第10話 守らせてくれ

「無茶だ。あれはお前の手に余る。」


 そう切り出したのはリディアだった。ずっと押し黙ったまま、ここまで来た。シホは彼の横顔を見つめる。

 いまシホとリディアがいるのは、城塞都市マイカの行政区画、神聖騎士団が接収した行政施設の裏手から伸びる街路。そこから更に建物と建物の間に入り込んだ、人気のない場所だった。

 施設内で炎の怪物……魔剣フランベルジュに『喰われた』ウファと対峙したシホは、リディアやクラウス、ラインハルトが逃げるだけの時間を稼ごうと、受けて、返す剣を貫いた。戦闘は終始シホの有利に進んだが、一撃受ければ致命傷に成りかねない怪物を相手にする緊張の中での疲労は心身共に避けられず、反対に疲労知らずの怪物を相手にし続けるには、シホ一人では分が悪かった。

 そこへ割って入ったのはリディアだった。結局、リディアがウファに決定的な打撃を与えたことと、何者かの指示を受けたかのようにウファが施設の外へ飛び出し、行方を眩ましたことで戦闘は終わりを迎えた。

 だが、二人がこんな裏路地にいるのは、逃げたウファを追ったからではない。神聖騎士団がラインハルトの捕縛に動く中、その逃走を手助けしたリディアが、あのまま神聖騎士団の本拠地に留まることは危険だった。そう判断したシホが、逃走したラインハルトの行方を追うことと、突如炎に包まれた施設内の状況対処に手一杯で、揺れに揺れる神聖騎士団の隙をついて、リディアを施設の外へ逃がしたのだ。教会組織の最高位に位置するシホであれば、どうとでと切り抜けようはある状況だったが、リディアがいる状況では、いくらシホでも捕縛対象にされる恐れすらあった。もちろん、リディア一人では追われる身となることは避けられない。


「……なんで戻ってきたんですか。」


 シホはリディアの横顔に訊いた。驚いたような顔をして、リディアはシホに向き直る。


「わたしだけであれば、何とでもできると、伝えたはずです。いまの状況から、それを判断できないリディアさんではないはずです。」


 戦闘直後で気持ちが昂ったままなのか、シホは自分でもよくない、と思うほど言葉が強くなった。リディアが驚いた顔をしたのはたぶん、この語気のせいだ。聞いたことがない音を聞いたように、不思議なものを見る目で、シホを見ている。

 本当は、戻って、助けに来てくれたことを感謝しているし、それを伝えたいと思っている。思っているのに……


「わからないのか。あれは、お前の手に余る。そういう力に育っているということが……」

「わかります。わかっています。それでも、あの場はわたしでも何とかできた。それより神聖騎士団が敵に回るかもしれないこの状況こそ、手遅れになれば脱することができない。違いますか。」

「だとしても、お前がやるべきことではない。」

「どうして!」


 シホの声が弾けた。自分ではないかのような大きな声が出た。わかっている。わかっているのだ。リディアが言おうとしていることの意味は。リディアが何を言いたいのかは。


「わたしは、強くなりました。それはリディアさん、あなたが、あなたがひとりで、たったひとりで、百魔剣に立ち向かうような、そんな孤独に、わたしが堪えられなかったから。あなたを、ひとりにしたくなかったから!」


 シホは気付くとリディアの黒い外套の裾を掴んでいた。感情が昂りすぎているのだろうか。理由もなく涙が溢れ、リディアの黒い影の輪郭を滲ませ、曖昧にする。


「わたしは、わたしたちは! 強くなったんです、リディアさん! 戦いだけじゃない、いろんな方向から、わたし、強く、大きくなったんです。せめて、ひとつくらい、あなたの力になれても、いいじゃないですか!」


 リディアは無言だった。但し、視線は真っ直ぐ、シホに向けられたまま、動いていない。

 そうか、悔しいのだ、と今更ながらにシホは自分の感情を理解した。この涙は、悔し涙だ。

 リディアと出会い、あの『領主』の百魔剣との戦いからの二年間を、シホはただ強くなることに費やしてきた。それは戦闘技術はもちろん、教会組織という『権力』の中で、その発言や行動の手腕を見せることや、神聖王国貴族たちとの政治的な応酬を軽くあしらうことも含まれる。

 もちろん、それは必要があったからだ。先代聖女、ラトーナ・ミゲルから受け継いだ、百魔剣を封じる戦いは、長く、過酷なものだ。個人としても組織としても、強くなる必要はあった。だが、シホの中では、常にどこかで、いま言葉にした通り、、リディアが孤独であることに堪えられない、という想いがあった。

 リディアはきっと、そんなお節介は不要だと言うだろう。それでもよかった。ただ、リディアが孤独に、どこまでも孤独に、シホの前にやって来て、またひとりで歩き去って行ってしまう。そう思うことが辛かった。嫌だった。リディアの力になりたい。できることなら、傍にいたい。いて欲しい。そう願った。その願いが、シホの原動力になっていたことは確かだ。

 それなのに、いざとなれば、結局リディアの力にはなれず、こうして救われてしまう。それが悔しいのだ。


「……感謝している。」


 涙で滲んだ輪郭から、その言葉は小さく、それでも確かに聞こえた。


「えっ……」


 空気が抜けたような声が出た。シホはリディアの姿をしっかり見ようと、涙を拭った。


「感謝をしている。お前にも、クラウスたちにも。それでも、おれは、お前には戦って欲しくない。もう、守れないのは、嫌なんだ。」


 シホの頭上から、背骨にかけて、電撃のような衝撃が走った。


「おれには自信がない。またシスターの時のように、大切な誰かを守れないのではないかと、ずっと考えている。怯えている。だから、お前には戦って欲しくないんだ。」


 シホは初めて、自分の行いがリディアを追い込んでいたことを理解した。そして如何に自分が、自分の想いだけで突き進んでいたかを理解した。自分のことを大切だ、とリディアが言ってくれたことよりも、リディアがそう思うことで、苦悩してきた時間を理解した。


「それに、百魔剣を握る、ということは……先にも話した通りだ。おれは、お前を斬らなければならなくなる。守りたい。そう思っているのに。」

「わたし……わたしは……」


 シホは何かを言葉にしようと思う。しかし、その何かは言葉にならない。何を言えばいいのか。何と言えばいいのか。自分の感情にも、リディアに応対するにも、言葉が足りない。


「お前が手を汚さなければならないのなら、代わりにおれが汚す。おれは、お前のように上手く言葉で伝えられない。だが、この剣なら、お前の力になれる。お前が自分で戦う必要がなくなるように、守ることができる。だから……」


 拭った涙が、また溢れる。ふわり、と肩から背中を包み込んだリディアの両腕の感触と温もりに、シホは再び涙を流した。


「守らせてくれ。おれに。お前を。お前たちを。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る