第19話 赤vs紅

 シホは不意に発した脇腹の激痛に顔をしかめた。熱く、冷たい、二律背反にりつはいはんするその感触を、シホは痛む場所に手を添えて確かめたが、その部分には何の変化もなかった。

 何が、と考える間もなく、激痛は霧散した。代わりに、これまでシホが感じたことのある百魔剣の力の中でも、最大級と思えるものが、突如として膨れ上がった。


「シホ、下がれ。」


 同じものに気づいたのであろうリディアが、爆発的に膨れ上がった力と、シホの間に入るように前へ踏み出した。

 シホはリディアの肩越しに、その力の正体を見極めようと目を凝らした。綺麗に整備されたマイカの街並み。所々は金属人形きんぞくにんぎょうたちによって壊れ、崩されていたが、美しく、強く、丁寧に敷き詰められた石畳は健在だった。シホ、リディア、そしてイオリアによって街を破壊した金属人形たちは打ち払われ、残骸だけが転がるその広い街道の先は、マイカの市街地へ向かっていた。金属人形たちが現れた城塞外へ続く街道と、ちょうどいま、シホたちが立つこの位置で、十字に交差している。

 力は、未だ正体をあらわにしてはいなかった。だか、その力の膨らみ方から考えて、間違いなく、迷いなく、一直線にこの場所へ向かって来ていることがわかる。心なしか、周囲の温度が上がったようにシホが感じた時、力の気配が大きく上方へ移動した。飛び上がったのだ。


「ラインハルトおおおおおおお!」


 常人を遥かに越える跳躍力で、中空から飛来したそれは、全身炎に包まれた人間だった。人の形をしていて、人の言葉を発しているから、どうにか人と判別出来るが、そうでなければ炎そこものが天から降ってきたかのようにも見えた。

 シホは炎が呼んだラインハルトを確認した。ラインハルトは金属人形を従えたオード軍の指揮官とおぼしき男性に打ち勝った、まさにその瞬間といった様子だった。既にラインハルトも飛来する炎に目を向けていて、応じる構えを取っていたが、不意打ちを受けた動揺が、その横顔に浮かんでいた。シホは素早く魔剣ルミエルに力を込めると、その切っ先から、光の魔力を飛ばそうと振り上げた。だが、その剣が振り出されることはなかった。シホよりも先に、黒い影が動いたからだ。

 黒い影は長い髪を流星の尾のように引き、紅い軌跡を残して跳躍すると、空中で飛来する人形ひとがたの炎と、ラインハルトの間に割って入った。炎と影が、激突する。甲高い金属音が弾け、双方が手にした得物通しがぶつかり合ったことを伝えた。


「何者だ、キサマ……」


 着地した赤い炎が、人の容姿を取り戻すと、心なしか驚いた様子でそう言った。灼熱の火炎そのものを編み上げたような赤い外套に、赤み掛かった金色の髪。ほうきを逆さにしたように立ち上がる髪は、いまだそこだけが炎のままであるかのようにも見える。鼻が高く、整った顔をしているが、病的に色が白い。


「ウファか……」


 ラインハルトが言ったが、その声は弱々しく、譫言うわごとのようにはっきりしない。シホはいぶかる目を向けて小首を傾げる。ラインハルトの様子は、常とは明らかに異なる。最前まで感じられていた魔剣プレシアンの強い魔力も、いまは小さくしぼんでいる。ラインハルトはプレシアンを中段に構えよう持ち上げたが叶わず、一、二歩よろめくと、ついには立っていることもままならない様子で、その場に崩れるように膝を折り、座り込んでしまった。


「……悪いが、ラインハルト殿はいま、お前の相手は出来ないようだ。」


 ちょうど足元にラインハルトが座り込んだ格好になったものの、リディアはそれを見て慌てたり、助け起こそう等とは、つゆほどもしなかった。ただ、ラインハルトの姿を見下ろし、炎の男に向き直って、自分の紅い剣を下段に構えただけだった。


「紅い剣……キサマが、『紅い死神』か?」

「……リディア、だ。」


 ラインハルトにウファと呼ばれた炎の男は、リディアの応対に、にやり、と病的な笑みを作った。ウファの名、そして炎をまとう、いや、炎そのものとなる姿から、シホは彼がラインハルトの話した、『怨讐の剣』魔剣フランベルジュの持ち主であると理解した。


「何でもいいさ。あんたが『紅い死神』で、リディア・クレイで、『統制者』様なんだろう?」


 下段に構えたリディアの紅い剣の切っ先が、僅かに揺れた。


「……シャドの入れ知恵か。」

「入れ知恵じゃあねえな。あんたも、おれとシャドの契約の中に入ってるってだけだ。」


 ウファが赤い外套の間を割って、手にした波刃の剣を無造作に構えた。彼が振るう剣術が、誰かに鍛えられた、形のある剣ではないことが、その構えからだけでもわかる。


「シホ、それからシホの部下も、手を出すなよ。」


 リディアはそれだけを言い置いた。次の瞬間、リディアの輪郭が曖昧になる。実際には、残像が残るほどの速さでウファに斬り込んだ瞬間だったのだが、シホには、そしてどうやら隣に立つイオリアにも、その動きはほとんど見えなかったようだった。

