第7話 受けて、返す剣

 炎の全てを押し返したシホは、魔剣ルミエルを払って魔法の障壁を解いた。その瞬間、炎と共に押し止めていた熱気だけが、一気にシホの身体にまとわりついた。身を焼く炎そのものがなくとも、皮膚が焦げ、髪が燃え出すのではないかと想像してしまうほどの熱量に、シホは胸のうちでは相反してゾッとするものを感じた。この熱量は、魔剣が産み出しているものだ。魔剣フランベルジュ。手にしたものの怨讐を糧にしてその力を伸ばし続ける、位階『騎士』の魔剣。


「……これほどラインハルト様を……貴族を、怨んでいる、ということですか。」


 シホは波のように引いていく炎の只中に立つ、人形ひとがたの炎に言葉を向ける。炎は何も言わなかった。ただ、僅かに片足を引くと、地を蹴った。


「ラインハルトぉぉぉ!!」


 やはり、という理解が、改めてシホの中に広がる。人の形をした炎の声は、魔剣フランベルジュの導き手であった、あの剣士と同じものだった。


「……貴方を、封じます。魔剣フランベルジュ。」


 シホは手にした魔剣ルミエルの刃を立てると、先ほど障壁を生み出した魔力と同じ種類の力を刃に宿し、一歩前に踏み出した。そこに、人形の炎が迫る。元々は剣士であり、魔剣を握っていたはずだが、その手に刃の姿はなかった。ただ、拳を振り上げた炎は、それに突進の勢いを乗せて、シホの向かって突き出した。

 対してシホは、この拳を真っ向から受け止めた。障壁と同じ魔力が宿ったルミエルの刃で炎の拳を受けると、なぜか剣と剣を合わせた時と同じ感触と、乾いた金属音がした。

 炎は自身の拳を受け止められたと悟るや否や、逆の拳を突き出してくる。シホは一撃目の炎の右拳を払うと、すぐさま左拳を受け止め、払った。

 そこからは、受け止め、払うの繰り返しだった。但し、その速度は常人の視力で捉えられるかどうか、疑わしいほどのものだった。シホも受け止め、払いながら、一刹那でも挙動を誤れば、死ぬかもしれない、という緊張を感じた。

 だが、それでもシホは引かなかった。無茶かもしれなかったが、決して無謀でも無策でもなかった。シホは炎の拳を数度払った時、この場での戦いを、自身が優位に進められる確信を得ていた。

 この二年でシホが身につけた剣は、受ける剣だった。受けて、返す剣。人形の炎が繰り出す攻撃は、速いがわかりやすく、直線的だった。これなら……

 何度目かの交錯を、シホは炎の拳を打ち上げるように払った。そして、音速に迫る速さで次の拳が飛来する前に、シホは払った腕を掻い潜り、自身より大きな相手に突き上げるように肩で当て身を入れる。無論、炎の人形と触れ合う直前には、魔剣ルミエルに纏わせた障壁と同じ力を、全身を包むように纏っている。硬く、強い障壁は、シホの体術によって守る貭から攻める武器として、炎に叩き付けられる。

 人間で言えば臍の辺り、骨のない柔らかな部位に見舞った衝撃は、異形の炎にも同様に大きな効果を示したようで、受けた炎の人形が後ろに数歩退いた。


「……ら……いん……ハルトぉぉぉ!」


 前傾姿勢になり、踞るかに見えた炎が、再び猛る。その声はもう、ラインハルトの名前を呼ぶことしかしなかった。呟くような小さな声で、彼の名を繰り返した。


「……貴方に、譲れぬものがあったことは、察します。大切なものがあり、大切な場所があり、大切な人がいたことも、察します。しかし、復讐のために百魔剣を握るという、この方法だけは、手にしてはいけなかった。」


 諭すように言ったシホの言葉を殴り散らすように、炎の人形が再び突進して来る。拳は更に速度を増し、猛る炎は人形の体躯を大きくしたようであったが、シホは冷静だった。冷静にそれら一度目の交錯との違いを見分け、判断し、ルミエルを立てて拳を払った。三度払い、その場で半身を翻したシホは、身体の動きと共に舞い上がった法衣の裾が落ちきる前に、魔剣ルミエルから魔力を引き出した。


