第18話 『統制者』vs『領主』

「甘くなったんじゃあねえか、死神。俺の目を抉った頃のお前なら、そのぼっちゃんを囮にして、おれを背後から斬っただろう?」

「……その必要がないだけだ。お前を相手にするのに。」

「……言いやがる。ずいぶん口が上手くなったなあ、てめえ……」


 リディアは紅い剣を前に翳しながら、シャーリンとの距離を詰めた。倒れたイオリアとシャーリンの間に割って入る。


「事実だろう。お前はそういう決着を望んでいない。正面切って打倒しなければ、首だけになっても、おれの喉笛を食いちぎらんと飛んでくる。」

ようやくおれのことがわかってくれたみてえで、嬉しい、ぜ!」


 声と共にシャーリンが、青い巨剣を斬り上げる。その軌跡に沿って、魔法の冷気が飛ぶ。対して、リディアは地を蹴り、駆け出した。一直線に距離を詰める。背後にイオリアが倒れているから、避けることができなかった、というだけではない。リディアにとって、それが最良の選択肢だった。

 刃のように鋭く、研ぎ澄まされたシャーリンの冷気は、冷気と呼ぶにはあまりにも強いものだった。あらかじめ凍りつき、凍土と化していた地面が更に白み、一切の水分を余すところなく氷結させる。その一線に、リディアは自ら飛び込んで、紅い剣を振るった。

 仄かに紅い剣が光った。次の瞬間には、シャーリンの放った冷気は、紅い水分に変わって霧散した。


「……てめえ、二年前とは違うな。」

「お前が違うのと同じだ。」


 シャーリンが笑う。凍りついた顔の右半分は動かず、ただ虚ろな右目だけが、僅かに光を宿す。


「そうだなあ。そうでないとなあ、死神ぃ!」


 シャーリンが突進してくる。瞬く間に間合いを詰め、肩に担ぎ上げた魔剣フェンリルを、裂帛の気合いと共に落としてくる。リディアはその挙動ひとつひとつを冷静に見極めた。フェンリルの魔力、重力。シャーリンの膂力、脚力。斬撃に載せられる、全ての力を合わせて判断し、リディアはその打ち下ろしを受ける決断を下した。

 金属同士が激しくぶつかり合う音。腕に、肩に、脚に、臓腑に、リディアの全身に、シャーリンの重い一撃がのし掛かる。それでも、リディアは止まらなかった。落下してくる斬撃を、

 受けながら、力を流す。逸らしながら、受け止める。そのぎりぎりの一点で、リディアはフェンリルの刃に紅い剣を這わせながら、自身は地を這うほど姿勢を低く落とし、シャーリンとの最後の間合いを詰めた。刃と刃が火花を散らし、鉄が鳴く。

 リディアは走り抜けながら紅い刃を真横に振り抜いたが、それを察したシャーリンが身を捻った。手応えはあったが、致命傷ではない。特に、魔剣と魔剣の戦いにおいては。


「……相変わらずおっかねえ男だよ、てめえは。」


 腹部に紅い剣の切っ先を受けながら、リディアと距離を取ったシャーリンは、半顔だけで笑った。斬ったのはシャーリンの右の下腹部だが、そこは凍りついていて血は流れず、太刀傷すら新たについた氷でもう塞がっている。


「……楽しそうだな、シャーリン。」

「ああ? 楽しいに決まってるだろ? これからてめえを斬り刻めるんだからよ!」

「そうか。残念だ。」


 リディアの言葉に、シャーリンがわからない、という表情を作る。リディアは静かに紅い剣を下段に構えた。


「この戦いは、ここで終わりだ。」


 リディアがそう口にした瞬間だった。シャーリンが手にした青い巨大な刃を持つ両刃剣の、リディアの剣と触れ合った側だけが、紅い輝きを放った。気付いたシャーリンが視線を落とした、それと同時に輝きを放ったのは、リディアが斬った右下腹部だった。氷が砕ける音がして、太刀傷を新たに塞いでいた氷が飛び散る。同じ変化はフェンリルの刃にも起こり、青い刃は片側がぼろぼろに砕けて荒れる。


