第21話 復讐という感情

 屋根の上を走りながら、リディアは二年前を思い出していた。降りしきる雨。対峙した強大な力。『欲望』という、人間の中でも特に厄介な感情を増幅させ、魔力へと変換する百魔剣。その力に見いられた男とも、このようにして無人の街中を、地上だけではなく、三次元的に飛び回りながら剣を合わせた。

 いま、敵対している男は、その男とは異なる。似ても似つかない人間だ。容姿だけではなく、その内面も、二年前に対峙した男とは、大きく異なる。あの男は、一度は魔剣に呑まれはしたが、最終的に力の誘惑に負けることはなかった。


「行くぞ、死神ぃ!」


 道を挟んで向かい側の建物から、ウファが飛び移って来る。頭上から振り下ろされるウファの一刀を、リディアは敢えて止まって受けた。剣を倒し、紅い剣の腹にウファの剣が触れた瞬間に、斬撃の力を横へと受け流す。刃の行く先に連れて、ウファの身体が一瞬安定性を失う。リディアはそこへ透かさず蹴りを見舞う。右足を軸にして回転した遠心力をたっぷりと乗せた左脚の回し蹴りは、ウファの右脇腹を撃ち抜いた。リディアの履いた分厚い黒革の長靴ちょうか越しにも、ウファの骨が砕ける感触が伝わる。

 渾身の一撃は、ウファの身体を弾き飛ばし、ウファは家屋と家屋の間を落下していく。途中、向かい側の建物の壁に叩き付けられ、壁に沿うように真っ直ぐに落ちたウファを追って、リディアは宙を舞った。

 慣れないことをした、と考えた。『統制者』の力を使ったことではない。それも確かに慣れないことではあったが、リディアは意図的に、ウファとの一騎打ちを引き受けるような自身の言動を思っていた。あの場にシホがいなければ、あのような言動を取らず、もっと攻撃的な『統制者』の力の使い方もあった。

 この二年は、リディアにとって『統制者』とより深く向き合う為の時間だった。二年前に得た、ある確信。クラウスが、そしてシホが、共にあることで学ぶことができた、ある確信。その確信に従って、リディアは『統制者』という災厄と向き合ってきた。

 確信。それは即ち、『人の意志は、『統制者』に、百魔剣に打ち勝つことができる』という事だ。支配されるだけではなく、力を押し込め、制御し、必要があれば抑え込むこともできる。それを、リディアは二年前、クラウス、そしてシホから教わった。考えさせられたのだ。硬質に、ただ人を遠ざけ、誰も傷つけまいとしていたかつての自分は、あの二人と接し、行動を共にし、言葉を重ねることで、『人の意志の力』を信じられるようになった。いや、信じられるようになったのではない。元々信じていたのだ。そういう感情を信じられる自分に戻ったのだ。自分は、強くなったのではない。飾りのない、そのままの姿であれば、強くもなれるものなのかもしれない、という確信を得た。それが二年前の出来事だった。

 クラウスに、そしてシホに、教わった力だ。二人がいるなら、貸してやる。単純にそう思った。それが、『統制者』の力の行使と、慣れない挑発をしてまで、敵を引き受けることにした理由だ。

 それに百魔剣を全て破壊するには変わらんしな。空中でリディアが自らの宿命を頭の中に描いた次の瞬間だった。リディアの足首を、誰かの手が掴んだ。その事に反応する間も無く、地面に向けて引っ張られたリディアは、そのままマイカの石畳の上に、背中から叩き付けられた。


「獲った!」


 苦痛に閉じた瞼を薄く開くと、そこにはウファがフランベルジュを突き出そうとする姿があった。リディアは地に着いた背中を支えに、両脚を振り上げ一回転する。両の脚が鋭い唸りを上げて旋回し、右の足先がフランベルジュの切っ先を弾き、左の足先がウファの右肩を打った。

 脚を回した勢いを殺さず、むしろ利用する形で起き上がると、間髪を入れず、リディアは『統制者』を上段に振り上げ、斬りかかった。肩を強かに打ったウファも、痛みに身を引くことなく、リディアの剣に合わせて下段からフランベルジュを振り上げてくる。鋼と鋼が鈍い音を響かせてぶつかると、リディアとウファはほぼ同時に後方へ飛び退すさった。


「強えぇな、あんた。」


 心底楽しい、というように、ウファが笑った。目的も手段も忘れ、ただ目の前にある戦闘を楽しんでいる、楽しむことができる。そう育ってきた、そういう類いの人間だ、とリディアは感想を新たにする。


