第18話 『博士』シャド

 クラウスが察知したその気配は、表現の難しいものだった。

 視力以外の感覚が研ぎ澄まされた『心眼しんがん』の技術と、手にした魔剣『雷切らいきり』の力で、超感覚とでも呼ぶべき広範囲の存在を察知できるクラウスは、その感覚の末端に、不可思議な気配を捉えた。それは、人のようであって、人のものではなかった。

 気配には、全て色がある。少なくともクラウスにとってはそうだ。人には人の、獣には獣の、物には物の色があり、それぞれに温度もある。よく知る人間には、さらに個人個人の色が付与される。つまり、この色や温もりが、クラウスにその気配がどんなものであるのかを、目で見るように伝えてくれるのだ。

 そこを行くと、その気配は人であり、獣であり、物であった。クラウスは足元に転がる金属片の山を踏みつけ、一歩踏み出すと、気配の方へ視線を向けた。クラウスの足元は、クラウスが打ち倒した数十に上る数の金属人形きんぞくにんぎょうの成れの果てで埋め尽くされている。周囲に新たな敵の気配はなく、その不可思議な気配だけが、すっと屹立きつりつしている。

 戦闘中であったクラウスの視力は、一時的に回復していた。魔剣『雷切』に流れ込んだ魔力の影響だ。視線を向けたクラウスは、その青い瞳の視覚も動員し、五感の全てで気配を捉えたが、それでもクラウスが抱く不可思議な感覚は消えなかった。


「……何者だ。」


 率直な思いそのままの言葉が、クラウスの口から漏れた。クラウスの目が捉えたのは、少年だった。だが、肩までで切り揃えられた光沢のある髪を揺らしながら、ゆっくりと歩み寄ってくる人形のような姿にクラウスはすぐ、いや、少年のように見えるだけなのかもしれない、と認識を改めた。

 クラウスがまとう東方諸島群の民族衣装とはまた異なる、異文化の匂いを漂わせる前合わせの黒服の丈は長く、一見すると大人の物を着せられた子どものようにも見えるが、それがそういう衣装だと言われてしまえば、それまでのようにも感じる。それだけ、背の低い彼の人物にその黒服は似合っていた。整った、凹凸おうとつの少ない顔が見せる表情は、まるで新しい玩具を見つけた子どものそれで、男性なのか女性なのかも判然としないが、クラウスが少年ではないかもしれない、と感じたのは、彼の人物の目の色だった。

 屈託くったくなく笑い、新しい玩具を見つけた子どものように輝いているにも関わらず、その芯である瞳の色が淀んでいる。まるで暗闇を見るかのような、そよとも感情の動かぬ瞳の色は、死を間際にし、あらゆるものを手放した老人のようでもある。


「なるホドなるホド。こレが『ラいきリ』デスネ。なるホド……」


 黒服が声を発する。クラウスにとっては聞き覚えのある、東方諸島郡の人々の言葉に近いなまりだが、どうやら島が違うらしい。似て非なる言語による不協和音は、クラウスに黒服の人物像をさらに掴めなくした。


「……あの男、シャドよ、騎士長。」


 不意に背後で息を飲む気配があり、クラウスが肩越しにその気配を見ると、背後に立ったエオリアが、クラウスの背に隠れるような位置から黒服の人物を見ていた。


「オード国王付軍司。」

「得体の知れない経緯を持つ男、か?」


 彼の人物の出自や軍司となった経緯は、クラウスも報告を受けていた。だが、それを置いても、彼が放つ気配と色の説明にはならない。クラウスが感じるシャドという存在は、人であり、獣であり、物でもあるのだ。これ以上に得体の知れないことはない。


「アナたガ、クらウス・タジてィ、デスか? 『ラいきリ』の導き手?」

「左様。相違ない。」


 クラウスはシャドに向き直る。シャドはクラウスの前、十歩ほどの距離で足を止めた。

 クラウスはシャドから見えないように、背後に手を回して、エオリアに合図する。前へ出るな、手を出すな、と仕草で言い置いたのは、シャドの放つ気配の異常さから、何が起こるか想像が付かなかったからだ。エオリアを護りながら戦うつもりだが、深入りされては護れない。


「ミゴと、あれ、みごとなものです。ボクのソうぞウ以上の……ん、そうぞう以上の戦うを、見させていただきました。」


 作り物めいている。クラウスはそう感じた。気配もそうだが、一言話すごとに、まるでいま、この場で話し方を覚えている、とでも言うように、一語一句を探りながら話し、正しい発音を身に付けていく姿は、人に似せた物が意思を得て、言葉を話しているかのように感じる。背筋に寒いものを覚えたが、クラウスは表情を動かすことなく、雷切を左手に握り変え、空いた右手を懐へと入れた。そこにある、顔の鼻から上半分を覆い隠す白い仮面を取り出し、装着する。


「お前の見世物になったつもりはないが。」


 クラウスの感情に呼応して、雷切に宿る魔力が強くなる。青い稲妻のような輝きが、雷切からほとばしり、クラウスの左半身にまとわりつく。


「いやあ、いやいやいやいや、スバらしい。スバらしい力、デスよ。ボクハこれが見たかった!」


 嬉々とした声を出すシャド。だが、それは、どこか狂気じみている。


「アなタ、いや、あなただけではない。分かたれたフラムグラスも、ルミエルも、あの『領主』のプレシアンも! 全て観察させていただきました! いやあ、これでボクの研究は、いっそう高みへと、進むことができるデショウ! あとは……」


