第四章 聖女と英雄
第1話 戦いの裏にあるもの
「よう、『若獅子』遅かったじゃねえか」
ラインハルトが目を覚ましたのは、マイカ防衛戦終結から、三日後の朝だった。いまは三日目の昼で、目の前の髭面の男がいうとおり、確かに時間はかかっていた。
魔剣プレシアンを振るい、その魔力を操ることで疲弊した身体は、回復を必要とした。目覚めることなく眠り続けた二日の間に、カレリア、オード間の紛争は最終段階まで進んでいた。即ち、オード王都の攻略である。
オードの侵攻に対する神聖王国カレリアの防衛戦であったはずの戦いが、本国騎士団の介入により事態を変えた。走り始めた本国の思惑と闘争は止まることなく、ラインハルトにも、他の誰にも止めることはできず、ついに引き返せない場所まで来てしまっていた。
既に先発のカレリア神聖騎士団がマイカを発っており、本隊も明日には出立が決まっている、と聞かされた。自身では騎士団を持たず、『聖女』シホ・リリシアを長とする
自分の手の内にあったはずのことが、歪められて肥大化していく。そのために多くの血が流れる。ラインハルトはいかんともしがたい胸のうちを抱えたまま、男と向き合っていた。
自傷防止のため、腕を袋状の布に包んで固定された姿で椅子に座らされた髭面の男は、今日にも捕虜として本国へ送られる、と聞いた。この男がオードの一部族の長である以上、正当な裁判の後に処罰を下すのが法治国家である神聖王国カレリアの教義である。しかし、本当にそんな裁判を受けることはできるのか。ラインハルトは男の様子を見て、初めて自分の国に対して疑念を抱いた。
男の顔には、無数の痣が見えた。腫れ上がり、流血も見られる。ラインハルトと斬り結んだ時に、こんな傷はなかったはずで、彼の殴打痕は明らかに、この部屋に囚われてから受けた暴力によるものだとわかった。
「てめえが来る前に、死んじまうかと思ったぜ。」
「ラングル……」
オードの戦士、ガード・ラングルは、にやり、と笑みを作ったが、その笑みは弱々しいものに見えた。
「そんな顔するな。同情なんぞ、求めちゃいねえんだよ。これが負けたやつのあるべき姿。そうだろう?」
ラインハルトは言葉を継ぐことができなかった。ぷっ、とラングルが床に唾を吐く。何か固いものが弾む音がして、ラインハルトがそこを見ると、ラングルの歯と血液が一緒に転がっていた。
捕虜に対する拷問や暴力行為は、固く禁じられている。そのはずだが、実際にはこうして行われている。ラインハルトの所領、レネクルスを手薄とし、オードを誘き寄せるように仕向けたとも取れる本国介入の手際。国境を取り戻しただけでは終わらず、さらに攻め進んだ本国の意思。それらがラングル相手に行われた無法と相まって、ラインハルトの疑念はさらに深まる。
「……わたしを呼んでいると聞いた。」
ラインハルトはラングルに問い掛けた。目覚めて間もないラインハルトのもとに知らされたのは、現在の戦況と、ガード・ラングルが呼んでいる、というふたつだった。ラングルはラインハルトにだけ話す、と用件は語らず、とにかくラインハルトを呼べとだけ訴え続けていたという。おそらく、それを良しとしない兵士たちに殴られ蹴られした結果も、幾らか彼の痣として残っているのだろう。そうまでして自分を呼び出して話すこととは何なのか。ラインハルトも移送されてしまう前に是非会っておきたい、と神聖騎士団がマイカに設けたこの捕虜収監区画を訪れた。
ラングルは小さく、息を吐くような笑みを作った。
「いやな、てめえも一発、殴りたいだろう、と思ってな。」
「……何?」
「おれのことをさ。どうだ、一発、殴っておいた方が気分が晴れるんじゃあないか?」
あまりに唐突な申し出に、眩暈に似た感覚がラインハルトを包んだ。この男は何を言っているのか。本心を探る目を向けたが、ラングルは弱々しい笑みをその顔に刻むだけだった。
「ほら、どうしたよ、殴れよ。まさか、できねえってんじゃねえだろうな、公子さまよ、これだからお育ちのいい貴族は嫌いなんだ。偽善の皮ぁ被りやがって。」
早口に捲し立てるラングルの様子に違和感があった。いったい、何を狙っているのか。
「口を慎め、この蛮人があ!」
声はラインハルトの背後から迫った。身の丈と同じ長さの棒を振り上げた兵士が二人、ラインハルトの両脇を通り抜ける。この部屋の警備についている神聖騎士団の兵士だ。彼らは迷うことなく、手にした棒をラングル目掛けて振り下ろす。肉を打つ鈍い音がして、ラングルが椅子ごと床に倒れた。
「貴様のような下賎が口をきける相手だと思っているのか!!」
「……てめえに話ちゃいねえ、ってんだよ、雑魚が。すっこんでろ。」
床に倒れたまま、挑発とも取れる言葉を吐き続けるラングルに、当然のように兵士は躍起になる。再び棒を振り上げ、打ち下ろそうとしたところを、ラインハルトはその棒を横合いから素手で握り締めて止めた。
「……このものはわたしに話があると言っている。悪いが外してもらえるか。」
「しかし、レネクルス公子さまを……」
ラインハルトは握り締めた手に力を込めた。ぎりぎりと木製の長棒が軋む音がして、兵士が言葉に詰まる。
「外して、もらえるか。」
静かな口調だが、いまの鬱屈した感情全てを込めた言葉をラインハルトは吐き出した。兵士二人はその場で敬礼をすると、部屋を出ていった。
「へへ、そんな顔もできるんじゃあねえか。おっかねえ。」
「……いったい、わたしに何をさせようと考えていたんだ、ラングル。」
ラインハルトは膝をついてラングルを起こした。床にそのまま胡座で座る形になったラングルは、ラインハルトを見上げてまた笑った。
「お前に教えておかなけりゃならないことがあってな。おれにはもう、どうしようもないことだ。虫のいい話だが、お前しか思い付かなかった。」
「……話せ。」
ラインハルトは聞く用意があることを示した。ラングルは目で頷くと話し始める。
「この戦いの裏には、何かある。ただおれらがてめえんところの土地に攻め込んだ、それだけのはずだった。おれはそう思っていたし、お前らもそれだけだったはずだ。だが、おれは王都で、お前の国の鎧を身に付けたやつを見た。レネクルスの、『沈黙を告げる
ラインハルトはラングルの顔を見る。嘘を言っているようには見えない、真剣な光が、瞳に宿っていた。それに、この場で彼が嘘を語ったとしても、何の特もない。自身の終末を思って、ラインハルトを道連れにしようとしている可能性はあったが、それにしては瞳の光は真摯であった。
「あいつが何ものなのかわからねえし、確認のしようもねえ。ただ、この戦いはもう、オードが潰されるところまで行くだろうことは、おれにもわかる。もし、本当にオードとカレリアの一部が繋がっていて、何のためかわからねえが、わざわざ戦争をしてまでオードを潰すことを望んだ連中の思惑があるとしたら、とてもじゃねえが納得はできねえ。おれにはおれの部族がいる。家族がある。あいつらを食わせなけりゃあならねえ。守らなけりゃあならねえ。だからてめえんところの土地に攻め込んだ。それを許せとは言わねえ。ただ、それでもよ、それでも若獅子よ、てめえに頼みてえ。」
ラングルが頭を下げる。両腕を拘束されたまま、深々と下げられた額は床に打ち付けられ、そのままの姿勢で止まった。
「おれの部族を、守ってやってくれねえか。てめえのできる範囲で構わねえ。一人でも二人でも構わねえ。頼まれてくれねえか。」
「……お前の部族に、レネクルスの領民は脅かされた。多くを奪われた人もいる。それを承知で、わたしに頼んでいるのか?」
「言ってるだろう。許せとは言わねえ。ただ、恨むなら、おれを恨め。おれはこのあと、カレリアに送られて、処刑されるだろう。それで終いだ。終いにしちゃあくれねえか、若獅子。この戦いが誰かに仕組まれて拡大したなら、なおさらだ。あいつらに、無駄に命を散らせたくはねえんだ。」
ラインハルトは無言のまま、立ち上がった。額をついたままのラングルは、顔を上げることはなかった。その肩が震えて見えたのは、ラインハルトの見間違えではなかった。
無言のまま、ラインハルトはラングルに背を向けた。部屋を辞すまで、ラングルが顔を上げることはなかった。
ラインハルトは考えていた。ラングルの部族のこともだが、ラングルが言った人物のことだ。神聖騎士団の銀鎧を身に付けた人物。オードの王と謁見でき、軍司に部下を貸し与えもした人物。そんな人物に思い当たるところはなかったが、ラングルの言うように、オードとカレリアの一部が繋がっているのだとすれば、この戦いの始めからあった、仕組まれていたかのような違和感に説明が付く。本国の早すぎる到着。国境を取り戻しても止まらない戦線。説明は、付く。
「ラインハルト様。」
後ろ手でラングルの部屋の扉を閉めた時、声はかけられた。ラインハルトが顔を上げると、先ほど部屋から追い出した兵士の一人だった。
「神聖騎士団の首脳陣がお呼びです。今後の行軍について、お話したいと。」
ラインハルトの喉が、無意識に音を立てた。
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