第2話 いずれ決着を
マイカ防衛戦から既に三日が経過していたが、
「無茶をしたな。」
紅い剣を握るリディアの背に、その言葉は突然かけられた。いや、それだけ疲弊しているということだろう。声をかけられるまで、誰かが近づいていることに全く気がつかなかった。よく知った男の声で、確かにこの男がその気になれば、気配を殺して近づいて来ることもできただろうが、どうやら原因は自分にありそうだった。
「『統制者』を暴走させなかったことから考えれば、無策でも無謀ではないのだろう。だが、あれは無茶だ。お前の身体がそう言っている。」
とにかく、身体を動かすことで、不調の本質が見える。リディアはこれまでもそうしてきた。本質が見えれば、それに応じた
「……それはお互い様だろう、クラウス。」
リディアは紅い剣を下ろしながら振り返った。
神聖王国カレリアの文化とは明らかに異なる、東方諸島郡の濃紺の民族衣装。その上に、天空神教の僧衣を羽織るといういで立ちの長身の男は、瞼の閉ざされたままの顔をこちらに向けている。
「お互い様……?」
「フィッフスがお前に渡した飾り石の力は、爆発的に魔剣へと流れ込む魔力を高める。あるとないとでは身体への負担が大違いのはずだ。」
クラウスが息を吐くように笑った。
「同じ魔剣を持つもの、か。」
「お前こそ無茶だ。あんなものを実戦でいきなり使いこなせるのは……」
お前だけだ、と言いかけたが、リディアは言葉にするのを止めた。正当な評価だが、褒められる評価ではない。まして魔剣を握る、魔剣の力で強くなる、ということは、リディアにとってはいずれ倒さなければならない敵が増える、ということだ。『統制者』を握ることで背負った運命。全ての百魔剣を制し、破壊する。その達成のためには、あまり調子づいて強くなられるのは得策ではない。
「……なんの用だ。フィッフスなら部屋にいるはずだ。」
続く別の言葉を探したが、クラウスが魔剣を握る理由、強くなろうとする理由を知っているリディアには、いい言葉が浮かばなかった。結局出てきたのはぶっきらぼうな言葉だけだった。リディアは紅い剣を一振りして、鞘に納める。
「お前に会いに来た。礼を言いに。」
「礼?」
リディアは一度紅い剣に落とした視線をクラウスに向ける。クラウスの表情は動くことなく、とても礼を言いに来たようには見えない。そもそも、礼とは何なのか。リディアは考えてみたが、思い付かなかった。
「エオリアが目を覚ました。重傷なことに変わりはないが、一命は取り留めたそうだ。感謝する。」
なるほど、あの時の、シホの部下の女騎士か。近衛騎士隊のひとりで、魔剣使いなはすだ。確かに、リディアは失血し過ぎた彼女を救うため、『統制者』の血を分けた。『統制者』から流れ出る血を、自在に操り、他人に分け与え、肉体の回復に使う方法は、この二年の間に学んだ『統制者』の力の一端だ。なぜ『統制者』が血を流すのか、なぜ無尽蔵に血を出すことができるのか、その原理はわからなかった。それはこの刃が紅いことと、何か関わりがあるのかもしれない、と想像する程度のことで、使いこなしながらもリディアには力の源がどういった魔法によるものなのか、わからなかった。
「……助けたのはシホだ。おれではない。」
「それでも、礼を言う。おれは彼女を守れなかった。」
クラウスの言葉は淡々としていたが、明らかな怒気を根底に潜めていた。その怒りの矛先は、彼自身だ。
「……そう思うなら、今度は守ってやれ。二度はないぞ。」
他の誰でもない、敵ですらない、守れなかった自分を憎み、怒る。いかにもクラウスらしい感情だった。リディアはわざと冷たく言い放つ。この男に慰めの言葉は逆効果だ。全く、厄介な男だ。
「……お前まで、こちらに来ることはない、とは、もう言わんのだな。」
小さな笑みを浮かべながら下を向いたクラウスが言ったのは、意外な一言だった。それは二年前、リディアがクラウスに向けた言葉だった。あの時、クラウスは百魔剣の魔力に呑み込まれ、自我を失いかけていた。まさか覚えているとは思わなかった。咄嗟に応じる言葉がない。間を埋めるように、リディアはクラウスから視線を外すと、横を向いて数歩歩いた。中庭の隅に掛けた黒い外套を手にする。
「もうこちら側にいる阿呆には、つける薬も掛ける言葉もない。いずれ、お前と
それだけだ、と言いおいて、黒い外套を羽織ったリディアの耳に、やってみろ、やれるならな、とクラウスの言葉が聞こえた。
「お前がシホ様の敵になるなら、おれもお前だろうが、『統制者』だろうが、斬るだけだ。」
ぴり、っと頬に痛みを感じたのは、クラウスから発せられた雷の魔力のせいだろう。つまり、彼の言葉はそれだけ本気だ、ということだ。まったく、厄介な男だ。礼を言いに来た、というには、まるでそぐわない。リディアはため息を吐きながら俯く。その頬が、無意識に上がりそうになる。
「なら、いずれ決着をつけねばな。」
そう言いおいて、リディアはその場を離れる一歩を踏み出した。その時だった。リディアは全身が粟立つような不快な気配を感じ、顔を上げた。
辺りを見回したが、中庭には自分とクラウス以外の人間はいない。だが、クラウスではない、生理が拒絶するほど気持ち悪い気配は、明らかにこの中庭の中にいた。そして、いまは消えている。ほんの一瞬の出来事だった。疲弊が生んだ錯覚か、とも思ったが、クラウスが自分と同じ様に眉間に皺を寄せ、周囲を油断なく警戒している様を見て、リディアは確信した。あの気配は、間違いなく、この庭にいた。
「……知っている気配、だったな。」
「……ああ。」
クラウスも、リディアと同じ答えに至っていた。そう。あの不快感は知っている。知っているものの気配だった。だが……
「あいつが、ここに現れた、と?」
それは不可能なはずだった。仮にもここは、気配の主にとっては敵国の中だ。
「やけにこれ見よがしな気配の放ち方だった。挑戦的、と言うべきか。」
クラウスが顎に手を当てて言う。考え込んでいるように見え、リディアはクラウスがいまの気配について、何かの糸口を握っていることにすぐ気づいた。
「……何かあるのか。」
「確信はない。だが、気になることがあってな。確かめるか?」
クラウスがリディアに背を向けた。付いて来るか、とも、付いて来い、とも言わない男の背中は、こちらが付いて来ることを知っている背中だった。
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