 シャドが舌舐したなめずりをする。赤く、不気味に長い舌が、整った口の回りで、別の生き物のようにうごめいた。


「カレのみ……!」


 そう言うと、シャドは甲高い悲鳴のような声を上げた。が、それが一定の呼吸をともなったものであることに気付いたクラウスは、悲鳴ではなく、これがシャドの歓喜の笑い声なのだと理解した。


「……かれ。」


 不愉快な音を出すシャドの言葉を、クラウスは冷静に精査せいさした。この男の目的は、百魔剣の研究だと聞いた。自分が握る雷切、シホのルミエル、カロラン姉弟のフラムグラス。そしてラインハルトのプレシアンまでもを観察したと言ったシャドが、さらに求める対象。この戦場にいる百魔剣は、ルディの魔剣ソンブルだが、ルディはいま、前線には出ず、神聖騎士団と防衛の協議と指揮を行っているはずである。残すところは……


「なるほど。お前の目的は『統制者』か。」


 クラウスはこの戦場に存在する、最後の一振りの名を口にした。『紅い死神』リディア・クレイの手にある、紅い刃の片手剣。百魔剣の百に数えられず、旧王国時代には、全てを制する存在として、統一王の手元に置かれた、百一本目の魔剣。


「ソウ、ソウソウソウ! ソレですよ、ソレ! 統制者! あの紅い剣です! ボクはソノ力を見たかったんですよ! なので、ちょっと、街には滅んで貰うことにシタンですよ!」


 仮面の下で、自分の目付きが音を立てて鋭くなったと感じた。クラウスは静かに雷切を右手に握り変えると、左腰に提げた鞘に納め、腰を落とす。そっと、右の足を踏み出した。


「貴様、それは本当のことか。」

「エエ……ええ? 何のことデショウ?」

「このマイカを、戦場にした理由と、この金属人形たちを使ったのは、貴様か、と訊いている。」


 クラウスの言葉に、シャドは心底嬉しそうに笑うと、大袈裟な仕草で両手を空に向かって上げると、クラウスに向かって叫んだ。


「そうですよ! そりゃあそうでしょう! 統制者の力を、この目で観察できるんですよ! 街のひとつやふたつ、人の千や一万、この世から消えたところで、安いものでしょう! むしろ、感謝して欲しい! マイカは統制者研究のいしずえになれたんですよ!」


 シャドが言葉を言い終わるのを、クラウスは聞かなかった。その前に、クラウスはその身をいかずちと同義に変えていた。

 刀の持ち変えに伴って、全身を覆うようになっていた雷切の青い魔力を推進力に変え、一歩目で人の速度を越えたクラウスは、刹那の間にシャドとの距離を無に変えた。踏み込んだクラウスが、雷切を抜き放つ。『イアイ』と呼ばれる東方の剣術で剣速を上げた雷切の抜き打ちを、シャドが避けられる道理はなかった。シャドの驚き、見開かれた目が見えた時には、その細く小さな身体は胴から上と下に切り分けられ、上半身は雷切の振られた力に流され、宙を舞った。


「……ヤレヤレ。ウワさの通り、冷静とはホドトオイ人ですね、クラウス・タジティ。」


 声は意外なところから聞こえた。クラウスが振り向くと、シャドはクラウスの背後、エオリアのすぐ目の前にいた。気配が動いた様子はなかった。雷切越しに、確かに人を斬った手応えがあった。それでもシャドはそこにいて、斬られたはずの身体は、クラウスの近くに倒れてはいなかった。


「ボクハ、タタかイには向かないニンゲンなんですよ。タタカう百魔剣は好きですが、ジブんでするのはドウにも……」

「ふざけた男ね……!」


 シャドに応えたのはエオリアの声だ。まずい、と戦慄せんりつがクラウスの身体を駆け抜け、声を発する前に、事態は動いた。

 シャドの向こうにいたエオリアが、魔剣フラムを眼前にかざした。『力ある言葉』が語られ、フラムの刃から熱風が吹き出す。炎そのものといっていい高温の風は、エオリアとは五歩ほどの距離にいたシャドを容赦なく焼く。纏った黒服に火がつき、瞬時に全身に広がると、シャドの身体は炎に包まれた。人形のように綺麗な髪が燃え、女性のようにきめ細かい肌が黒く焼ける。人が焼ける独特のにおいと、苦痛にもがくシャドの甲高い絶叫がクラウスの耳朶じだを打ったが、クラウスの全身を包んだ戦慄の波は、引くどころか高まり続けた。


「エオリア、退け!」

「ボクハ、タタかイたくはないんですよ。だってネェ、ミンナミンナ……」


 業火と熱風の音に消されぬように叫んだクラウスの声に応えたのは、シャドの声だ。クラウスは必死で気配を探り、魔力で開かれた瞳でその姿を探したが、どこにもシャドはいない。

 目の前に立ち上るのは、シャドを焼いたはずの火柱。その向こうで、何か鈍い音がした。その直後だった。炎を割って大きな物が飛び込んできたのは。

 クラウスは足元に視線を落とす。炎の向こうから飛んできて倒れたそれは、人の姿をしていた。肩までで切り揃えた浅緑あさみどり色の髪が顔にかかり、表情は全くわからない。ただ、クラウスの目が捉えたのは、その倒れた人の脇腹辺りから流れ出る赤い液体が、水溜まりのように広がる様だった。


「ミンナ、スグ、シヌカラ」

「エオリアぁ!」


 クラウスの絶叫が、火柱と共に燃え上がった。

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