「なっ!?」

「そうだろう、。」


 シャーリンの驚愕に、リディアの落ち着いた声が重なる。シャーリンは更に驚いたような気配があったが、それは一瞬のことだった。途端に力の抜けた様子でうずくまったシャーリンは、そのままぴくりとも動かなくなった。


「『統制者』が貴様を制する。大人しく我に従え、フェンリル。」

「……それは出来ない相談だ、『統制者』。我が永遠の敵よ。」


 虚ろだった右目に力強い光が宿る。氷結し、霜の付いた睫毛に縁取られたシャーリンの瞳は、明らかにシャーリンのものとは違う表情を見せた。


「しかし、どういうことだ。貴様が『統制者』を名乗るとは……いや、違うな。そういうことか。」


 シャーリンが、いや、シャーリンの中から現れた何かが、何かを納得したらしい。それはこの二年の間で、リディアが決めた決断についてのことであろう。


「貴様、受け入れたな。」

「……どうということはない。」


 リディアは下段に構えた紅い刃の剣……全ての百魔剣を制する為に作られたと言われる『百ひと振り目の魔剣』に目を落とす。


「その必要があった。ただそれだけだ。この先、お前のような魔剣を制する為には。」

「人間ごときの脆弱な精神力で『統制者』とのが可能とは、考えたこともなかったぞ。貴様、いまは生きているだけで精一杯、というところではないのか。」


 シャーリンの口から、シャーリンではない落ち着き払った声が指摘する。その通り、いまのリディアは、常に気を張っている状態と言える。そうすることで、『統制者』の常時表現化を限定的に許しているのだ。リディアがリディアとして、『統制者』の力を行使できるようになったのは、このためだ。

『統制者』が目覚める度に意識を失い、その都度暴走の限りを尽くす。確かにそれでも、いや、それ故に、『統制者』は負けることはない。だが、というのであれば、話は別だ。リディアは誰も傷付けず、全て自分の手の内として戦うために、文字通り『統制者』との共生を選んだのだった。それはリディアにとっては永遠の仇の手を握ることを意味していた。それでも、リディアはこの道を選んだ。自分の過去を呪うためではなく、聖女が作る未来を生きるために。

 確かに、『共生』と、言葉にすればそれは大それた内容ではない。しかし、いまのこの状態までなるには、並大抵のことではなかった。意識の足の置き場を間違えれば、いついかなるときでも『統制者』の力は暴れ始める。この二年間でリディアが磨き続けたのは、剣技よりもむしろ、それを現実にした精神だ。


「……言葉はいらない。フェンリル。我に従え。」

「……始めよう。」


 シャーリンの肉体を得た魔剣フェンリルが呟いた。ぼろぼろに砕けた両刃剣が青い光を放つ。その光が刃に変換されたかのように、砕けた刃が一瞬のうちに修復される。鋼鉄製の、一般的な剣であれば、絶対に起こり得ないことだが、リディアは驚きはしなかった。百魔剣とは、人智と常識を超越した存在。いまは自分も、そのひと振りだ。

 フェンリルはシャーリンと異なり、巨大な青い刃を引き摺るように持ち、攻めてくる様子はない。その冷静な佇まいは、隙だらけのようで、まるで隙がない。どう攻めるべきか。真正面から攻めれば、当然、あの巨剣の横薙ぎの一閃が放たれるだろう。その剣は速いのか。力はどうか。シャーリンと同じと考えるべきではない相手に対し、リディアは真正面から向かう愚は犯さなかった。互いに距離を取りながら、互いを直線で結んだ中心を軸にして、半円を描くようにゆっくりと動く。

 先に仕掛けたのはリディアだった。下段に構えた『統制者』の切っ先を凍り付いた地面に添わせ、僅かに右方向へ広がるようにフェンリルとの距離を詰める。一直線に真正面へ猪突する危険を避けつつ、自分にとって剣を打ち出し易い位置に遷移する。フェンリルの左側面は、シャーリンの肉体にとっての死角である。

