11 アグニは天罰を与えない


 ゴルテスの死体の件を届けに訪れた警察隊の詰所は、男ばかりの場所にありがちな、汗臭くて、物がごちゃごちゃした薄汚れた建物だった。

 剣を腰にいた隊員達が、ローマの夏の暑さに辟易へきえきした顔で出入りしている。


 首都ローマで、剣で武装できるのは、警察隊と近衛軍団プラエトリアニの二つだけだ。この内、軍事力と呼べるだけの力を持っているのは、ローマ郊外に兵舎を持つ、近衛軍団のみである。


 初代皇帝アウグストゥスが創設した近衛軍団は、千人単位からなる歩兵大隊コホルスに別れ、第一コホルスから第九コホルスまでの九千人が、二人の近衛軍団長官の配下に属している。

 親衛隊の職務の第一は、皇帝の警護であり、皇帝が属州へ向かう際には同行もする。


 各属州の軍団から選り抜きを集められた近衛軍団はローマ軍団の華である。皇帝の親衛隊というべき近衛軍団は、他の軍団よりも優遇されていた。

 年給は六百七十五デナリウスで、一般の軍団兵の三倍。兵役期間も、軍団兵の二十年比べ、十六年と短い。退職金も軍団兵より多い。


 近衛軍団の長官は、基本的に騎士階級から選ばれるが、各大隊を指揮する大隊長トリブヌス以下は、出身階級を問われない。実力主義の世界である。

 地方出身者や、低い階級の者にとっては、近衛軍団への入団が立身出世の早道だった。指揮官クラスまで出世できれば、属州総督への道が開けているからだ。


 たった九千人とはいえ、本国イタリアに唯一駐屯する軍隊という影響力は大きい。


 カリグラが近衛軍団の大隊長二人に殺害された時には、近衛軍団がクラウディウス帝を擁立し、元老院にもクラウディウス帝の即位を認めさせたという経緯がある。


 十年前の内乱の年、オトーが帝位につけた理由も、近衛軍団を懐柔してガルバを暗殺させたからだ。

 内乱を制したウェスパシアヌス帝が、息子のティトゥスを近衛軍団長官に就任させた理由も、自分の身辺の安全を確立させる為だった。


 近衛軍団が皇帝を守る責務を負うとしたら、市民の治安を守る責務を負うのは警察隊だ。

 人数は大隊が三つで三千人。剣での武装が許され、ローマとその周辺地域の治安維持が任務だ。長官である警視総監プレフェクトゥス・ウルビには、元老院議員が任命される。


 もう一つ、ローマの治安維持の為にある組織が消防庁ウィギレスである。隊員は七大隊に組織され、人数は七千人。ローマの行政区は十四なので、一大隊が二地区を担当する計算だ。


 隊員のほとんどは解放奴隷だ。大抵の大隊の司令官には、ローマ軍団で百人隊長ケントゥリオを務めあげた人物が、除隊後に就任する。


 名前の通り、消防活動が任務だが、防火の為に市内を巡回するので、強盗の逮捕、逃亡奴隷や盗難の捜索、インスラの管理等、事件の捜査を行う事態も多い。


 警察隊が嫌がる仕事、例えば、盗まれたテュニカを探したり、インスラの上階から降ってきたゴミで汚れた通行人と住人の仲裁だとか、居酒屋の店主を殴って逃げた酔っ払いの捜索などは、消防庁隊員へと回される。


 警察隊の詰所の奥へ通された俺達は、死体を見つけた時の状況を説明した。


 俺は、レンドロスから聞いた、ゴルテスが密輸に関わっているらしいという噂も、噂だと断った上で、隊員達に話した。但し、アグニの話は出さなかった。


 俺もコレティアも、アグニがゴルテスに天罰を与えたなんて、欠片も思っちゃいない。殺したのは人間だ。それだけは間違いない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る