第8話 シホ・リリシアの計画

「ここは、ぼくたちシホさまの密偵が隠れ家に使っている建物なので、しばらくはしのげると思います。」

「助かるよ、イオ。他に思い付かなかったんだ。」


 軽装の鎧に身を包んだ少年は、マイカがオードの金属人形きんぞくにんぎょうに襲撃された際、ラインハルトを守り、『聖女』と合流させた若い騎士だった。浅緑あさみどりの髪に目尻の下がった優しい印象を、ラインハルトはよく覚えていた。だが、いま、浅黒い肌の神殿騎士と話す彼の顔は厳しいもので、少年の年齢相応に無邪気な印象や、優しい印象を妨げていた。


「おれたちは目立つからねえ、このオードでは。それに……」


 少年騎士と話す優男にも、ラインハルトは見覚えがあった。シホの騎士団である『聖女近衛騎士隊エアフォース』を取り仕切る地位にある切れ者、ルディ・ハヴィオである。


「騎士長は余計に目立つ。」


 そのルディは、いつもながらの、彼自身の印象として、いい加減な人間であるかのような調子を助長する、斜に構えたような話し方で、薄暗い部屋の隅に立つ男を見て言った。


「……時間がそうあるわけではない。」


 赤いレンガで作られた窓のない部屋の片隅で、ルディの言葉をさらりと流した男は、あの異国の衣服に身を包んだ僧兵だった。


「騎士長……ということは、あなたは、やはり……」

「……わたしは何者でもありません、ラインハルト殿。シホ様の刃。それだけがわたしの存在に当たるものです。」


 クラウス・タジティ元神殿騎士長。まだ『聖女近衛騎士隊』ができる前、天空神教会勢力の騎士団の全ての長を務めたのが、彼だ。元々、殆んどの任務を聖女シホと共にすることから、『聖女の騎士』とも揶揄やゆされていたが、二年前、不慮の事故により視力を失い、騎士長の地位を退き、騎士も辞した、と聞いていた。まさか本当に『聖女の騎士』になっていたとは。部屋の隅の闇の中で、鼻より上の半顔を覆う真っ白な仮面に手を添えたクラウスは、一歩、部屋の中心に歩み出た。


「ルディ、手配は。」

「抜かりはありませんよ。もうそろそろ、使いが来るはずです。」


 ルディが両手を上に向けて肩を竦める。確かに、彼のここまでの手際には、抜かりはなかった。

 炎の怪物と化したウファから逃れ、神聖騎士団の本拠地内を走るうちに、今度は神聖騎士団に追われ、さらに逃れるうちに、ラインハルトはに呑まれた。比喩ひゆではなく、文字通りの闇に、全身を余すところなく包み込まれたのだ。それがルディの使う魔剣ソンブルの力『宵闇のように暗い霧を生み出す能力』であることは、後から聞かされた。とにかく、その闇の霧の中で窓を破って脱出するように誘導されたラインハルトは、その先で待っていたルディが御者席に座る馬車に飛び込んだ。

 そこから、客車にいたラインハルトには、何をどうしたかは、わからない。とにかくルディは追っ手をき、この半地下のような裏寂れた倉庫にたどり着いた。たどり着いた時には、すでにイオ……イオリア・カロランとクラウスが待っていた。そして、いま、である。こうなることがいつわかったにせよ、この逃走劇が全てルディによる手配なのであれば、やはり切れ者と言わざるを得ない。


「ルディさん、姉さんは……」

「あいつは怪我が重かったから、神聖騎士団の医務室にいたんだ。いくらおれでも、さすがにそこまで手は回らなかった。」

「……そうですか……」

「心配すんな。おれが何とかする。それにシホ様がいる。」


 イオリアの弱気を、ルディは場違いに笑い飛ばすような話し方で逸したが、最後の一言が、ラインハルトの心に留まった。彼女は、『聖女』は、これほどまでに人の信頼を集める人間なのだ、と。