 だが、リディアが初太刀を見舞う前に、リディアの予想よりも遥かに速く、フェンリルが動いた。いかに巨大な刃とはいえ、まだリディアがその間合いを侵してはいない内に、フェンリルは横薙ぎの一閃を撃ち出したのだ。

 刃は届かない。咄嗟にそう判断したが、リディアの身体は本能的に紅い剣を左側に立てて身を守る構えを取っていた。そこに、衝撃が来た。まるで刃を受け止めたかのような、重い衝撃。いや、先ほど受け止めたような、ただの刃であれば、もう少し軽い。

 リディアは周囲で、凍り付いた巨木が何十本も砕け散るのを視界の端で見た。何が起きたのか、察しはすぐについた。受け止めた衝撃に視線をやる。

 そこには、冷気の刃があった。魔法で作られた刃は、リディアの背後まで長く伸びていて、その長さを含むと、フェンリルはもう、おそよ剣とは呼ぶことのできない代物となっていた。周囲で砕けた木々は、この刃の横薙ぎに斬られたのだ。

 重さはないのか、それともフェンリルがフェンリルであるから感じないのか、シャーリンの姿をした百魔剣は、その超大な刃を軽々と頭上に振り上げる。今度は撃ち下ろしの一撃が来る。察したリディアは、その一太刀を避ける。だが、振り下ろされた刀身が凍り付いた大地に触れた瞬間、爆発と言っていい衝撃が起こる。ぎりぎりで避けたリディアはその衝撃に巻き込まれ、転がるように弾き飛ばされる。

 背中に何かが当たり、衝撃波に揉まれた身体が漸く止まる。それが凍り付いた巨木のひとつだと理解する前に、リディアは地を蹴った。刹那の間のあとに落ちてきた冷たい衝撃が、リディアを受け止めた巨木を粉々に吹き飛ばす。

 力。あれだけの魔法の刃を維持し続ける圧倒的な魔力。位階『領主』の底知れない強さにリディアは息を吐く。おそらく、あの刃だけではない。フェンリルはまだ、攻め手を持っている。リディアはそう考え、次の瞬間に、自分の油断に気づいた。手遅れになる前に、リディアは『統制者』の力を解放する。

 リディアの周囲で、小さな爆発が連続して起こる。それはイオリアを助けたときと同じ、この場に満ちた細かな氷の塊を、血に変換して霧散させた『統制者』の力の一端だった。

 だが、変化はリディアがフェンリルの包囲を霧散させた次の瞬間に起こった。リディアは自分の身体の内側に、猛烈な痛みを覚えた。片手で胸を抑えずには要られないほどの激痛。何が込み上げ、リディアは盛大に血を吐いた。立っていることができず、膝をつく。


「先ほどの少年には、シャーリンが伝えていたが」


 リディアはすぐ近くで発したフェンリルの声を聞いた。ゆっくりと膝をついたリディアに歩み寄る気配があるが、リディアはそれを確認するために顔を上げることができない。


「ここはもう、わたしの戦場だ、『統制者』。過去のお前であれば、わたしの力が戦場を制する過程は理解していただろうに。」


 リディアはフェンリルの言葉から、体内に発した痛みの原因を知る。


「そうか……氷を……」

「この場の空気には全て、わたしの魔力でできた微細な氷が含まれている。お前を体内から切り刻むこともできる。」


 歩み寄る気配が止まる。リディアのすぐ横に、フェンリルが立った。


「全てを破壊する力を人間ごときに抑え込まれたお前の敗けだ、『統制者』。それとも、その男を殺せば、現れるのか?」


 フェンリルが巨剣を振り上げた気配だけを感じた。激痛に俯いたリディアは身体を上げることができない。


「いずれにせよ、わたしの勝ちだ『統制者』。数百年の我が望み、我らが望みを、この場で達する。王の支配から逃れ、自由を得る。」


 慈悲も迷いもなく、剣が落ちてくる。

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