 刹那の間にリディアとウファは斬り結んだ。初めから一刀で戦闘不能を狙う死神の刃は、突き出しの一閃から繰り出された。速いリディアの動きがしっかりと見えていたのだろう、ウファはその突きにフランベルジュの波刃を合わせた。身体の芯を守るように立てた刃の波状部分に沿うように、紅い刃が横へと流される。連れてリディアの身体も流されるかに見えた途端、リディアは再び残像を残してその場で一回転する。それでシホも、初めの一突きは見せかけ、囮だったのだと気付く。

 まるで舞踏のようの美しい回転を見せたリディアの手に握られた剣が、紅い軌跡を残す。遠心力で速度と威力を上げた刃が、リディアの向かって右側から左側へ移動して、横薙ぎの一閃となって繰り出される。最早視認困難な一閃だが、ウファはこの一撃も立てた刃でしっかりと受け止めた。さらに刃を上に動かして紅い剣を払うと、波刃の剣を手元で旋回させ、斬り下ろす一撃を返す。リディアはこれを一歩、退くことで避け、すぐに払われた紅い剣を引き戻すと、振り下ろしの一太刀で隙の出来たウファの左肩を狙った一刀を見舞う。だが、これにもウファは対応した。今度は膝を落として波刃の剣を横にし、リディアの一刀を受け止めると、紅い刃を乗せたまま、その剣を横に払った。腹の辺りを狙った一撃を、リディアは身体を反らすことで避けて見せた。

 そのやり取りが、ほんの一呼吸の間に行われた。ウファがその場を飛び退き、一度距離を置いてくれなければ、シホは息を止めていたことにすら気づけなかっただろう。

 これが戦いの中に身を置き続けてきた人間同士の戦い。リディアはもちろん、ウファも、ラインハルトから聞いた身の上では、奴隷剣闘士だったはずだ。いまのやり取りでは、ウファの我流剣技は、リディアと互角。戦乱の絶えない大陸北方の傭兵たちには、生きる伝説とまで言われ、『紅い死神』の異名を持つあのリディア・クレイと、である。


「……こりゃあ、とんでもねえな。久しぶりに、ぞくぞくするわ。」


 ウファが笑う。唇を小刻みに舐めるように舌を覗かせる表情は、蛇を思わせる異様さだった。


「伝説の傭兵の異名に、嘘はなさそうだ。」


 ウファは心底愉快という様子だった。それが剣闘士という出自によるものか、それともウファ自身が、ただただ戦闘をこよなく愛していることの現れなのかは、判断出来なかった。

 いずれにしても、リディアとは真逆の人間だ、とシホは思う。リディアは強い。それは確かなことだったが、彼は戦いを求めている訳ではない。むしろ、誰かを傷つけることを、誰よりも恐れている。そういう理由を持ってあの紅い魔剣……百魔剣を制することを目的として作られた百一振り目の魔剣『統制者』を手にしている。


「……我流だが、速いな。いい腕だ。」


 だが、リディアが意外な反応を示した。まるで戦闘狂を褒め称えるような台詞に、シホは少し驚き、リディアの表情を確かめようとしたが、背を向けて立つ彼が、何を考えているのかも読み取ることが出来なかった。


「へっ、お褒めに預かり光栄です、とでも言やあ満足か? 随分と余裕じゃねえか、『統制者』様は。」


 言ったウファが、次の瞬間、全身炎に包まれる。燃え盛る炎の中に、僅かに残る人の口が動き、笑みの形を作った。


「あんたと戦って、勝てるなら勝っちまっていい、てのがシャドとの契約だ。こいつの力を使っても、恨むんじゃねえぞ!」

「……なるほど。『統制者』の詳細までは聞かされていないか。」


 リディアの声が冷淡に告げる。同じことを、シホも思った。いまのウファの言葉は、明らかに『統制者』とはどんな存在かを知らない人間の言葉だった。

 シホは『統制者』を知っている。二年前に目にした壮絶な戦い。『統制者』の圧倒的な力を見せつけられたあの戦い。

 だが、その力は、リディアにとっては諸刃のようにその身を削ることも、知っている。


「……試してみるか。」


 リディアの身を案じるシホの耳に、小さな、極小さな囁き声が聞こえた。声はリディアのもので、自分に言い聞かせるようにした言葉だとわかったが、一体何を試すのかまではわからない。

 そう思っていると、リディアが肩越しにシホを見た。その目は戦いに臨む鋭い『紅い死神』の目であった。


「シホ。」


 それだけに、突然名前を呼ばれたのは意外だった。


「絶対に、手を出すなよ。」


 リディアの周囲が靄のように歪む。

 何かが現れる。シホはその事実を理解した。

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