光の槍ロンス・ドゥ・ルミエル


 力ある言葉が紡がれ、炎の人形に向けられたルミエルの切っ先から、ルミエルの倍以上の太さの光が伸びる。光は、槍のような刃と、複雑な紋様が刻まれた柄を形作り、まるで投擲槍のように炎の人形に向かって飛んだ。

 炎の人形の胸に直撃するかに見えた光の槍の切っ先は、寸前で防御に回った炎の腕が、甲を見せて受け止めた。だが、それで弾き飛ばせるわけではなかった。炎の人形は、シホの生み出した槍に押される形で、石造りの床に足を引き摺りながら、大きく下がった。


「許してください、とは言いません。ただ、許されて欲しいと願います。……貴方を、封じます。」


 シホは丈の長い法衣の裾を引き上げるように足を踏み出すと、再びルミエルに魔力を込めた。




「シホ様だ。あのような戦い方……」

「……時間がない。出口はまだか!」


『僧兵』と『死神』には、何かが見えているようだった。恐らくは自分たちを脱出させるためにその場に残ったシホのことだとはわかったが、二人が何を感じて言葉のやり取りをしているのかまでは、ラインハルトにはわからなかった。

 いや、ラインハルトにも、何か大きな力が二つ、ぶつかり合っていることはわかった。だが、そこまでだった。どちらがシホのものかはわからなかったし、ましてどんな戦い方をしているのかなど、わかりようもなかった。


「いたぞ、ラインハルトだ!」

「捕らえろ!」


 石造りの廊下をひた走る三人の横合いから、男たちの声と、鎧の金具が鳴る音が近づいてくる。もう三度目だった。廊下の交わるところに差し掛かる度に、横合いから兵士が飛び出してくる。エルロン侯がどんな指示を出したのかはわからないが、彼ら神聖騎士団の兵士たちが、生死を問わずラインハルトの身柄を抑えようとしていることは、彼らの様子からわかった。


「……クラウス、この先は、お前に任せて構わないか。」

「……任された。行け。シホ様を助けろ。」


 十字に交差した廊下の左右から、兵士たちが飛び出してくる。右を『死神』が、左を『僧兵』が、各々手にした得物で応戦する。応戦する、といっても、二人の力は圧倒的で、血のように紅い剣を握る『死神』のひと振りで右手の三人は壁まで飛ばされて意識を失ったし、青白く帯電する東方の武器を手にした『僧兵』のひと振りも、同じく左手の兵士三人の意識を奪った。それが魔法の力なのか、二人とも命までは奪っていない様子だった。

 その交差点でのやり取りを最後に、『死神』がラインハルトのそばを離れた。速く、強い、黒と紅の軌跡を残して、気配は元来た道を引き返していった。


「間も無くです、ラインハルト殿。」


『僧兵』が気を抜くな、と言っているのがわかった。ラインハルトは正面に意識を集中し、走り続けることに専念した。

 と、その時、ラインハルトは自分の視界が暗くなっていることに気づいた。気のせいではない。明らかに、一歩足を進めるごとに、廊下の床は暗く沈み、壁や天井は黒く塗り潰されて行った。


「足を止められるな、ラインハルト殿。」


 先を走る『僧兵』は、まるで走る速度を落とさない。その背中も闇に染まっていく。一体これは……


「なっ、なんだこれは!?」

「煙か!? 火災か!?」

「いや、これは黒い……」


 いよいよ視界がなくなったラインハルトの耳に、周囲で声を上げる男たちの声が聞こえた。黒い靄のようなものは、ラインハルトにだけ見えているわけでも、ラインハルト自身が意識を失おうとしているわけではなかった。しかし、ならばこれは何なのか。兵士たちの言う通り、火災による黒煙であれば、もっと息苦しいはずだが……


「……男を出迎える、てぇのは、あまりしょうに合わないんですがねえ。」 


 落ちついた、男の声がした。聞き覚えのある声だ。


「そのまま走ってください。あと十歩。そしたら跳躍。お願いしますよ。」


 理解よりも、いまは行動が必要だった。ラインハルトは言われた通り、走っているのかもわからない闇の中で、自分の足が十歩進むのを数えた。そして、次の一歩で跳躍した。

 足元で、硝子ガラスが割れる音がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る