第3章 怠惰な休暇には程遠く 紀元79年 8月
1 令嬢の番犬
翌朝、ポピディウスの家から、コレティアの屋敷へ向かう前に、警察隊の詰所へ寄って、捜査の進展を確認した。だが、無駄足だった。
「捜査は始まったばかりなんだ。一日くらいで新しいことなど、わかるもんか」
詰所にいた隊員は、そっけなく言うと、邪魔だとばかりに、俺を追い払った。
コレティアの屋敷へ行くと、門番の無愛想な顔が出迎えてくれた。俺がお嬢様の護衛を引き続きやっているのが、どうにも気に食わないらしい。
「言っておくが、俺がコレティアを連れ出しているわけじゃないんだぜ」
門番は、当たり前だと、大きく頷いた。
「当然だ。コレティアお嬢様は、お前なんぞについていくような御方ではない」
門番は、花についた毛虫でも見るような目で、俺を見た。
「お前の方が、お嬢様につきまとっているんだろう」
「好きでしてるんじゃない。仕事だ」
思いきり顔をしかめて言い返してやる。門番の顔は、可能なら自分がコレティアの後をついて回りたそうだった。
アトリウムへ入ると、コレティアが待ち構えていた。
「行くわよ」
俺の顔を見るなり、さっさと歩き出す。俺は、どこへと問う代わりに、忠告した。
「炎天下の中、二時間も馬車に揺られるのは、きついぞ」
言外に、だから屋敷で大人しくしていろと匂わせた。
無論、従うコレティアではない。
「私も馬に乗って行くのよ。今日は荷物もないから、馬の方が身軽でしょう。先に奴隷を貸し馬屋へ遣わせて、馬を借りているの」
「手回しのいいことだな」
俺はコレティアが背中を向けているのを幸い、顔をしかめて答えた。
コレティアは俺と同じことを考えているらしい。皇帝港へ行って、ゴルテスについて調べるつもりだ。
ローマでゴルテスの件を調べるには、手掛かりが少なさすぎる。夕べ、どこにいたのか、誰と会っていたのかもわからない。ゴルテスの動向を調べるには、二人では手が足りない。
だが、幸運にも、俺達は一昨日の午後、ゴルテスが皇帝港にいたと知っている。
皇帝港で貸し馬屋や船頭を当たれば、ゴルテスがローマでどこへ行く予定だったのか、わかるかもしれない。同行者の有無も調べられる。
加えて、ガラテア号がまだ停泊していれば、レンドロスからゴルテスについて、もっと詳しい話が聞ける。
レンドロスは、ゴルテスは船長だと言っていた。となれば、おそらく皇帝港にまだゴルテスの船が停泊しているはずだ。うまくいけば、密輸の証拠も押さえられるかもしれない。そうすれば、犯人までは遠くないだろう。
警察隊が出した密輸犯の仲間割れという説には、俺も賛成だった。ゴルテスを刺した奴は、剣の扱いに慣れている奴だ。
一刺しでゴルテスを絶命させている。
剣を扱い慣れているのは、軍人か剣闘士か犯罪者かだが、ゴルテスが密輸に関わっていた状況を考えるに、犯人はまず犯罪者だろう。
俺達は、門番に見送られて、屋敷を出た。
「お嬢様、お気をつけていってらっしゃいませ」
門番がコレティアに頭を下げる。コレティアの前では、従順な大型犬みたいだ。
闘技場で剣闘士とライオンを戦わせたり、動物同士を戦わせる一方で、ローマ人は愛犬家でもある。
金持ちは、田舎の別荘に狩りの為の猟犬を飼っているし、街の中では、泥棒よけに番犬を飼うのが一種のステータスになっている。番犬がいないのに、玄関の床に、犬の絵のモザイクを入れる輩がいるほどだ。
コレティアの屋敷では番犬を飼っていないが、それは門番が立派に役目を果たしているからに違いない。
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