第14話 『夢幻』vs『雷切』

 三つの気配は、共に一定の距離を保ちつつ、古城を目指して北から迫ってきていた。クラウスはそのうちひとつの気配の色に着目し、そちらへと移動を開始した。魔剣『雷切らいきり』に流れ込む魔法の力で、擬似的に視力を取り戻したクラウスは、気配を追いながらその目でしっかりと見て、針葉樹の森を駆け抜けていく。その速度は、もはや人間のそれではなかった。雷切が発する稲妻の力を推進力としたクラウスの疾走は、まさに光のごとき速さだった。

『東方』……魔剣『夢幻むげん』の持ち主、そして師からその処遇を託された、兄弟弟子にしてかたきでもある暗殺者アザミ・キョウスケを討つ。クラウスはその事にのみ、集中した。

 気がかりなことはあった。アザミの気配以外の二つの気配のことだ。それらは真っ直ぐ古城に向かっている。古城にはラインハルトしかおらず、彼一人で相手にするには荷が重い。それがわかっていたから、気がかりではあった。ラインハルトにとっては厳しい戦いになるはずだが、そこまで想像して、クラウスは考えるのを止めた。集中しなければ、勝てない。アザミ・キョウスケという暗殺者は、『夢幻』という魔剣は、そういう相手だった。

 それに、クラウスには、ある確信があった。ラインハルトは大丈夫だ、という確信。未だ気配はないが、という確信だ。遅れて現れるのは、あいつの癖のようなものだ。かっこつけているつもりではないのだろうが。

 そこまで考えて、クラウスは思考を閉ざした。目の前に全ての意識を向ける。樹齢数百年に達するだろうか。大人が五、六人で手を繋いで、やっと一回り取り囲めるほどの巨木の向こうに、気配が迫っていた。この距離であれば、相手も気づいていると考えるべきだ。それが百魔剣同士の……


「やあ、クラウスさん。やっぱり来ましたね。」


 声は、突然、頭上から降ってきた。疾駆するクラウスは急制動をかけ、腰の『雷切』を抜いた。『イアイ』の一刀を正面ではなく、頭上に振り上げる形とし、抜き打ちの一撃を見舞う。その刃に、硬い金属が打ち合わされる。薄暗い森の中で火花を散らした一瞬の明かりの向こうに、クラウスは声の主を見た。


「……相変わらず、ふざけたやつだ。」

「ふざけてなんていませんよ。今日だって、ちゃんとした仕事ですからね。」


 殺気はおろか、一切の気配を感じなかった。こいつにとっては、人を殺めると言うことに、特別な感情はないのだろう。クラウスはそのことを指して言ったつもりだったが、キョウスケは笑って言った。


「あなたとあなたのお仲間の騎士を倒して魔剣を回収する。ジョルジュ閣下のご命令ですから、まあ、とりあえず、死んでください。」

「……断る。」


 クラウスの正面、五歩ほどの距離に舞い降りた異国の民族衣装姿の少年は、クラウスの『雷切』と同じく、東方流のしつらえである反りのある片刃の短刀を、逆手に構えて跳躍した。歳はシホとさほど変わらないだろう。耳が隠れる程度の長さの黒髪を靡かせ、はしゃぐ様に可憐に笑いながら、しかしその手には刃を握り締めて躍りかかってくる。その姿は、狂気そのものだ。

 クラウスはその場を半歩退いて素早く『雷切』を納刀すると、再び『イアイ』の構えを取った。そして、キョウスケの飛来より先に、最速の刃を抜き撃った。『雷切』の切っ先が青白い光を放ち、キョウスケの短刀とぶつかる、その刹那、クラウスは形容し難い感覚に襲われて、その場を飛び退いた。最後まで振るい切れなかった『雷切』を流すように横へ倒して退くと、たった今までクラウスがいた場所に、無数の刃が飛来した。上下左右から殺到した刃は、全てキョウスケに握られている。何本もの短刀の刃が、クラウスの残像に突き刺さるように、その場で交差し、打ち合わされる。