「ラインハルト殿。」


 部屋の中心にいるラインハルトに、クラウスはさらに歩み寄ってくる。彼が腰に下げた反りのある異国の剣が、金属の音を立てた。


「いまは、落ちられよ、というのが、シホ様のお言葉です。」

「落ちろ、と……?」


 あまりにも唐突な物言いに、ラインハルトはすぐにその意味を取れず、言葉をそのまま返してしまった。


「エルロン侯の手により、あなたにはオードとの内通の嫌疑がかけられています。先ほどの会談で、あなたを自分の側に引き込むことに失敗したので、あなたを捕らえて、魔剣プレシアンを確保しようという腹でしょう。」

「でっち上げの内通嫌疑にしても、こりゃあなかなかの内容ですよ。オードの刺客を手引きし、マイカの神聖騎士団本拠地に火を放った、結果、神聖騎士団の指揮権を持つフォア伯とエヴルー伯を殺害。」

「……いま、何と?」


 手にした紙は、おそらくエルロン侯が放ったラインハルトの手配書だろう。どこで手に入れたものか、それを大仰に掲げるようにして持ち、読み上げるルディの言葉に、ラインハルトは自分の耳を疑った。


「フォア伯とエヴルー伯を殺害したそうですよ、ラインハルト様が。火災の焼け跡から、二人の遺体が見つかり、遺体にはどちらも刺し傷があった、と。火が消えたのがついさっきなのに、よくまあこんなことがわかったものだ。」


 彼らは、残念ながら戦死されたよ。勇敢な最期であった、と聞いている。

 そう言った後、にやり、と笑ったエルロン侯の顔がラインハルトの脳裏を過った。確証はない。だが、あの表情は、全てを知っている人間の顔だったのかもしれない。つまり、エルロン侯がラインハルトと会う直前に二人を殺し、あの部屋のどこかに転がしておいた。そこをウファに焼かせた。全ては、ラインハルトに罪を着させ、魔剣を回収するために。もし、ラインハルトとの話がまとまり、エルロン侯の思惑通りに魔剣とラインハルトの身柄を自分たちの勢力下に引き入れることができれば、フォア伯とエヴルー伯の情報はそのまま、本当に戦場のどさくさで戦死したことにして処理するつもりだったのだろう。


「ラインハルト様は、開戦当初より、関所砦に内側から火を放つよう手引きした、とも書いてありますよ。こりゃあ、なかなかな罪人ですな、ラインハルト様。動機が一切書かれていないのが、わたしとしてはお粗末な気がしますが、上が言うことに自ら考えることなく頷く、そういう世の中の殆んどの人間には、まあ、この程度の文章で十分でしょう。」

「ここより船で東、大国ファラの南に位置するブラムセル王国は、カレリアと同じく天空神教を国教とする国。カレリアとファラの戦争にも中立を貫いている国です。その上、ブラムセル大聖堂を受け持つ高司祭殿はリリシア派であられる。シホ様の書簡と共に行けば、ラインハルト殿ひとりの身の安全は、当面確保してくれるだろう、とシホ様はお考えです。」


 世界最大の信徒を持つ天空神教会。その意思決定を担う8人の最高司祭のひとりであることを考えれば、シホ・リリシアが様々な派閥を持つことは当然と思えたが、ラインハルトの知るシホの印象からは、リリシア派という言葉だけが、妙に浮き立って感じた。自分の身の話をされているのに、自分のこととは思えず、ただ、シホ・リリシアという聖女の、あの笑顔の裏にある努力と、その結果として得た権力を含めた『力』の姿を、ラインハルトはぼんやりと考えた。


「ブラムセルにいてくだされば、シホ様もラインハルト殿と連絡が取りやすい。最終的には、そこまでお考えだろうと思います。」

「そこまで、とは……?」


 クラウスの語るシホの計画は、あまりにも壮大であり、レネクルスという、父の領地の中で、自分の正義の姿だけを追いかけてきたラインハルトには、すぐには追い付けそうにもなかった。シホは、最終的にどうするつもりでいるのか。


「魔剣プレシアンを持つあなたにも、我々『聖女近衛騎士隊』に参加していただきたい。おそらくそう考えていらっしゃるはずです。我々が合い対さなければならない、魔剣を収集する勢力との戦いのために。」

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