第17話 聖女のサムライ

 最初に気配が動いたのは左後ろ。だが、クラウスは動かなかった。二つの『キョウスケ』の気配が唐突に現れ、クラウスの背中に襲いかかってくる。しかし、それがわかっても、クラウスは動かなかった。刃は届かない。クラウスには確信があった。それが自分が血を吐き、泥をすすって得た力だ。

雷切らいきり』の魔力が高まり、クラウスの周囲に発生した青い稲妻が迸る。瞬く間もない。迫る二人の『キョウスケ』の身体を稲妻が貫く。本来であれば、その結果に意識を向ける必要すらなかった。見えずとも敵を捉えられる超感覚『心眼』の技術に、不可視の力まで可視化する『雷切の眼』を用い、それら感覚に追随し、迫る敵を自動迎撃する『雷撃』を纏うクラウスには、背後であっても死角にはならない。

 次に気配が発したのは右。側面から三つの気配が同時に襲いかかるが、これもクラウスの雷撃が自動迎撃する。間髪入れずに左前方の上から発した気配は二つで、巨木の上から躍りかかった二人の『キョウスケ』も青い稲妻が迎撃する。

 気付けば、クラウスの周囲で常に青い稲妻が疾駆し、無数に現れては襲いかかる『キョウスケ』を撃ち続けるという、壮絶な状況となった。青い稲妻に音はなく、幻影である『キョウスケ』も足音ひとつさせず、無音無言のうちに現れては、魔力の稲妻を受けると、姿を消してしまう。静謐せいひつが支配する森の中で、静謐とは程遠い、幻影と稲妻という二つの魔力が激しくせめぎ合う。

 クラウスはイアイの姿勢を崩さなかった。静かに呼吸し、キョウスケの狙いを探っていた。

 森に潜み、こちらの死角を狙う。その基本的な攻めの戦略は変わらない。だが、それにしては能動的に攻め過ぎてはいないか。こちらの出方を待ち、焦れて動いた死角を狙う訳ではない。明らかにこちらを動かせようと、能動的に働きかける攻め。キョウスケらしくない。知る限りのキョウスケであれば、もっと姑息なやり方をする。それが暗殺者であり、キョウスケであり、魔剣『夢幻』の戦い方であるはず。クラウスはやはり、これだけの数で圧してくるキョウスケのやり方に、焦りのようなものを感じる。それとも本人が言葉にした通り、クラウスの『雷切』の速さとその特性上、こういう形でしかキョウスケには隙が作れない、と言うことか。

 そこにクラウスが思い至ったのと、幻影と雷撃の撃ち合いに変化が起こったのは同時だった。変化はクラウスの真正面で発した三つの気配を雷撃が自動迎撃した際に起こった。瞬く間もなく雷撃が光を発し、気配を撃ったが、それで消滅したのは二つだった。ひとりのキョウスケが、そのままクラウスに迫った。

 動揺は僅か。クラウスはイアイに構えた『雷切』を抜いた。真正面から飛び込んだキョウスケを、『雷切』の刃が捉える。避けることも、受けることもしなかったキョウスケは、そのまま斬られ、輪郭を曖昧にすると、消滅した。だが、変化はそれだけに止まらなかった。すぐに別の角度で同じ状況が起こり、クラウスは躍りかかった別のキョウスケを『雷切』で斬り伏せる。

 何が起こっている? 疑問には思ったが、考察する暇がない。次々に自動迎撃を掻い潜る幻影を斬る。

 何度目かの交錯が起きたとき、クラウスは明らかに『雷切』を振り遅れた。一歩、間合いを懐に詰められ、クラウスは『雷切』を引き寄せて防御に構えると、迫ったキョウスケの『夢幻』の刃が『雷切』の腹を打った。


ようやく捕まえましたよ、クラウスさん。」


『夢幻』と『雷切』の刃越しに、キョウスケが笑う。屈託ない少女のように美しい微笑みはいま、キョウスケの殺しの戦略が上手くいっていることを示していた。クラウスは戦慄する。


「過剰な数を相手にするというのが、『雷切』の自動迎撃の弱点なんです。クラウスさんは魔力が強いし、『雷切』との親和性も高いから、なかなか隙ができなくて驚きましたけど。短時間に、これだけの数に襲いかかられた経験は、ないでしょう?」


 こいつ、知っていたな。

 クラウスはキョウスケの言葉を理解する。おそらく、キョウスケはドウセツ師から、『雷切』の能力の特性について、手解きを受けている。だからこその、この能動的な攻めだったのだ。


