第12話 わたしは、許さない

「これはこれは、聖女様。こちらからご挨拶に伺えず、申し訳ない。」


 血のように深い赤色の髪を持つ男は腰を折り、高慢を絵に描いたような笑みを張り付けた顔を、恭しく垂れた。


「レネクルス公子、ラインハルト・パーシバルの一件で、わたしも忙しくありまして。まさかフォア伯とエヴルー伯を殺めるとは……」

「ええ。聞き及んでおります。驚きましたね。」


 シホ・リリシアは聖女の顔で淡々と応じた。纏った金に輝く鎧の威厳と相まって、教会最高位にあるものに相応しい雰囲気を纏っているはず。シホはそのことを計算して言葉を選ぶ。


「ジョルジュ様が仰るように、殿とは。わたしも驚きました。」


 顔を上げたエルロン侯ジョルジュ・ヴェルヌイユは、慇懃な笑みを深めた。天幕の下、揺れる薄暗い明かりがその笑みに影を刻む。

 オード王国王都ヴァルトシュタインから東に一日の距離に構えた神聖王国カレリアの夜営地。その本陣であるエルロン侯の天幕をシホが訪れたのは日が暮れてからだった。明日にはいよいよこの戦争も大詰めとなる。忙しい、というのは、確かに事実であるようで、いまも数人の騎士たちがエルロン侯と軍議を行っていた。シホがそれを承知で飛び込んだのは、こちらの権威を見せつけるためだ。

 エルロン侯は軍議を行っていた騎士たちに辞するように命じた。騎士たちはシホに頭を垂れ、足早に天幕を後にする。


「……というところで今回は手を打とうと思うのだが、どうだね、聖女閣下。」


 二人きりになるとすぐに、エルロン侯は呟いた。


「……手を打つ、とは?」

「ラインハルトの凶行は、誰も預かり知るところではなく、同行を申し出て、受け入れた神殿騎士団も、利用されただけ。世に流す偽装としては、その程度で良いのではないか?」

「あなたは、それで自分がしたことが水に流されるとでも思っているの?」


 シホは思わず言葉に感情がこもりそうになるのを抑える。この手の輩に、流されてはいけない。相手の思う壺だ。


「ラインハルトのことか?」

「この戦争のことです。百魔剣と百魔剣を戦わせ、そうして百魔剣を得るために、この戦争を起こしたのは『博士』とあなた。あなたたち『円卓の騎士ナイツオブラウンド』なのでしょう?」


 エルロン侯の笑みに刻まれた影が濃くなる。仮面のように張り付いた、自尊心に満ちた笑顔は、もはや人として大切なものを取り落とした、人ではない何かのようにシホには見えた。


「そこまで知っているのであれば、容赦はできないな、聖女様?」

「この場で決着を付けますか?」


 シホは、にやり、と笑った。無論、ここでこの笑みを浮かべる意味を理解して、計算しつくされた作り笑顔だ。

 エルロン侯は何も言わなかった。だから、シホは畳み掛けるようにここへ来た用件を伝えた。


「お別れを伝えに来ました、エルロン侯爵。あなた方神聖騎士団に、天空神の加護があらんことを。」


 シホは胸の前で天空神教会の印を切る。目を閉じて僅かに祈ると、すぐさま踵を返した。


「……あなたとの決着は預けます、ジョルジュ・ヴェルヌイユ。でも、わたしは、あなただけは許さない。この戦争で失われた全ての命のために、傷ついた全ての命のために、あなただけは、許さない。」

「……許す、許さないではないことが、いずれ分かるよ、聖女様。」


 数歩歩いたところで聞こえたエルロン侯の声に、シホは足を止めた。肩越しにその赤毛の下の眼差しを見据えた。


「お前も、お前の刃たちも、リリシア派も、全て握り潰せる。すぐにでも、だ。」


 シホは口角が上がるのを抑えつつ、すぐさま思考を回転させる。乗った。口を滑らせた。シホはこの言葉を待っていたのだ。

 エルロン侯爵は、確かに大きな影響力を持つ名門貴族だ。だが、彼だけでは、彼の一門だけでは、仮にもひとつの国であるオードとの戦争は起こせない。それがシホの考えだった。必ず協力者、もしくは彼よりも力のある存在がいる。それも、神聖王国カレリアの中に。いまのエルロン侯の物言いを分析するに、おそらくは後者だろう。彼よりも強大な存在が背後にいるからこそ、彼は戦争を起こすまでのことができた。もしくは、その背後にいるものの意思の代行者でしかないのか。彼は有能な人間だが、そんな彼が使役され、彼もまた、当てにするような相手なのであれば、その相手は家柄が相当に大きく、やはり有能な人間であることは想像できる。シホはカレリアの名門大貴族の顔と名前を呼び出し、頭の中でそらんじる。


「……言ったでしょう。わたしは、許さない。覚えておくことね、ジョルジュ・ヴェルヌイユ。」


 自尊心に満ちた貴族とのやり取りは、この二年で嫌と言うほど経験し、どうすれば彼らに気づかれずに有用な情報を口にさせるかを学んできた。これはその賜物だ、とシホは前を向いた。

 天幕を出るとき、自分の歩む足が震えてることに気づいたが、エルロン侯には見つからなかった。

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