12 素敵な恋に、出逢うでしょう
何かわかったら教えてもらうように頼んで、詰所を出ると、既に昼を回っていた。
腹を空かせた俺達は露店の食べ歩きで腹を満たしながら、エミリウス橋まで戻った。ポピディウスを訪ねると、幸い在宅していた。
「やあ、ルパス! 三年ぶりだね。まだ生きてたのかい。で、こちらの女神のように美しいお嬢さんは? 初めまして、お嬢さん。僕はノニウス・カウルス・ポピディウス」
奴隷に案内された部屋で、立ち上がり、両手を広げて俺達を迎えたポピディウスは、俺には一瞬だけ目をくれた後、コレティアににっこりと感じのいい笑顔を向けた。
ポピディウスは俺と同い年の二十八歳だ。
どちらかというと線の細い体つきで、背はあまり高くない。
癖のない茶色の髪を、流行りの髪型に刈っていた。髭も綺麗に剃っている。
着ているテュニカも房飾りのついた上等なものだ。人当たりもいいし、人好きする笑顔は感じがいい。
なのに、俺がポピディウスの恋人を見た覚えがないのは、こいつの好みが、とんでもない美人だからだろう。
とんでもない美女というヤツは、男を食い物にする方法しか考えていない根性曲がりか、男など眼中に一切ないかの、どちらかだ。
「やめておけ、ポピディウス。コレティアはウェヌスじゃなくて、ミネルウァの方だぞ。下手なことを言って、噛みつかれても知らないからな」
俺の忠告にも、ポピディウスは尻込みしなかった。
「コレティアというのか、美しい名前だ! 君の真珠の歯に噛みついてもらえるなら、どこだって差し出すよ。腕がいい? 頬がいい? それとも耳かな?」
コレティアが呆れ顔で俺を振り返った。
「面白いお友達ね。類は友を呼ぶのかしら」
「「こいつと一緒にしないでくれ!」」
俺とポピディスが異口同音に抗議する。コレティアが吹き出した。
「で、何の用事だい? コレティアを紹介する為なら、もう役目は果たしたから、帰ってくれて構わないよ」
ポピディウスが
「友人と護衛対象が不幸になると明らかなことを、どうしてしなきゃならないんだ?」
「大丈夫さ、ルパス。世の恋人達は、自分達なりの方法で、君が思っているよりずっと強く結ばれているよ。始める前から不幸になる恋かどうかなんて、神だってわからないさ」
一体どこから自信が溢れてくるのか、ポピディウスは情感たっぷりに言うと、同意を求めるようにコレティアを見つめた。
「あなたと私が結ばれる可能性は、
コレティアが冷静な顔と表情で、あっさりポピディウスを袖にする。
「芥子粒ほどでも可能性があるなら、君の部屋が埋まるくらい、芥子の花を贈るよ」
ポピディウスは全然めげない。これが、こいつの長所でもある。放っておくと、際限なくコレティアを口説きそうなので、俺は間に割って入った。
「ポピディウス。今日ここに来たのは、頼みがあるからなんだ」
「コレティアの護衛を代わるのかい? お安い御用だよ」
間髪置かずに、ポピディウスが笑顔で答える。コレティアと二人きりになった場面を想像しているのか、声が弾んでいた。
「私、役立たずは雇わないの」
コレティアの言葉は手厳しい。
ポピディウスには悪いが、俺も同感だった。ポピディウスにコレティアの蹴りがかわせるとは思わない。ポピディウスは昔から、運動が不得手だった。
「しばらくローマにいる間、泊めてほしいんだ。金は払う。それと、これを売りたい」
俺は荷物の中から胡椒の包みを取り出して、ポピディウスへ渡した。中身を確かめたポピディウスが、驚いた声を上げる。
「胡椒じゃないか。なかなか質もいい。どうしたんだ?」
「アンティオキアで仕入れてきた」
「うちにぴったりの商品だな」
ポピディウスの家は種々の香辛料を扱っている。扱う商品が高価な為、平民にしてはかなり裕福だ。
「前は失敗したからな」
俺は苦い記憶を思い出して、顔をしかめた。
三年前、ヒスパニアから戻ってきた時は、
俺は葡萄酒で満たされた大きなアンフォラを、皇帝港でわざわざ奴隷と小舟まで雇って、ポピディウスの家へ運び込んだ。
だが、結局、葡萄酒は売れなかった。
俺とポピディウスの二人で、すっかり飲んでしまったからだ。
ちょっと味見をしよう、と開けたのが間違いだった。まろやかな葡萄酒は、たちまち俺とポピディウスを
三年前の宴を思い出したらしい。ポピディウスが、舌なめずりせんばかりの顔になった。
「あの葡萄酒は、旨かったよ」
「おかげで、俺は
「僕が飲んだ分は、払ったじゃないか」
「ああ。結局、回収できたのは、買った金額の三分の一だけだった」
つまり、三分の二は俺が飲んだわけだ。
ポピディウスがお茶の用意を言いつけた奴隷が、盆を運んできた。俺とポピディウスには薄めた葡萄酒、コレティアにはムルスムとデーツの実だ。
遠慮する間柄ではないので、早速、ガラスの器に手を伸ばす。葡萄酒は俺の好みよりも薄かった。この濃さは、ポピディウスの好みだ。
「わざわざシリアから持ち帰るなら、もっと面白味のある物を買ってくればいいのに」
ポピディウスが奴隷に胡椒の包みを渡しながら、残念そうにぼやく。俺は、ぴんと来た。