「この一歩内側の間合いは、ぼくの間合い。こうなれば、クラウスさんより速く刻める。」


 無音の幻影の襲撃は続き、無音の迎撃は続いている。その中央で、肉薄するキョウスケの短刀の剣線は、確かに速い。長物である『雷切』の間合いの、完全に内側であり、クラウスは受けるので手一杯になる。

 が、注意は正面のキョウスケにだけ向けていればいい訳ではなかった。時折、迎撃を掻い潜った別の幻影が、全く別の角度から刃を伸ばしてくる。避けきれず、一刀を背中に受けたクラウスは、返す刃でその幻影を斬り伏せたが、その隙に間合いの内側に入っていたキョウスケに腹部を斬られる。殆んど反射の領域で身体を捻り、致命傷は避けたが、浅くない太刀傷から血が吹き出す。


「さあ、どうします、クラウスさん。」


 わかってはいたが、やはり恐るべき使い手だとクラウスは感じた。幻影を生む魔力の底のなさ、剣術そのものの速さ。正確さ。ドウセツ師が門下筆頭としていたことも頷ける。頷けるだけに、クラウスはこの場で刀を引くことはできなかった。


「どうもこうもない。お前を斬る。『夢幻』を取り戻す。それだけだ。」

「頑なですね、クラウスさんは。」

「逃げを打たないだけだ。逃げ回ってばかりのお前とは違う。」


 ぴくり、と音がするほど、はっきりとキョウスケの笑顔が歪んだ。


「……どういう意味です?」

「そのままだ。家柄から逃げ、剣術から逃げ、殺人という歪んだ快楽に走った。ドウセツ師がお前に魔剣を託さなかった理由だ。お前は、お前の人生からただ、逃げ回っている。」

「……家柄からは逃げた訳じゃない。ぼくには跡を取る席がなかった。期待もされなかった。無能な兄たちが、ただ先に生まれたというだけでその席を埋めた。納得できる訳がない。先生からは筆頭を頂くほど、剣術を高めた。誰もぼくには敵わなかった。それのどこが逃げ回っているっていうんだ!」


 これまで、まるで感情の読めないのがアザミ・キョウスケという暗殺者だった。それがこの男の特徴だった。だが、いまは違う。歪んだ口元から紡がれるのは、猛烈な怨嗟の感情だ。


「だが、そうして高めた剣術も、師に否定されるとすぐに逃げた。師を斬り、親兄弟を斬り、お前は人を斬るという快楽にだけ生きている。」

「この生はぼくのものだ。どう生きようと、ぼくの自由だ!」

「そうだな。だからわたしは、お前を否定しようとは思わない。倒すだけだ。」


 クラウスは『雷切』を鞘に戻す。足を引き、腰を落とす。イアイの構えだ。師ドウセツが最も得意とし、クラウスが最も得意とする剣技。

 いつの間にか無数の幻影の猛攻は止み、無音の攻防は終わりを告げていた。クラウスの周囲に、青い稲妻が再び宿る。


「ただ、お前は一度として自分の置かれた立場、生まれ、環境に向き合ったことはない。その逃げ腰が、師の跡取りとはなれなかった理由だ、と師から伝えるように頼まれただけだ。敵前逃亡は士道不覚悟。おれは、生まれにも、運命にも、誠実に向き合い、抗い続ける人を知っている。その人のために、この剣はある。」


 陽光のように輝く金色の髪と、その下の微笑みが、クラウスの脳裏を過った。


「……やっぱり殺しておくべきだったなあ、先生。こんなに不快な思いをさせられるとは、思わなかった。」


 キョウスケが額に手をやる。顔の半分を被うようにして、くつくつと笑う姿は狂気じみていて、事実、その顔には、笑顔と怨嗟が混じりあった、人とは思えない複雑な表情が浮かんでいた。


「もういい。クラウスさん。終わりにしよう。その身ではいくらクラウスさんでも、最速のイアイは放てない。」


 キョウスケが『夢幻』を逆手に構え、足を引いて腰を落とす。イアイの構えに似ている。そこから飛び出すのはおそらく、イアイと同程度か、それ以上に速い身のこなしがなせる刃だと、同じ門下であるクラウスには分かる。

 打ってくる。同じ門下として、師の得意としたイアイを打ち崩すことで、キョウスケは師を上回ろうと考えたのだろう。それだけ感情的になっているということだ。

 確かに、腹部の傷は浅くない。しかし、それでもクラウスは口元で笑った。


「言ったはずだ。」


 踏み出す一歩目となる蹴り足が踏む大地の感触を確かめる。より深く、強く、イアイの構えを完成させる。何度退けられようと、何度打ちのめされようと、クラウスはこの剣に、この剣技に命を賭ける。


「……この剣は、わたしの剣ではない。運命に向き合い、戦い続けるあの方の剣だ。いついかなる時も、最速でないことなど、ない。」

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