「勘がいいですよね、クラウスさんて。」


 。魔剣『夢幻』の魔力によって生み出された、実体を持った幻影の刃は、一太刀まともに受ければいずれも致命に届く。

 押し寄せた『キョウスケ』の数を数える。七人。元々いた『キョウスケ』と合わせて、八人。クラウスは多い、と感じた。これまで二度、キョウスケとは剣を交えているが、その中でも多い幻影の数だ。クラウスの『雷切』の高速移動等と同じく、百魔剣の魔力を使って幻影を生み出している以上、数が多くなればなるだけ、キョウスケ本人にも負担はかかるはずだ。それでもこれだけの人数を、初めから出してくる。キョウスケの本気の殺意を感じたが、クラウスは同時に焦りのようなものも感じた。どんな時も笑顔を絶やさない狂気を前面に晒し、まるで感情の読み取れなかったこれまでのキョウスケとは、何かが違う。

 クラウスはもう一度『雷切』を鞘に納める。


「そのイアイ、厄介なんだよなあ。『雷切』の力も手伝うから、速すぎるんですよ。クラウスさんは騎士団にいた頃から『一刀必殺』って呼ばれてたけど、ほんと、そんな感じですよね。もしかしたら、クラウスさんのイアイはもう、ドウセツ先生より速いんじゃあないですか?」

「……ドウセツ師をまだ『先生』と呼ぶのか。」


 かつての師を闇討ちし、魔剣『夢幻』を奪って逃げたキョウスケ。その口から先生、という言葉が出ることは、クラウスには意外なことだった。

 だが、言われたキョウスケの方が驚いた顔をしている。


「え、だって、先生は先生ですからね。魔剣が必要だからください、って言ったら断られたんです。先生の道場で筆頭だったぼくが、何で断られたのか、ちょっとよくわからなかったんで、襲って奪いましたけど、先生に恨みは特にありませんし。」

「ドウセツ師がなぜ貴様に魔剣を託さなかったか、その理由を、考えたことはないのだな。」


 クラウスはその理由をドウセツ本人から聞いている。それは、キョウスケを敵としてしか知らなかったクラウスにも、納得できるものだった。


「ありません。まあ、大方、ぼくのことが気に入らなかったとか、そんな理由じゃあないですか?」


 七人の『キョウスケ』がその場で輪郭を曖昧にし、地面に溶け入るように姿を消した。一人残ったキョウスケが、再び『夢幻』を逆手に構えた。


「……なるほど、地の利か。」


 クラウスは左足を引いて、腰を落とす。イアイの構えを取ったところで、キョウスケの戦略を悟った。

 これまでのキョウスケは、数にものを言わせるような幻影の使い方をしてきた。常に一対多数になるように幻影を使役し、戦いを有利に進める。だが、いまは違う。全ての幻影を、伏兵として使役しているのだ。森の木々のそこかしこに『自分』を潜ませることで、あらゆる角度から、クラウスの死角を狙っている。これまでよりずっと暗殺者キョウスケらしい戦闘戦略と言える。それだけに、いまのキョウスケは本気だと言える。


「どれが本物でしょう、と言いたいところですけどね、って、前にも言ったか、クラウスさんには。」


 目の前に一人残っていたキョウスケも幻影だったらしい。輪郭が曖昧になり、姿を消した。声だけが、余韻を残して森の中に響く。

 しかし、クラウスは構えを変えなかった。いまは視力のある目を、敢えて閉ざす。揺らめく輝きを放つ青い瞳を瞼で押さえた闇の中で、クラウスはキョウスケの、『夢幻』の『色』を探す。そして同時に、『雷切』に流れ込む魔力も高めていく。フィッフスから譲り受けた柄飾りの紐と、その先の飾り石に青い魔力が流れ込んで来る。全身を巡り、ついにはクラウスの周囲に小さな青い稲妻を生むようになると、クラウスはその目を開いた。


「……推して参る。」

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