「お前が買ってきてほしかったのは、インド真珠の首飾りや、ルビーの耳飾りだろ。誰に贈るつもりだったんだ?」
ポピディウスは一瞬、自慢したそうに顔を輝かせた。だが、コレティアに気づいて口をつぐむ。
好みの女性がいる前で、他の女性の名前を出すほど無神経ではないらしい。
「気にしないでちょうだい。あなたの恋人が誰であろうと、私には全く関係がないのだし」
デーツの実をかじりながら、コレティアがすげなく言い放つ。おかげで、ポピディウスは踏ん切りがついたらしい。溶け出しそうなほど顔が緩んだ。
「ああ、彼女の美しさを、なんとたとえたらいいんだろう! 美の女神ウェヌスだって裸足で逃げ出すよ。でも、ウェヌスほど官能的ではないんだ。なんというか、もっと秘められた美しさっていうのかな。まだ、誰も手の触れたことのない宝石みたいな……」
「で、まだ恋人じゃないんだろ?」
俺がからかうと、ポピディウスは少年みたいに、恥ずかしそうに頷いた。ポピディウスはいつも、肝心なところで押しが弱い。
「なんて名前なんだ?」
それほど興味はなかったが、話の礼儀として聞いてみた。
「グレースムって言うんだ。占い師で……」
「占い師? そいつは、やめておけ。確実に
生まれた日だの、星の動きだの、鳥の
俺の忠告に、ポピディウスは激しくかぶりを振った。
「グレースムは、その辺の占い師とは違うんだ。ちゃんと僕の運命を当てたよ!」
「なんて言ったんだ?」
ポピディウスはかすかに頬を上気させた。目を伏せると、小声で呟く。
「素敵な恋に出会うでしょうって……」
俺は絶句して、天井を仰いだ。会ったこともないが、これだけは確信して言える。グレースムという女は、絶対に詐欺師だ!
純情なポピディウスを手玉に取るなど、簡単だろう。甘い言葉に惑わされて、有り金を全部ごっそり毟り取られるに違いない。
友人としては、ポピディウスが破産するのは阻止してやりたい。
が、ポピディウスがグレースムに首ったけなのは、見ているだけでもわかる。恋に夢中になっている者に、忠告をしても無駄だ。逆に、火に油を注ぐことになる。
それでも、言わずにはいられなかった。
「ポピディウス。いくら相手が飛びっきりの美人でも、心まで綺麗とは限らないんだぞ」
思わず、横目でちらりとコレティアを見た。見た目と中身が違う美人の筆頭だ。
俺の視線に気づいたコレティアが、剣呑なくらい、にっこりと微笑んだ。
「どうしたの、ルパス。私の顔に、何かついている?」
「目と耳と鼻と口」
見た通りを答えると、コレティアはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「いいや、グレースムは心も綺麗だよ。僕にはわかる」
ポピディウスは拳を握って力説する。
駄目だ。重症だ。
俺は、やれやれと首を振った。ただでさえ、コレティアの護衛で頭が痛いのに、この上、ポピディウスの目を覚まさなくてはいけないとは。
しかも、こっちは無償だ。
「友情はお金で買えないものね」
ムルスムをすすったコレティアが、俺の考えを読んだみたいに言う。
「愛情も、金で解決できるのは、偽物だぞ」
コレティアの碧い瞳が、からかうように俺を見上げた。
「意外と純真なのね」
「褒められたのは初めてだな」
うそぶくと、コレティアはつんと形のいい鼻を上げた。
「褒めてないわ。意外だっただけ」
「そうなんだ。こう見えて、ルパスはいい奴なんだよ」
ポピディウスが声を弾ませてコレティアに話しかける。
「やめろ、ポピディウス。まだ思い出話に花を咲かすような年じゃないだろ」
俺は慌ててポピディウスを止めた。
子供の頃の善行で点数を稼ぐようなあざとい真似はしたくない。どうせ、コレティアに鼻で失笑されるのがいいところだ。
「ルパスは、どんな子供だったの?」
意外にもコレティアは興味を示した。うきうきとポピディウスが話し出す。
「ルパスと会ったのは、初等学校の時でね」
「ということは七歳からね。それ以前は?」
コレティアがポピディウスから俺に視線を移す。
「その辺にいる子供と変わらなかったさ」
母親が死んだのは六歳の時だ。
初等学校へ通い始めた頃は、父親と二人暮らしだった。幼心に、父を支えなくてはと決意していた記憶を思い出す。
が、コレティアにそんな思い出を話す必要はない。
俺の答えに、コレティアは興味を失ったらしかった。器に一つだけ残っていたデーツの実に手を伸ばす。
俺は葡萄酒を飲み干すと、ポピディウスの顔を見た。
「どうしたんだい、ルパス。僕、見つめられるなら、美人に見つめられるのが好みなんだけど」
「お前の好みなんか、知ったことか」
我ながらお人好しだと思う。だが、ポピディウスが破滅するのを、むざむざ手を拱いて放っておくわけにはいかない。
ゴルテスの件を調べる傍ら、一度グレースムの顔も見に行かなくては。
コレティアも従いてくるだろう。絶対に。
「くそっ」
腹立たしくなって、空になったガラスの器を放り投げる。
「危ないじゃないか! 何するんだよ」
慌てて受け止めるポピディウスの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます