度で、求婚者が途絶えるなら、実行する価値があるわ」
コレティアは、すっかりその気になっている。
コレティアなら、やる。絶対にやる。
心の中で、哀れな求婚者の無事を祈る。おそらく、蹴り倒されるだろうが。
フラウィアは、娘の蛮行に、なんというだろうか。ユノーの名を叫んで嘆くに違いない。
だが、フラウィアの性格を考えるに、きっと後で私室へ戻った後、大笑いするのだろう。
挙げ句、今度は、コレティアが蹴り倒しても、なお求婚を続けるような変わり者を探してくるに違いない。
探せば一人や二人、変わった趣味の元老議員の子息がいるだろう。そいつがコレティアの目に適うとは思えないが。
たった一つ救いがあるとすれば、今夜、俺は、コレティアが求婚者を蹴り倒す場にいなくていい、ということだ。
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