「おれは、子どもの頃から、毎日毎日、戦ってきた。奴隷闘技場で相手にした強者でも、あんたほどの剣士はそういない。」


 ウファの胸の一番下側、腹部に近い骨は、先ほどの蹴撃を受けて折れ、砕けているはずだが、そんな様子は微塵も見せなかった。


「あんたも相当戦ってきたんだろう? もっといろいろ見せてくれよ。あんたの技を!」

「……戦ってはきた。だが、おれは好んではいない。」


 リディアは『統制者』を下段に構え直す。ウファはリディアの言葉に疑問を抱いたのか、いぶかる目を向け、首を傾げた。


「お前と違って、好んではいない。だが、そうだな……」


 リディアはこれまでの自分を思ってみる。戦いは、強いられたものだ。『統制者』によって、或いは傭兵という立場によって。それでも確かに、リディアは戦ってきた。生きるために。全ての百魔剣を破壊するために。そうしてその先にある、自らの死を得るために。

『統制者』という最強の魔剣の使い手に選ばれた時点で、目的を達成するまで死ねない身体となったリディアが目指したのは、自らの死。『統制者』を手にしたとき、決して償えない罪を背負った自分への復讐と、生き続けることからの解放を求めた。だが、それはやはり、二年前までのことだ。あの日からリディアは、自らが生きる意味を幾つか付け加えた。


「おれも、戦ってきた。だから、分かる。お前の剣は強い。だが、狭い。」

「……狭い?」


 ウファがわからない、という顔をする。リディア自身も、どう言葉にすればいいか迷うような、感覚的なものだったが、リディアは確かに、ウファという男をそのように規定していた。強い、だが、狭い。まるでかつての自分のようだ、と。


「奴隷闘技というものが、どんなものかは、おれにはわからない。同じ様に、お前にも、おれが生きてきた傭兵の生き死にはわからないだろう。……つまり、そういうことだ。お前は、お前の周りの狭い世界からものを見続けている。」


 だから、復讐という生き方に囚われる。復讐は、体のいい感情だ。復讐に身を委ねていれば、新しい世界を生きる意味、その可能性、そしてそれに伴う苦痛、苦労から目を瞑っていられる。訪れる可能性を否定し、誰かを、もしくは自分自身を憎み、恨み続けるだけで、その場に立ち止まって目を閉じたまま、動くことはない。


「お前の剣は狭い。だから……」

「おれが囲われた闘技場の生まれだから、てめえの方が強えぇってのか!?」


 リディアが皆まで話しきる前に、ウファが動いた。素早い踏み込みから、橫薙ぎの一刀が伸びてくる。リディアは紅い刃を立てて受け止めたが、ウファの剣は速い。触れ合った瞬間に旋回し、今度は上段から落ちてくる。リディアはこれを体捌きだけで避けるが、避けられるや否や、さらに返した振り上げる一刀は、紅い刃で受けた。


「ふざけるな、おれがどれだけの血を浴びて生きてきたと思ってる! どれだけの血嘔吐を吐いて生きてきたと思ってる!」


 リディアの剣に押さえ付けられたフランベルジュを、ウファは引いた。突きが来る、とリディアは読んだが、意外にも飛んできたのはウファの蹴りだった。リディアは咄嗟に左腕で防御したが、ウファの蹴りは重かった。ぐらり、と一、二歩よろめくと、そこにウファのフランベルジュが突き出された。

 ふと、リディアが顔を上げると、ウファの背後、石畳と家屋に囲まれた通りの向こうに、誰かの姿が見えた。陽光を模した輝きに包まれた鎧に身を包んだ小柄な人影。先ほどのまで身に付けていた、顔の上半分を覆う兜はなく、いまは彼女の陽光色の、緩く波打つ髪が露になっていた。急いで駆けてきた様子で、息を切らし、紅潮した頬まで、リディアにはたった一瞬でも、しっかりと見えた。


 ああ、全く。お前のように上手くは話せないものだな。


 リディアは自嘲の笑みを浮かべる。しかし、それは刹那のこと。その目はウファの剣の切っ先を睨み、避けながらも、ウファとの距離を敢えて詰めた。その反応の速さに驚いた表情を作ったウファの顔を確認して、リディアは自分の頭を、ウファの顔面に叩き付けた。

 盛大な鼻血を吹きながら、ウファはリディアと距離を取る。おそらく、あの鼻も折れているだろう。リディアは額から流れるウファの血を軽く拭い、追い立てるように紅い刃を振るった。


 所詮は血塗られた道だ。おれには、お前の真似はできはしない。


 リディアは、いまもウファの背後に見えるシホの姿に再度、自嘲した。


 だが、いいだろう。この道は、おれが歩んでやる。お前の道ではない。


 一息でウファとの距離を詰めたリディアは、決意と共に『統制者』を繰り出した。

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